ぴこのねごと

さあ、つかの間の現実逃避へ。 旅とフラと時々経理の話

フラの発表会が終わり、退職代行会社から手紙が届く 日々は続く

フラの発表会が終わった。100億%の方が、ご興味を持たれないだろうと思うが、2年に1回の開催なのでハラウ(フラ教室)内では、大大大イベントである。

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自分も何曲も踊る、生徒さんの踊りも確認する、インストラクターとして裏方の事務仕事を手伝うなどを家計を稼ぐ仕事の合間に行わなければならず、なかなかの忙しさだった。

 

特に自分の踊りについては、生徒さんがいる手前、みっともない踊りは出来ないと何度も動画撮影をして踊りを確認して修正を繰り返した。

 

動画撮影をして、動いている自分の様子を客観的に認識する。これは中々の苦行であった。最近の子は、自分がタピオカを飲んでいるだけの動画を撮って公開したりと自分の姿を動画で見ることに何の抵抗もないのかもしれないが、デジタルノンネイティブ、幻の6人目(シックスマン)として常に立ち振る舞っている自分にはとてもハードルが高かった。

 

踊りの未熟さは、高い棚の上に置いておくとして、何より気持ち悪かったのが、「自分の頭の中の自分」と「実際の自分」の差だ。

 

気分良く踊れて完璧なつもりで動画を確認すれば、上半身はグラグラ、目線もおかしい、誰これ?という人物が映っているのだ。私だ。お前か。

 

遥か太古の昔、まだ私が大学生だった頃、心理学概論かなんかの教授が、「人は客観的に物事を見ることはできない」と言っていた。客観的風には見れても、自分のフィルターを通して物事を見ているので、それはやはり主観なのだと言う。

 

ビデオや写真によって限りなく客観的に自分の踊りを見ることが可能であるが、それでも自身の変なフィルターが入り「本番ではこんな風に踊らない」「この時は考え事をしていたからこの踊りになった」など無限言い訳が出てきたり、下手だと思った踊りが他の人に褒められたりするともう何が何だか分からなくなってくる。藪の中だ。

 

結局「本当の自分」というのが玉ねぎの皮むき*に例えられるように、「客観的な自分」の姿というものもどこにも存在しないのだ。自分の見たいものを見て、私たちは生きている。 

 

 *玉ねぎを自分として例えると、自分探しというものは玉ねぎの皮むきに似ており、全て向いてしまえば結局何も残らないし、本当の自分というものはどこにもないのだと、マックで女子高生が言っていた。

 

 まあやる事はやりきったので、後は実力不足だ。それは仕方ない。ダメな所は修正していくしかない。人生は100年あるみたいなので、後60年位あれば少しはましになるだろう。

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真の客観にはたどり着けなくとも、客観的風に見ることは、普段の仕事や生活にも役に立つのではないかと思っている。

 

先日、私が経理を手伝っている会社に退職代行会社から1通の手紙が来た。「退職代行」についてはニュースで知っていたが、都市伝説の類かと思っており本当に存在しているとは思わなかった。

 

内容は、「貴社の○○様が、○月○日付で退職を希望している。直接連絡を取ることはできない。要件があれば退職代行会社まで連絡しろ」というものだった。

 

その新入社員君は、金曜日に客先へ行く予定だったが無断欠勤し、そのまま週末にあったアポもすっぽかし、連絡が取れず行方不明だった。チームのメンバーが慌ててフォローしなくてはならなかった、彼は一体どこへ行ったのかという話で社内がざわついていた時にその手紙は届いたため、騒がしさは更に増した。

 

その手紙を見た時、「落ち着け新人!」と手遅れながら思った。

 

新卒から会社勤めを始め、今はバックオフィスの業務委託と雇用契約の兼業社会人。20年色々な会社に在籍し、お客様の会社や自社を見てきたが、この会社は辞めたいと言って辞めさせてくれない会社ではない。業種の都合上、業務は忙しいかもしれないが、それもいわゆるブラック企業のそれとは違う。

 

そして「君は戦力でもなんでないんだ。辞めてほしくない人材でもなんでもないんだよ」とも思った。だって新卒新人の戦闘力は、枯れ木も山の賑わい程度なのだ。

 

私自身も新しい職場、仕事を始める時にいつも心にとめていることでもある。会社単位で見た場合、替えがきかない従業員はいない。場合によっては、社長さえ代替可能なのだ。一社員の存在など推してて知るべしだ。

 

代行会社に支払う報酬は5万円が相場らしいが、「辞めたいです」のその一言とその後の諸々の面倒くさい事が等価交換というのは、安いのだろうか。自分が辞める意思を言うことができる性格であるのと、私が新卒一般職で働いていた旧石器時代に手取りが15万円だったことから考えると、私にとっては高いと思うのだが。

 

客観的風に見れば、この会社は簡単に辞められる環境だったと判断できるため、サクッと退職の意を自分で伝え、5万円は辞めた後の生活費の足しにすればよかったのではないかと思う。

 

現状や自分の立場を客観的風にみるのは、やはりとても難しい。経験、周りの人の意見、職場の観察、事実、どれだけ並べても自分フィルターを通した主観でしか判断できない。私たちは、主観、自分の中の自分に、支配されている。

 

若い人たちに限らないが、私たちは選択肢が多い反面、選択するのが難しい時代にいるのかもしれない。ただお金も時間も自分の能力もできるだけ、大事に使ってほしいと思う。何しろ人生100年だそうなので、その配分を間違えると地獄が待っていると思われる。

 

うまくいかない時は吐きそうでも、自分を限りなく客観的に見ること。これは、解決策の一つになるかもしれないし、現状突破のヒントをくれるかもしれないと、自分のフラ動画をもやもやと見ながら自分を鼓舞している。

 

だって、フラの発表会が終わっても、または会社を退職したって日々は続くのだ。

 

去っていった新人君には、日割りの給料と未清算の経費を支払ってお別れをした。会社の彼の机には、彼が使用したいと所望して購入したごついゲーミングキーボードが残されていた。これどうすればいいのさ…。

 

 

 

大型台風が外でうねっていますが、来週もサバイブしていきましょう。命大事に!