ぴこのねごと

さあ、つかの間の現実逃避へ。 旅とフラと時々経理の話

妖怪さんぽ 江戸東京博物館 大妖怪展

 

 【大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで】

両国でおさんぽ

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 なぜ土偶と妖怪ウォッチを含めちゃったのかという突っ込みはあるものの、子供のころから何か不思議なものに惹かれてしょうがない性分なので、大妖怪展に興味深々です。凡人の私には、見えていけないものは見えないし、あまり感じない。自覚している不思議なことと言えば、サンシャインの近くにある巣鴨プリズン跡にお盆の前に行った際に、激しい頭痛に襲われ、その後2週間くらい具合が悪かったことぐらいです。その年は猛暑の年だったので、単純に熱中症だった可能性もあります。

 

妖怪は、日本人が古くから抱いてきた、異界への恐れや不安感、また”身近なもの”を慈しむ心が造形化されたものです。(パンフレットより)

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    鬼やもののけは、12世紀平安時代末期からその存在が確認でき、中世室町時代に造形化され、江戸時代に爆発的に増殖したそうです。上記の定義をもとに考えますと江戸時代に増殖した理由は想像に難くありません。日本が徳川幕府に統一されて、平和になった反面、身分制度や時代の変化についていけずに苦しむ武士たち、新しい人々の悩みや文化の熟成等の条件が揃ったことで多くの妖怪が増殖したのだと思います。

 

 妖怪なんて子供だましだよと思われるかもしれませんが、展示には重要文化財や国宝のものが多くあり、なかなかのステイタスを与えられています。みんな大好き伊藤若沖や、歌川国芳葛飾北斎鳥山石燕などの有名どころもこぞって、素敵な妖怪の世界に足を踏み入れており、大増殖の片棒を担いでおります。

 

【気になった作品】

 

 

  • 辟邪絵 神虫(へきじゃえ しんちゅう)鬼を食べてくれる神の虫の絵です。絵そのものにも悪いものを避けるという恩恵があるようですが、神虫の絵がえぐいです。国宝であるけれども家のリビングに飾るのには、凡人には度量が足りません。冒頭の写真、右側の絵です。

 

  • 百鬼夜行絵巻 妖怪たちがそぞろ歩きしている、とても有名な室町時代の作品です。びわの妖怪が琴の妖怪をペットのおさんぽの様に引っ張っていたり、細かい所でくすっと笑えます。冒頭の写真、左側の絵です。

 

  • 妖怪一年草 東海道中膝栗毛十返舎一九の作品に絵を付けたもので、妖怪の年中行事が書かれています。その中では、「花見」は「穴見(何を見るんだろうか)」に、「明けましておめでとう」は「化けましておめでとう」、「お釈迦様の誕生日」は、「お逆様 (おさかさま、見越入道)の誕生日」にお洒落に変換されているそうです。

 

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見越入道さんの近影。余談ですが、鳥山石燕画図百鬼夜行も展示されていました。

  • その他、国芳の「猫また」は相変わらず愛くるしいし、土蜘蛛が成敗される作品がやたらに多く、土蜘蛛は成敗されるための必要悪なのかと考えさせられたり。

 

 人間の心は自分から外には出ないような気がしていますが、その行動や流行りもの、都市伝説のような噂により、自分の肌の外に漏れ出ているような気がします。昔の妖怪の作品がとてもいいのは、どの妖怪も怖いけど可愛く描かれているところです。血みどろ芳年と言われた月岡芳年の作品も、どこか面白味がありました。

 

【土偶と妖怪ウォッチ

 

 縄文時代の土偶も妖怪の起源ということで、展示されていました。みみずく土偶、遮光器土偶は、妖怪というよりは宇宙人の様に見えます。それにしてもサングラスをかけたように見えるので(確かにXメンのサイクロップスの様です)、遮光器土偶と名付けたというセンスは、嫌いではないです。

 

 妖怪ウォッチを最後に展示していますが、これを妖怪と言えるのでしょうか、ジバニャンは猫の地縛霊だと思うのですが。プロフィールには猫の妖怪とありました。定義によると妖怪とは、”異界への恐れや不安感、また身近なものを慈しむ心が造形化されたもの”なので、それが大流行した背景には現代の子供たちの心に不安感あり、払ったりすることで不安感を打ち消し、心のバランスを保っているということなのでしょうか。

    何でも妖怪のせいにできるのは、ちょっと気が抜けて、毎日忙しい子供達には安らぎを与えているのかもしれません。

 

【大妖怪展で感じた事】 

 江戸時代に比べて、技術が発達して、インターネットで何でも調べられる現代においても、いまだ壁のシミが人の顔に見えたり、夜中にインクジェットプリンターがおもむろに動き出して原因が分からず恐怖したり、タンスに一足だけしかない靴下だらけになって驚愕したり、分からない事に対する人間の本質はさほど変わっていないように思えました。

 

    私たちが、400年くらい前の妖怪の作品を見て、人間の心理を読み解こうとあれこれ試行錯誤するように、400年後の世界でも現代の妖怪たちを見て、この時代はこんな風に人間は考えていたんだと研究されたりするのでしょうか。

 

 いつも不思議なことや説明がつかない怖いことを考えるとき、最終的に思うことは、「生きている人間が一番怖い」です。作品に描かれたり、ゲームやアニメで妖怪を払ったりすることで、何らかの不安を拭い去り、心のバランスを保つことができるのなら、それはそれで平安は保たれるので、とても平和的解決です。しかし実際に人間に危害を与えたり、あまつさえその命を異常に奪う事件が多く起きている現状は、情報過多により人間の心のありようが複雑になりすぎて、心の平安を保つための無意識の方法が機能せず、その方法が変わらざるを得ない状況に陥っているのかなと思いました。

 

   一方でその異常さも、昔から何ら変わらない人間のありようなのかもしれないという気もしています。

 

  最後に気が利いているなあと感動したのは、オーディオガイドの中の人が、井上和彦さんだったことです。アニメ夏目友人帳のニャンコ先生の斑の時のトーンでご説明くださいます。その声が素敵過ぎて、無駄に同じ解説を何度も聞いてしまいました。

    その他、地獄の六道図や幽霊がなどの展示もあります。 猛暑と言われている今年の夏、大妖怪展で不安感や心理について頭を働かせつつ、ひんやり体験はいかがでしょうか。

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それでは、異界の入口で、否、また次のおさんぽでお会いしましょう。