ぴこのねごと

さあ、つかの間の現実逃避へ。 旅とフラと時々経理の話

日本のフラ関連産業へとどう在りたいかについての考察

 

    昔の名曲をカバーをしている歌手の歌声を聴いていると、うまいんだけどカラオケみたいとか、この歌手らしい曲になっていて違う魅力がある、元の曲と同じ歌い方をしている等同じ曲を歌っているにもかかわらず色々と違う感じを受けます。クラッシクでも奏者や指揮者によって、雰囲気ががらっと変わるのですから、普通のことだと思います。

 

 フラダンスでも同じことが起こります。同じ曲を踊っているのに、ダンサーやクムフラの解釈で踊りが変わってきてしまうし、振りを踊っているだけの人、作り笑いの人、練習不足で不安を持ったまま踊っている人は一目瞭然です。 

 

 日本は、本場よりフラを習っている人口が多いと言われています。また多くの日本人はハワイが大好き。アメリカの田舎で、小さな島であるハワイでフラを生業としている人たちにとって、日本はとてもいい市場でありますし、日本人はいいお客だと思います。日本の多くのハラウ(フラを教えてくれる学校)やハワイアングッズを販売している会社も、ビジネスになるとハワイから有名なフラダンサーや招いて、ワークショップを開いたり、イベントを立ち上げたり、有名なハラウから認定を受けて日本の認定校のライセンスを取得したり、様々な方法で売上を上げようと努力しています。

 

 エンターテイメントのため、または神様にささげるためのフラが、多くの人の努力で今日まで残ることができて、その結果日本人にも届いて、恩恵を享受していることは、奇跡のようなことだし、先人たちの努力を尊敬します。

 

 しかしビジネスにのみ集中してしまうようなハラウ、フラダンサー、ハワイアンソングの歌手や業者には、時折失望します。素朴な歌詞を手話のようなハンドモーションやステップをつけて表現するフラの踊りや歌声からはその人のすべてがにじみ出てしまうため、彼らの踊りには感動や曲への思いがありません。

 

 なぜハワイアンソングの歌手としてショーに参加しているのに洋楽を歌うのか、なぜ何も感じられない娘のフラとコラボで舞台に立つのか、ワークショップにもかかわらず仕切りが雑で踊る時間がほとんどなかったり、予習できなかったり、がっかりします。しかし多くの日本人はとてもよろこんで、騒いで、彼らをもてはやしています。それがさらにビジネスを成長させるし、日本人で儲けようという人々を増長させていると思います。とても複雑な思いで日本人の行動を観察してしまいますし、翻弄されている姿がとても哀れに思ってしまいます。

 

 フラを習おうと思ったきっかけは、東日本大震災でした。 不安な毎日の中、法人税の申告期限が迫っているため、会社に行かなくてはならず、過度に緊張をして満員電車に乗り込み、出社していました。その状況で出会ったフラ。その曲になごみ、笑顔で踊るその時間が緊張した心を解きほぐし、少しずつ眠れるようになりました。フラに恩返しをしたい、フラで少しでも周りの人の気持ちが緩める事が出来たらという思いで、私は踊っているし、教えたりしています。

 

    あまりにもビジネスライクなフラやイベントに接してしまうと、イミテーションを無理やり押し付けられているような、大事なものがバカにされているような気持ちになってしまいます。

 

 何事も成長は、一定の法則に基づいて進んでいくと信じています。フラブームに乗って、フラが踊れる、本場の有名なダンサー、クムフラを手放しで喜ぶ所から始まって、いつかフラの精神にたどり着こうという段階に進んでいくだろうと思っています。

 

 フラが流行ることは、商業的にハワイの人にとっても、きっちきちな精神状態で生きている日本人にとってもいいことだと思います。フラにかかわる人たちの精神が今一歩進んでいくまで、もう少し時間がかかると思うけれど、いつかその本質までも日本に入ってくるといいなと思っています。

 

 日本人であるし、フラとはという問いには永遠に答えられないかもしれないけれど玉石混合の情報や多くの曲や踊りを学ぶことによって、少しでも自分の答えを見つけられるために、踊っていきたいなと思っています。

 

     最後に人の生き方や考え方が現れる時は何も、フラやクラッシック、過去の名曲をカバーする時だけではないなあと思った経験を1つ。

 

    死を迎えるその瞬間もまた、その人の生き様が現れると思います。

 

    友達が緊急入院をし、容態が落ち着いたので、お見舞いに行った時に聞いた話です。

 

    友達が集中治療室でベットに横たわっていると、同じ部屋の患者さんが、酸素マスクや点滴を外してしまうので、看護師さんにベットに拘束されてしまいました。拘束されてしまった後、ずっと苦しい、(拘束を)外せなどと訴えていたそうです。

 

    それは一晩中続き、そのうち静かになり、翌日その方は亡くなられたそうです。苦しみながら、拘束されて、最期は病室で一人で亡くなる、死に際に何か全てが現れるのだと思いました。

 

    間違えたり、嫌な事を相手にしてしまったり、欲にかられたりした人生であったとしても、人生の終盤でもいいので、心改め、せめて最期の瞬間だけはさっぱりすっきりいきたいものです。