フィンランド イナリ オーロラを探して Day1
こんなご時世なのに大変申し訳ないが、前々から決めていたことだし、キャンセルフィーがかかってしまうので旅に出ることにした。
テレビは朝の天気予報とドラマ、アニメしか見ないようにしたので、世間がどう動かされているかよく分からない。一般人なので、フィンランド の雪とオーロラと戯れている写真をアップしたとしても、友達は減ることがあっても不謹慎だと炎上はしないだろうし、ブログ自体は現実逃避を目的としているので、こんなに良いタイミングはないだろう。
外国人を好まない人々は、全世界に存在する。この時期日本から外に出て行くのは心配性の私にはとても怖いことだ。当たり前のことではあるが、私も日本から出れば外国人枠になるのだから、一部の日本人やワイドショーがしている人種差別を受ける側になる。げに恐ろしきは人間な報道が多い中、ガクブルではあるがオーロラを求めて出国した。
成田空港は土曜日にも関わらず、空いているように思えた。手荷物検査も出国手続きもあっという間に完了してしまった。
マスクをするのはヴァンター空港までとして、母が持たせてくれた消毒シートとともにフィンエアー搭乗。こんなに空いている飛行機に乗るのは初めてだ。
私の席は3列の席の通路側。横の二席は空いていたので、三席使用させていただいた。
フィンエアーのCAさんは、日本人以外は特にマスクなしでサービスしていた。いつも通り親切な対応を受けた。
フィンエアーの機内のエンタメはあまり私の興味を引くものがないので、ネットフリックスでダウンロードしてきた鬼滅をひたすらに見る。桜井ヴォイスに飢えていたので、冨岡さんが出てくる所を中心に。本当はリチャード氏を持ってきたかったが、かなわなかった。
問題なくヴァンター空港に到着。トラブルを避けるためにマスクを外すが、マスク率はアジア人が多いものの、それ以外の人々もマスクしている人がいて驚いた。入国審査は自動化されていて、特にサーモグラフィーを撮られたり、検温されたりもなかった。至って普通。
イヴァロ空港への乗り継ぎ便。意外と席が埋まっている。フライトの時間は1時間30分位なのだが、途中皆席を立ちあちらこちらで立ち話をしていた。皆ご近所さんなのか?というような盛り上がりだ。楽しそうだ。日本人のツアー客も10人くらいいた。年齢層高めだった。勇気ある。ガクブルの私とは違う。
何の問題もなくイヴァロ空港に到着。虐げられることなくDay1完了。予約したシャトルバス内で前に座っていたフランス人のおばちゃんがごほごほしていて逆に心配になった。デリケートな国からやって来たばかりので、ナーバスが止まらない。
すごい晴天だったが、この日はオーロラ見えず。しかし寒い。近年東京では雪が降らないので、この大量の雪はとても新鮮だ。予約していたコテージにダブルブッキングが発覚した。「よし、トラブル来たかぁ、やったるでぇ」と腕まくりしたものの、10分後、あっさりグレードアップしたサウナ付きコテージを用意してくれた。そっと袖を元に戻した。
場所はコテージ群の一番北のはじっこ
暖炉、ベッドルーム、ダイニングキッチ(オーブン、冷蔵庫、電子レンジ、食器完備)
サウナ、外気浴を繰り返しつつ、北の空にオーロラがあるかを確認することができる素晴らしいロケーションである。
ホリディ ヴィレッジ、コテージBのサウナ
2〜3人が一度に入れる。コテージの扉は二つあり、一つは玄関、一つはシャワー、トイレ、サウナ室から外に出る用だ。温まるのに45分くらいかかる。
雪にダイブできるよ!
淡路島七福神めぐり 神話の島と太陽光パネル
七福神をめぐることがここ数年の新年のイベントとなっている。今年は東京を離れて、淡路島にやってきた。
古事記や日本書紀によれば、「イザナミ」「イザナギ」が最初に産んだ島、淡路島。七福神を祀る寺院が広く全島にまたがっていることから淡路島自体が七福神の船としてみなされるているそうだ。
島自体がとても縁起がよさそう。
淡路島の七福神は一日で歩ける距離には無いので、車での移動となる。所要時間は8時間だ。
淡路島は友の故郷であるので、友のことを空想で空目しながら一緒に回ってみたいと考えたのだが、ちょっと我ながらキモいので早々に企画倒れとした。
淡路島の七福神の分部は下記の通り。神戸方面から大黒天から巡り、南あわじの毘沙門天を最後にするルートを取った。
参照:淡路島WEBより
それでは元気に橋を渡って参りましょう〜。
この日東京は、雨また雪の寒い一日だったそうだが、ここ淡路島は春のような日差しと暖かい。晴れ女の斬魄刀卍解だ。
世界最長のつり橋明石海峡大橋で明石海峡を渡れば淡路島だ。この橋ができるまでは本州からの移動はフェリーだけだったそうだ。橋がある無しが人の移動にとても影響する。島の旅は本州の旅と違い時間がかかるし、のんびり旅にはもってこいだが時間がない旅にはちょこっと不便だ。
橋を渡り海沿いの道を走っていくと、はじめのお寺が見えてきた。
八浄寺 大黒天
1394年に建立され、その後他のお寺と合併し、今の八浄寺となったそう。
七福神がお水をくれるかわいい手水場。必要ないのに七箇所全てで手を洗う。
手前にあった大黒さん。箱を下からジャンプして叩くマリオのようだ。チャリーン。
大黒さんの「打出の小槌」は怠け心、よこしまな心、弱い心などの邪悪な心を打ち振って人の迷いを晴らすとのこと。
全てを内包している私の心を打ち振ってほしい。迷いが今日の天気の様に晴れるといい。
宝生寺 寿老人
740年、聖武天皇の勅命をうけて、行基が祈念して、建立されたそう。最近は、大仏建立した方がいいのではと言う事案が多いので、聖武天皇というワードが個人的に目に止まりやすい。
こじんまりとしたお寺。小高い丘に建てられている。
春日大社つながりのお隣さん。鹿が可愛いし、聖武天皇といい奈良と何か関係があるのかもしれない。
智禅寺 弁財天
道がとても狭く、脇の水路にバスが転落しないかはらはらしながら到着。運転手さんの技術がすごい。
入口の真ん中にぶら下がっている紐を引っ張って、ゴーンと鐘を鳴らして入る。表からはどこに鐘がついているのか全く分からなかったのだが、裏側にアンサーがあった。
弁財天さまは、河川の流れる音の音楽の神様。言葉使いも音楽の一つ、何気ないあなたの一言ひとことが、他人を勇気づけたり、傷つけていたりするものです。常日頃、言葉ひとつに他人を思いやる知恵の一言一句が福を積む因でごさいます。
パンフレットの説明にグッときてしまった。繁忙期で殺伐としているため、人の一言に傷ついたりして被害者ぶっていたが、自分もトゲのある言い方をしているかもしれない。反省。
中で住職さんのお話を聞いて、マツコデラックスさん似の弁財天様があると言うので探してみたものの全く見つけられなかった。住職さんに答えを教えてもらい、写真の許可を取った。思った以上に小さい。きゃわ!
とても似ている。話題になっているみたいで、横に神戸新聞の記事も貼ってあった。
長林寺 福禄寿
こちらも737年に行基がこの地に七堂伽藍を創建し、本蔵十一面観音菩薩像を安置したのがはじまり。
901年に菅原道真が九州に赴く時、御堂に参詣したそう。古い。行基や道真など社会科資料集に載ってる重鎮がバンバンに出てきて淡路島すごいな。
こじんまりとしたお寺。中に入ったら普通に個人の法事をやっていたので驚いた。「法事をやってるんで、奥まで素早く進んで下さいー」と促され福禄寿の前までささっと進む。
中の福禄寿はちょっと暗くてよく分からなかったが、外にあった福禄寿を確認した。
護国寺 布袋尊
布袋尊は和合の神とも言われており、仲良く暮らせる人間の理想の姿を現しているそう。清濁も合わせのみ込むハラをお持ちだそうだ。自分と比べるのもおこがましいが、まだまだだなあ。
屋根の装飾まで布袋さん。
友は南あわじ出身で、護国寺は近所だそう。桜の名所で、だんじり祭りもあるそうだ。
完全に蛇足だが全世界で起こっている片手手袋現象をこちらでも確認した。
万福寺 恵美酒神
770年の僧侶の宿坊として草創したが時代の変遷とともにいつしか退廃。1394年に賀集氏により再興し、寺院となったそう。このあたりの地名が、賀集なので地元の人に愛されている感がある。
ここの恵美酒さんは、木彫りで日本一大きい恵美酒さんだそう。身体の悪いところを触ると良くなるということで、右膝を触っておいた。
覚住寺 毘沙門天
毘沙門天は、勇気の神と言うことで、勇気と決断を授けるお寺。
母の愛に対して、父親の慈悲。愛だけではこの人生の荒波を乗り越えることはできません。中略 父の慈悲と母の愛、相互に相まって一家和楽の風が吹く。
様々な家族像がある昨今に置いて、なかなかどう変換していいか難しい。陰陽図の様に何事もバランスが大事とすればいいかな。優しさだけでは人は育たないとか?
推古天皇の頃(592年)に聖徳太子の命により創建されたと言われている。淡路島でも最古の寺院の一つと言われている。淡路島を巡っていると、船で島に渡らなくてはならないにもかかわらず、奈良・平安時代に建立されている寺、神社が多い。この時代日本の中心は、関西だったのだなと改めて実感する。
団体さんと混ざってしまい、お堂の中はこの日1番の混雑。
全ての七福神を巡り、今年もサバイブできそうな気がしてきている。それぞれの地で言われたり、感じたり、反省したり、元気になったり刺激的な一日を過ごした。
また淡路島の寺、神社はこじんまりとしていて、とてものどかな気持ちになった。毎年1月、2月が最も混む時期と聞いていたが、渋滞もなく心地よく過ごした。交通手段が車一択なので、運転が苦手な場合には、1泊2日でゆっくり回ってもいいと思った。いい温泉もあるそう。
そんなのどかな淡路島だが、頻繁に太陽光パネルだらけの土地に遭遇する。あまりに普通にあるのでびっくりする。田舎の使われてない広い場所はパネルだらけになりがちだ。日本の地方に旅するとわりと見る光景ではあるが。
今回おまけで、イザナギ、イザナミの二柱を祀る淡路の伊弉諾神宮も回ってきた。時間がなくて有名な日時計は観ることができなかったが、淡路島自体の不思議さというか先人の知恵なのかを味わうことができた。
伊弉諾神宮を中心に東は伊勢神宮内宮、西は対馬の海神神社が同緯度に並ぶことが分かった。それだけではなく夏至には諏訪大社(長野県諏訪市など)の方角から日が昇り、伊弉諾神宮を通過して出雲大社(島根県出雲市)の方角に日が沈み、冬至には熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)から日が昇り、高千穂神社、天岩戸神社(いずれも宮崎県高千穂町)に日没することが分かった。
引用: 産経ニュース
偶然かもしれないし、意図して行ったことかもしれないけれども、不思議だ。太陽光パネルで太陽の恩恵を受けて、神々をつなぐ陽のみちしるべとして、今日も淡路島は在るのだろうなあと東京から思いを馳せてこの旅を終わりたい。
ニュースをつけてるだけで気分が悪くなりそうな日々なので、護国寺でもらった布袋さんとともに最近は生きている。おすそわけしたい。今日もおんにこにこそわか!
旅行気分で歩く、秋の吉祥寺 井の頭公園と自然文化園
「私、電動自転車がほしい」
唐突におばちゃんが話し出した。ある日のサウナ。
「え、でもあなた自転車乗れないじゃない」
もう一人のおばちゃんが驚いて返事をした。
「練習すれば乗れるようになるでしょ?」
「いやそうだけど、50も後半になって、自転車乗れるように練習って無理じゃない?しかも電動に乗りたいなんて、危ないわよ。」
その後も危ないと何度も止められても、言い返す自転車乗りたいおばちゃん。白熱したトークに飛び散る汗が、心の目で見える。
「そもそもさ、」
危ないおばちゃんが話し出す。
「なんで自転車乗りたいのよ。車運転すればいいじゃない。免許も車もあるんだから」
「自転車で吉祥寺に行きたいっっ…」
ぼそっとだが力強く乗りたいおばちゃんが言う。
「だったらやっぱり車で行けばいいじゃない」
「自転車で気軽に行きたい!近所の人は、気が向いたら自転車で皆吉祥寺へ行ってる!私も行きたいの!車じゃ駐車場とか探すの大変じゃない!」
そのパッションたるや!その時、サウナの温度、今日は200度を超えたかもしれない。
あまりのパッションに気圧された危ないおばちゃんは
「…。練習頑張ってね」
とエビの如くに水風呂へ向かって行った。よく分からないパッションの前に、共感できない人はハンズアップ全裸で撤退するしかない。
人は他人には理解できない理由で、情熱が燃え上がってしまうことがあるものだ。
「電動自転車で吉祥寺に行きたいのだっ!」というおばちゃんのパッションに煽られた訳ではないが、用事があったので久々に吉祥寺へ繰り出すことにした。もちろん電車でだ。
駅前は今日も混んでいた。何故、吉祥寺に人がこんなに集まるのか、街の歴史についての知識がないのでちょっと意味不明だ。昔から吉祥寺はいつ来ても結構混んでいる。
吉祥寺パルコは数年前に屋上のビアガーデンでフラを踊ったことがある。踊ってる途中で、雷が鳴り出し雨が激しく降り大惨事だった。お客さんは傘をさして、濡れながら肉を焼いていたな。
LL Beanのあたりは、古着屋やタピオカ屋などがあり、裏原宿のようだ。人混みを避けて井の頭公園へ向かう。広い公園ではあるが、なかなかに人がいる。
そのまま少し歩いて、三鷹の境界線を超えてジブリ美術館に到着。
トトロの出迎えにチケットもないのにテンションが上がる。今日のチケットは完売らしい。相変わらずの人気だ。
以前、インバウンドの旅行会社にいた時、「タクシー送迎+ジブリ美術館チケット」と言う商品があった。ジブリ美術館のチケットは海外にある大手旅行会社にしか卸していない。そのため零細企業の我が社は予約が入ると、毎月10日の翌月分チケット発売日にロッピーで予約が入った日のチケットを一気に予約するというオペレーションで回していた。
30分以内にチケットを発券しなくてはならず、何十枚も予約するので、後ろに並んでいる人からの圧と時間との戦いだ。嫌な仕事だ。
ジブリは海外でもかなり人気で、予約がかなり多く、日本の休日に当たってしまうと予約を取れないことも多かった。予約が取れないと返金してもなお、お客様からの苦情が多く、英語で怒られて大変だった。
また取れたチケットは、お客様の宿泊先に送るのだが、手違いで受け取れなかったり、チケットが取れなかった連絡が上手くいかず、予約したサイトのバウチャーを持ってジブリ美術館へ行き門前払いをされた旅行者もたくさんいた。ジブリ美術館に行くために日本に来たのにと言われて、すまぬと謝る対応しか出来ずに辛かったな。
「はるばる日本にやってきて入り口でトトロを見てテンション爆上げの所で、美術館に入れない」という旅行者たちの絶望と「ワシ、経理なのに。予約担当じゃないのに」というつらみが、おもひでぽろぽろだ。
チケットが取れたら、その予約日時に合わせた吉祥寺・三鷹散策は楽しいかもしれない。
せっかくだから自然文化園にも立ち寄った。
檻の動物たちは少し窮屈そうだと思ったが、普段見ることが出来ない動物たちを見ることができて有難い。有難う。ごめんなさい。
くだんの旅行会社にて旅行者にハリネズミカフェのチケットも売っていた。日本に来てわざわざハリネズミに会いに行く?WHY?と思っていたが、普段街で生活していて中々出会えないし、触れない動物がいたら確かに見に行きたいかもしれない。
自然の中でヤマアラシに会ったら、かなりビビる。
入園してすぐの所にモルモットと触れ合える場所があるらしく、行列が出来ていた。触った後に横の水道ですごい勢いで皆が手を洗っていて、そりゃそうだけど何となく何だかなぁという気持ちになった。
こんな檻もあった。もう少しよく写る鏡がいいかもしれない。姿がはっきり写らないのでパンチが弱い気がした。
最も感動したのは、リスの小径だ。
リスの檻の中に人間がお邪魔すると言う仕組み。かわいいリスが縦横無尽に走り回っている。ストレスだったらごめん。時折、リスに紛れてネズミも走っていた。
この愛らしさ。もふもふさ。
白鳥や他の鳥たちも可愛かった。オシドリが想定外の美しさだった。
家からそんなに離れてないのにちょっとした旅行気分だ。昔の嫌なことも思い出したが、それもコミコミの人生だ。
結局、自転車乗りたいおばちゃんには、あれからサウナで会ってない。「吉祥寺電動自転車行軍計画」がどうなったのか、プランも現状も結果も不明だが、吉祥寺は自然と街が共存していて良い場所だ。気軽に行きたくなるのにもうなずけた。
地方出身の仕事仲間は、吉祥寺にどうしても住みたくて駅から徒歩25分の場所に住んでいると言っていた。「レディ、そこはまだ吉祥寺なのかね?」という疑問が湧くが、やはり住んでみたくなるほどいい場所なのだろう。
私はと言えば、ベットタウン育ちなので、駅の周りが栄えてると落ち着かないのと人混みが苦手なので、吉祥寺は用事があってぶらぶらするくらいで良いかな。
結局、夕方までぶらぶらしていたので、LL Beanのツリーに電気が灯っているのが見れた。
負の感情も、驚きも発見も疲れるけれど、全てコミコミで今日もよき1日だった。
今日もお疲れ様でした。
憧憬のハワイ 住みたいかどうか胸に手をあてて改めて考えてみる
ここに一枚の写真がある。
右から、父、母、父方の祖父、祖母である。母に抱かれているのは私だ。撮影された場所は、今から約40年前のホノルル空港の駐車場と聞かされている。
私の人生を振り返ってみれば、特筆すべきこともなく、人に自分の人生を話した時「つまらない人生だ」と言われたこともある。その時は何て失礼な人だと思ったが、言葉の選択がうまく出来ないただの素直な人だったのかもしれない。
山もなく谷もなくドラマティックで運命的でハラハラドキドキな盛り上がりもなく淡々と過ぎていく、日常ゆるふわ系な平穏な人生もきっとあるのだ。
少しのことから多くを感じ取ってしまう性格のため、自分では大興奮の嵐の場面であっても、多くの人にはそよ風が頬を撫でた程の場面なのかもしれない。また心の動揺を避けるために敢えて普通に目立たないように生きている節もあるので、第三者から見た私の人生がつまらないというのは致し方ないことだ。
そんな私とは反対に自分の周りの近しい人は中々に選び取らない選択をし、波乱万丈な人生を送っていたりする。私はバブルリングに巻き込まれるクラゲの様に、時折そこに巻き込まれることがある。「波乱万丈」は私の人生にはあまりかかわりのないワードだが、必要とあらば否応なしに巻き込まれてしまうので、世界はうまくバランスが取れているのかもしれない。
写真が撮影された1970年代、両親はハワイ、オアフ島に住んでいた。父が料理人としてアラモアナショッピングセンター近くのレストランで仕事をしていた。母は生後2か月の私を連れて、慣れない育児と海外生活で苦労をしたと聞いている。
父は思考が自由な人で、ハワイで働くことが決まると、身重の母を残して単身ハワイへ飛んでしまった。母は父の実家に残されて、頑固な昔気質の祖父とその祖父に言いなりの祖母の下で大変苦しい日々を過ごしたそうだ。
私が生まれてからも苦しい日々は変わらず、ある日私を連れて家出し、母の親戚に逃げ隠れていたのを母の祖母が見つけた。母の実家には、折り合いのうまくいかない異父姉がおり、そこに逃げ込むことはできなかったらしい。
すったもんだの挙句、母と私は、ハワイで父と無事に暮らしだした。家出した母を祖父は怒り、私のベビーベッドやら母子手帳やらを捨ててしまったらしい。ランボー怒りの廃棄である。
海外旅行が高額だったと思われるこの時代に、そのランボーが何を思ってハワイに来たのかと、この写真を見ると考えを巡らせてしまう。二人とも既に亡くなっているため、今となってはよく分からない。
この後ハワイに永住することを告げた時、ランボーは「帰ってこなければ勘当する!」と父に言ったそうだ。ランボー怒りの勘当である。そのため両親は永住権を取得する手続きを途中でやめて、帰国した。後に母は「今考えると勘当されても、ハワイに永住すればよかったよね」と言っていた。メンタルタフネス母だ。
私のハワイでの暮らしは、3年弱で終わった。今でもこの時ハワイに永住していればどうなっていたかと考えることがあるが、それはあまり意味のないことに思う。それほどにこの件は昔の話であるし、巻き込まれ事案であるので私にはどうしようもできないからだ。
その後、ハワイに再び訪れることができたのは私が高校生の時だった。
時差ぼけでフラフラの中、ウェルカムランチをホテルで食べている時「何かここいいな」とぼんやりと思った。子供の頃の記憶は全くないのだが、懐かしさを感じた。ハワイは多くの人にとって好きな土地なので、ただの勘違いの可能性も否定できない。
昔、父が勤務していたレストランも当時父と一緒に働いていたおじいちゃん、おばあちゃんが未だ働いていた。当時の話を聞いてとても不思議な時間を過ごした。ハワイに住んでいた当時の友達の家にもお邪魔した。そこの家の子供のおもちゃを取り上げた話等を聞いて、大変申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
この17年後のハワイ再訪は、過去と現在を結びつけるためのギリギリのタイミングだったように思える。
この後、レストランは焼肉屋になり、同僚のおじいちゃんは亡くなり、お友達はアメリカ本土へ引っ越していった。同僚のおばあちゃんとも連絡が取れなくなり、どうしているのか分からない。
最近では、当時日系人がよく行っていたという白木屋も雑然としていたインターナショナルマーケットプレイスも数年前に改装されてしまって、当時の面影はない。ホリデーマートというスーパーだった場所は、ダイエーになり今ではドン・キホーテとなっている。投資用の億ションやビルが立ち並び、ブルーシートの小屋ばかりだったカカアコも開発され、ホノルルはどんどん変わっている。
それでも、ハワイに行けば懐かしい気持ちになり、戻ってきたような気になるから、不思議だ。
日本での今の生活を続けている限り、ハワイに住むことは無理だ。全てを捨てて、ハワイに住む選択肢はないので、50%くらいを捨てて、会社のハワイ支社に長期出張ということでお試しで住むことがお手軽にできるハワイ住みかもしれない。
何とかビザを取ってくれるなら、雇用関係を結んだっていい。しかしその場合、ビザ取得の等価交換として社長に24時間こき使われる可能性が大なので、その膨大なストレスを考えるとなかなか一歩が踏み出せない。
そういう所だ。そういう所が私の人生を平穏たらしめているのだ。平穏な人生時々バブルリングが私にちょうど良い生き方なのだと最近思う。
住むかもしれない、住まないかもしれない、懐かしく感じる、変わっていくことに悲しむ、いいなと思う、育った場所、ただいまという気持ち、一言で言い表せない複雑な感情が渦巻くそんな特別の場所が、私にとってのハワイである。住んだら住んだで順応し過ぎて、東京で生活できなくなるかもしれないリスクもある危険で魅惑の場所でもある。
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詰んでノルウェー、下調べなしでめぐる涙のオスロ 4/30
ノルウェー滞在、最終日。泣いても笑っても、満喫しなければもったいないということで、今日もオスロを歩き回る。
まずはオスロ中央駅 カールヨハンセン通りにある、KAFFEBRENNERで朝食を。チェーン店の様で、オスロのあちこちに店舗があった。
KAFFEBRENNER
最終日だし、残っている現金を使おうとしたら、レジのお姉さんに、「おつりがあんまり無いからクレジットカードにしてもらえるか」と可愛くと言われてしまった。カジュアルにクレジットを使用する習慣がない昭和生まれなので戸惑ったが、言われるがままクレジットで支払った。
ホテルから歩くと20分位かかってしまうのだが、オスロパスがあるのでトラムに乗った。下り坂なので王宮を通って歩くのも楽しい道のりだと思うが、お腹が空いていたのだ。
ラテとブルーベリーマフィンだったと思う。77NOK(1,014円)
ノーベル平和賞センター
お腹も満たされたので、オスロ中央駅前のトラム乗り場から、オスロ市庁舎へ向かう。昨日船に乗った場所だ。
建物は旧オスロ西駅を再利用したものらしい。中に入ると受付、ギフトショップがある。ギフトショップの奥には無料で使用できるロッカーがある。訪れた時の最初の展示が、デリケートな私にはいささかショッキングだった。平和でないと女性は人間として生きていけないなと思った。
スマホを利用したイヤホンガイドがあるので、Wifiをつなぎ使用した方が興味深く展示を回れると思う。
オスロ市庁舎
言わずもがな、毎年ノーベル平和賞の授賞式が行われる会場だ。ノルウェー人の生活や文化が壁画に描かれている。嫌な派手さを感じない、すっきりとした空間。地下には食堂があったが、一般人も入れるのかは不明だった。
2階のムンクの間と渡り廊下。木と石のデザインがとてもノルウェーっぽい気がした。
ムンクの墓
オスロで「叫び」を観ることができなかったが、敬意をこめてお墓参りにやってきた。
他にも多くの有名人がこちらに眠っているようだったが、教養が足らず分からなかった。
公園の中にお墓があるような雰囲気。ベンチで人々がゆっくりしている。日本の墓地とはずいぶん違うものだ。オープンさは谷中霊園のようなイメージかと思われる。高野山の奥の院も森の中にお墓があったが、午前中に行っても大分怖かったし、座ってゆっくりしようという気持ちも起こらなかった。育ったバックグラウンドの違いなのかもしれないが、ここはとてものどかだ。
王宮 衛兵の交代式
毎日13:30から衛兵の交代式が見られるそうなので、王宮へ向かう。どこの国でもそうだが、衛兵は大変そうだ。動かず立ち尽くしていないとならなし、不埒な観光客も寄ってくるし。衛兵は若い子が多いのは体力があるからなのかな。ノルウェーの若きイケメンたちを拝見できる。
Loly ランチ
王宮で交代式を見た後、ホテル近くのLolyでランチ。今回は外の席に通された。こちらの人は外で食事をとるのが好きなようで、あちこちの飲食店で外の席がある。私は外の席は、少し苦手だ。風でナプキンが飛ばないかとかホコリが入るのではないかと諸々気になってしまう。
サーモンバーガーを頼んだ。オスロではサーモンを食す頻度が多かったが、どのサーモンも一様に美味だ。14時過ぎに行ったため、結構な放置プレーをされたが、思いのほかのんびりしてしまった。ホテルも向かいにあるし、安心感がすごい。
水仙の鉢がたくさん置いてあるのだが、花は終わりかけらしくほとんどがしなしなとしている。
お洒落なオスロの人々達だと思うが、細かい事は余り気にしていない所もあって好き。
その後、一度ホテルに戻り、いつもの小休止だ。夕飯まで自由行動となった。友達といつも一緒というよりは、別の部屋で適度な距離感がある方が居心地がいい。
お昼寝しようかと思ったのだが、近くのスーパーを覗きに。なんてったって明日には帰国の途につくのだ。
Coop megaでブラウンチーズを購入。ヤギのミルクで作られたチーズ。まだ茶色の方しか食してないが、あまじょっぱい味だ。どんなパンにも合う。何ならホットケーキにも合う。勢いあまって二つも購入してしまったが、9月現在まだ1つのうち半分も食べていない。一つは冷凍したので、じわじわと楽しんでいきたい。
SYNNOVE(右) 42.9NOK(565円) 、
TINEFLOTEMYSOST(左) 63.9NOK(841円)
高い気もするが、いっぺんにそんなに食べるものではないので良しとした。
Yo! Sushi
最終日の晩餐にふさわしいかどうかはわからないが、ついに米が食べたくなってしまった。オスロ中央駅のツーリストインフォメーションが入っているビルにある、回転すし屋にやってきた。ガリはしょっぱかったが、サーモンはやはり絶品だった。
この場所にはフードコートやカフェ、総菜屋さん、バーなどが入っている。電車の時刻表がかけられているので、電車を待ちながらここで過ごす人も多いのかもしれない。天井が高く雰囲気がとてもいい。
前の席に座っていたノルウェー人と思われるおばあちゃん3人が、スペイン旅行の計画を話しているようだった。白ワインもあけて、大分楽しそうだ。お会計の段になって、一人のおばあちゃんが酔っていたのか、椅子に座ったまま後ろに転倒、後頭部を後ろの壁にぶつけていた。
横の二人のおばちゃんはその様子を見て、「やだ!もーーー」という感じに大笑い!倒れたおばあちゃんも、「飲み過ぎちゃったかしらね」と言う感じのことを言いながら、倒れたまま笑っている。私たちは大丈夫かとおろおろ。
そのうち一人がおばあちゃんを起して、私たちも入れた5人で目が合って、大笑いして、バイバーイと3人組が去っていった。
オスロを前向きな気持ちで満喫しようと頑張っていたが、揺り返してくる悲しみと怒りに終始苦しんでいた。それが最後のおばあちゃんたちの大笑いに救われた気がした。起こった事は変えられないけれど、認識は頑張れば変えられる。
散々な目にあって、オスロを気の向くままにうろついていたが、出会う人はみな優しく、街もオシャレで面白かった。
オスロ中央駅周辺には、カッコいいライブハウスがたくさんあったので、好きな人はナイトライフも楽しめるだろう。余談だが、担当しているお客さんの会社の本社がノルウェー オスロにある。こんな場所に会社があるのか、いい場所だとしみじみ思った。そしてその担当者たちもとてもいい人なのだ。
最後に交通系カードや何とかペイで日本でもキャッシュレス化が進んできていると思うが、オスロのキャッシュレスから比べるとまだまだだと思った。キャッシュレス化が日本では進んでないのはそれなりの事情があると理解はできる。オスロで体験したキャッシュレスは、旅行者にとっては大変便利だった。インバウンドを強化したいなら、こういう所も急いで進めた方がいいだろう。日本ではクレカが使えても、海外発行のカードは使えない店という罠もあるので、頑張ってほしい。
初日に空港でノルウェークローネに100ユーロほど両替したが、ほとんど使わなかった。使わないでも旅行はできたので、少しの滞在ならば両替不要かもしれない。チップの習慣が無いのも大きいと思った。
5/1、日本へ帰国する。この美しい空港を思い出すたびにビター&スゥイートな気持ちになる。いつかそれを凌駕するほどの素晴らしい体験をしにノルウェーに戻ってきたい。「その日まで、さようなら。またね」と心で呟いて、安心安全信頼のフィンエアーの乗り込んだ。
ここまでお付き合いくださいまして、有難うございました。大変な状況の方々もそうでない方々も少しでもゆっくりできる週末でありますように。
詰んでノルウェー、下調べなしでめぐる涙のオスロ 4/29
ノルウェーの物価は安くない。4月29日、30日はオスロ観光をすると決め、少しでもお得に市内を回ろうと、美術館博物館の入園料、交通機関が無料になるオスロパス(48時間)を購入した。655NOK(8,590円)である。
24時間(445NOK)、48時間(655NOK)、72時間(820NOK)の区分でチケットを購入できる。
アプリを入れてオスロパスをクレジットカード決済で購入すれば、ネット環境が無くても、パスを使用する事ができる。
アプリを立ち上げると毎回私のムンクさんが出てきて嬉しい。友達のアプリには現れなかったから特別感がある。
準備はできた。ざっくりの土地勘と地図、そしてオスロパスを持って、オスロを散策していきたい。意地でも満喫する所存である。
ここからは、せっかくなのでお高いオスロパスのお買い得感も検証しながら進めていきたいと思う。
朝ご飯は、近くのパン屋さんへ向かう。昨日は日曜日で閉まっていたお店だ。ヨーロッパに来ると驚くのは、日曜日は定休日のお店があることだ。コンビニやデパートも閉まっていることがある。
Baker Hansen ベイカーハンセン
ホテルから徒歩4分の道のり。この道は洋服屋さんがあったり、コンビニがあったり、なかなか歩くと楽しい通りだった。
イートインスペースで朝のパン屋さんの様子を眺めてる。お客さんが入れ替わり立ち替わりやってきて、とても忙しそうだ。
パンとカフェラテを購入し、食べる。パンはパサパサとしているが、何だか食べたことが無い味がした。お菓子に使う香辛料の様な味。資料を失ったので金額の確認ができなかった。オスロの旅は所々資料と写真が無い。あまり正常な状態ではなかったんだなと思う。
お腹も満たされたので、トラムでオスロ中央駅まで向かい、電車でTøyen駅で下車して、ムンク美術館へ向かう。
ムンク美術館
駅から徒歩4分で到着。公園みたいな場所を歩き向かう。
改装中らしく、展示品はほとんど見る事が出来なかった。もちろん「叫び」も出ていなかった。フィヨルドの恋人のムンクさん人形も売っていないみたいだった。
ムンクの作品は、晩年明るい色彩のものへ変わっていったそう。 そこに何となく希望を感じた。その人にとってのハッピーエンドが迎えられれば、経過はどんなでもいいのだ。
【オスロパスお買い得感 検証】
ムンク美術館 入園料120NOK 無料
オスロパス48時間 655NOK-120NOK=535NOK
併設するカフェ、Stockfleths’ Cofee Shopで、叫びケーキとコーヒーをいただく。まあ普通にチョコレートとベリーのケーキだ。
外には学校の授業で来ているような地元の小学生たちが遊んでいる。肌の色も髪の色も違う子たちが楽しそうだ。こんな環境で育っていたら、今と全然違う価値観で人生が送れそうだなあとぼんやり考えた。
1時間半くらい滞在して、おもしろ彫刻がたくさんあるというヴィーゲラン公園へ向かう。
ヴィーゲラン公園
美しい木立の公園かと思いきやあちこちに謎の像がたくさんある事で有名だ。
園内にはグスタヴ・ヴィーゲランが作った212点もの彫刻が点在し、刻まれた人間の数は650体にも及ぶ。ちなみにヴィ―ゲラン氏は、作品の解説を一切拒否したため、その意味は謎に包まれているらしい。
何故かよく分からない場所を経由させて公園へ行かせようとするマップ。実際は駅から徒歩10分くらいで公園入口に到着する。
パノラマ機能で撮ったら、手がブレて曲がってしまった。
センスが良い方だったら、映えな写真を撮れるのかもしれない。自分の実力が活かせる像をさがすのもここでの楽しみかもしれない。人気の「起こりんぼう」は意外と小さく、写真を撮りにくい場所にあった。お目当ての彫刻を探すのも旅の楽しみかもしれない。
途方に暮れている図。
お昼は市庁舎前の広場で、焼きそばを食す。
意外とおいしかった。1000円位したかもしれない。パクチーは友に全て献上した。
お昼後、市庁舎前からヴィグドイ地区行きのフェリーに乗る。
驚くことに全く写真がない。一枚もだ。
途中、船からアーケシェフース城がちらりと見えて嬉しかった。
【オスロパスお買い得感 検証】
フェリー 48NOK 無料
オスロパス48時間 535NOK-48NOK=487NOK
市庁前から船に乗ること15分、ヴィグドイ地区に到着。ここから坂道を登りノルウェー民族博物館へ向かう。
ノルウェー民族博物館
フェリーと徒歩で30分くらいかかる。
ノルウェーの歴史が建物や展示で体感できる場所でとても楽しかったのだが、写真が何故かこの「狩り用の小屋」のアホ顔の一枚しかない。
歴史的建物170以上が展示されている。中に入れる建物もあり、昔のノルウェーの人々の生活を垣間見ることができる。意外と家の中は狭く、ベッドは小さい。ノルウェー人は背が低いイメージが無いのだが、昔は違ったのか。それとも民族が違うのか。
サーミ族の展示があり(友がめっちゃ興奮していた)、ヴィンランドサガの世界観に入った気分になった。馬車に乗れたり、フォークダンスショーがあったりするようだが、この日は何もなかった。
【オスロパスお買い得感 検証】
ノルウェー民族博物館 130NOK 無料
オスロパス48時間 487NOK-130NOK=357NOK
歩き回って疲れたので、一回ホテルに戻り休憩。アラフォーの旅はこんな感じだ。
お腹が空いたので、夜ご飯を食べに山を下りる。
レストランへ行く途中、国立美術館前を通った、閉館中でここでも「叫び」は観ることができない。「叫び」、現地で見たかったな。
Elias mat & sant エリアス・マット・オグ・サント
ホテルから徒歩10分だが、せっかくオスロパスがあるのでトラムに乗車する。
このパンがとてもしっとりしていて美味。伝統的なノルウェー料理をリーズナブルかつカジュアルに楽しめるお店だ。
トナカイのシチュー(約3,168円)とバカラオ(干しダラのトマトソース煮込み 約3,000円位?)
トナカイは濃厚でおいしい。ベリーソースが個人的に好き。バカラオはタラがほろほろと崩れて、トマトソースと一緒に口でとろける。
ノルウェーは魚介が美味というのは言うまでもないが、トナカイも慣れていない味だがなかなかいける。
【オスロパスお買い得感 検証】
地下鉄、トラム、バスは無料で乗れるので、大体の換算 255NOK (トラム24時間券105NOK+地下鉄 100NOK+バス50NOK)
オスロパス48時間 357NOK-255NOK=102NOK
オスロ市内をうろうろとするなら、やはりオスロパスを購入した方が有利だ。翌日行った、ノーベル平和センター入館料100NOKも無料になるので、翌日のトラム代を考えると元は1.3日で取れる。24時間券でも1日で元は取れることが確認できた。
一日オスロを満喫した。日本ではあおり運転、高齢者の車の運転等ドライバーのマナーについて問題になっているが、オスロでは歩行者優先で運転してくれているので、危ない場面は全くなかった。(スペインでは轢かれそうになったが)トラムもバスも安全運転だ。車は信号のない横断歩道では、当たり前のように止まってくれる。
日本に帰ってきて、スーツケースを引いて家に帰る時、早速横断歩道で轢かれそうになってしまったので、旅の余韻にもひたれないこんな世の中じゃ、ポイズ…。東京はいつも忙しくて、余裕ないよね。
ここまでお付き合い下さり、有難うございます。何か事件がないと旅の話は盛り上がらないのかもしれないですが、ストライキにより財布に矢を受けているので、優しくして欲しい。
ノルウェー旅は、次回で終了です。
良い週末をお過ごし下さいませ。
詰んでノルウェー、下調べなしでめぐる涙のオスロ 4/27-28
比較的運のよい方だと思っているが、うまくいかない旅もある。何があったかは、下記を読んでいただければお分かりいただけると思う。
オスロからトロムソ、ロングイエールビエンまでのフライトがキャンセルになり、健闘むなしく失意のままオスロに帰国日まで滞在することになってしまった。今年のゴールデンウィークの話であるが、なかなかこの傷が癒えず、8月になってそろそろ写真や資料を見ても激しい怒りや悲しみが湧いてこないようになったので、この旅を振り返ってみようという気になった。
北欧の生活や文化が日本でブームになってるようだが、ノルウェー/オスロへの直行便は無く、ヘルシンキまたはコペンハーゲン等から乗り継ぎをする必要があるので他の北欧の国、フィンランドやデンマークへ行くよりは少し不便な場所である。
当初、オスロはトランジットのための滞在だったため、ちょっとご飯食べられればいいかなくらいのノリでほとんど資料もなく、情報収集もしていなかった。イメージとしては、寒いし見る所がほとんどない街だと思い込んでいた。
しかしそれは大きな過ちだった。オスロは、食事はおいしい、治安は良い、おしゃれな街並み、市内の移動はトラムで便利、人は優しい、現金は不要の素晴らしい街だった。悪い点があるとすれば、物価が日本の2倍くらい高い、サウナが無い(ちゃんと調べてなかったので、他のホテルや施設にはあるのかもしれない)ということくらいだ。
物価に関してはフィンランドもなかなか高いと思ったが、それよりも高く感じた。空港で売っていたペットボトルの水は30NOKくらいで、1NOK=13.11円の換算レートだったので、393円位の値段だ。
主なガイドブックは、「地球の歩き方 北欧」のノルウェー/オスロページ61ページ分である。その他、ホテルにあった英語のパンフレットだ。
それでは少しの間、そんな不幸であったが、楽しくもあったオスロ旅を楽しんでいただけると幸いである。以下、日本円表記は当時のクレジット精算時のレートである。
4/27 ヘルシンキからオスロへの移動日
SASのストライキが絶賛継続中の状況で不安を抱えつつ、オスロ ガーデモエン空港に到着。空港のラディソンブルを予約していたのでチェックインを済ませる。
その後ロンドン経由でやって来た友達と合流し、腹が減っては戦はできないと夜ご飯に向かう。空港からオスロ市内への行き方は、鉄道か空港バスになる。何がベストだかよく分からないので、まずはローカル電車のチケット(105NOK、1,380円)を券売機で購入してオスロ中央駅を目指す。
ガーデモエン空港駅の様子。
ローカル電車の車内の様子。普通列車とは思えないようなゆったり座席。
ちょっと北海道っぽいと思ってしまった。
30分位で到着。オスロ中央駅前の様子。到着した時には雨が降っていたが、思っていたより暖かく感じた。駅から少し歩いて、本日のレストランにたどり着いた。
FISKERIET フィスケリエット
サイトはノルウェー語の表記しかないのだが、とてもかっこいいのでよければ見てほしい。魚屋さんが直営している食堂。いわずもがな魚料理がおいしい。帰国時、フィンランド ヴァンダー空港でも同じお店を見つけたので、意外とあちこちにあるのかもしれない。
MANY、ノルウェー語の発音は分からないが英語読みなら可愛い響きだ。
ムール貝をふんだんに持ったスープ。一年分のムール貝を食した気がする。
サーモンハンバーガー。ノルウェーのサーモンは本当に美味。もう一皿は、カルパッチョだった。
3品注文して、557NOK(7,324円)。二人で食べて、かなり満腹になった。フィッシュスープがとても有名らしいが、この日は売り切れだった。隣のテーブルでフィッシュアンドチップスを食べている人がいたが、こちらもなかなかのボリュームだった。次回行く事があれば是非試したい。
帰りは、オスロ中央駅からガーデモエン空港までエアポート・エクスプレス・トレイン(196NOK、2,577円)で戻る。普通電車よりも10分位早く着くが、そんなに急いでなければ普通電車を選んだ方が交通費が半分に抑えられるのでいいと思う。
ホテルの場所によっては、王宮近くのラディソン・ブル・スカンジナビア・ホテル・オスロまで行くエアポートバス(Flybussen) の方が便利だ。金額は、1,79NOK(2,359円)、所用時間は50分だ。オスロ中央駅のホテルに滞在の場合は、普通電車を選んだ方が最もコスパがいいと思う。
4/28 ガーデモエン空港からオスロ市内へ移動
翌日もストライキはやはり終わらず、ロングイエールビエンまで行く希望は絶たれた。何せ行ける交通手段が何もないのだ。朝5時から空港のSASカウンターへ行っていたので、 7時にラディソン・ブル・ホテルに戻り朝食を取り、チェックアウト12:00までの間に、スピッツベルゲン島のホテルやツアー会社、保険会社に連絡したり、今日から帰国日までのホテルの新たに予約をしたりした。
お昼は、フライトがキャンセルになったお詫びにSASのサービスカウンターで貰った、何かのパンとバナナだ。意外とおいしくて悔しい。
チェックアウト後、予約したオスロ市内のホテルへ向かう。
Cochs Pensjonat コクスペンジョナット
90年以上も前に作られた古い建物にあるホテルだ。
シングル、部屋にバストイレが付いているタイプを予約した。簡単なキッチンもついているので、鍋などのキッチン用具をフロントで借りれば簡単な料理はできると思う。私はお湯を沸かすくらいしかしなかったが。
3泊で2,070NOK(27,151円)だったので、一泊9,000円位だ。部屋は清潔、フロントのスタッフは傷ついた私たちに優しかった。このホテルは友人が私が帰国した後に2泊する予定で押さえていたもので、そこに滞在した方が移動の手間がかからないと思われるため、便乗して予約をした。このホテルもSASのストライキの影響でキャンセルが多発したため、運よく部屋が空いていた。
駅からスーツケースを持って24分歩くのは、さすがにしんどいので(しかも上り坂である)、ガーデモエン空港からバスでラディソンブル・スカンジナビア・ホテル・オスロまで行き、そこから歩いた。
https://www.cochspensjonat.no/?page_id=71
荷物を開き落ち着いたところで、近くのノルウェー王宮を散歩することにした。
ノルウェー王宮
夏場には英語のガイドツアーがあるそうだが、この時期は外から眺めることしかできない。
周りの公園はとても平和だ。それぞれが好きなことをしている。デザインも美しい。
王宮前の広場。カール・ヨハン通りがまっすぐに伸びているのが見える。
広場前のカール・ヨハン像。スウェーデン王。ノルウェーは、王宮が完成した1848年はスウェーデンの支配下にあったそう。今、絶賛放映中のヴィンランドサガを観てるので、何となく興味深い。
水仙が咲き乱れていた。
とても素敵な公園なのだが、所々にあるオブジェクトの何かがおかしい。
ヘルシンキは冬に近い春だったが、ノルウェーに来たら初夏というような気候でとても気分がいい。滞在中は、26度あり半袖でも十分な暖かさだった。予定していた旅先にも行けず、ホテル、ツアー代も戻ってこない怒りと悲しみに包まれた心にオスロはとても優しい。
部屋に戻り、友達とホテルの斜め前のレストランへ向かう。
LORRY
キリンが目印のレストランだ。中はちょっとカオスだけど、何となく統一感というか雰囲気があっており落ち着く。ノルウェー料理やカジュアルな地元料理を楽しめるお店。
ガスパチョ。外が暑かったので、ちょうど良い。
焼きサーモンとマッシュポテト。脂が乗ってて、生臭く無いサーモン美味。最高。
シーザーサラダだけど、ベーコン&鶏肉たっぷり。
合計金額はメモし忘れたが、2人で飲み物入れて1万円くらいだったかも。
Lorryの目印と言えば、繰り返しになるが、お店の前のキリンだ。先日キリンが何者かに盗まれたというニュースを友達から聞いた。このブログを書くにあたり「あれ、どうなったのかな」と調べてみたら、何だか無事に戻って来たようだ。地元の人たちも、キリンの帰還を喜んでいるみたいで、結構人気者だったことを知った。
しかしこんなに大きなものを何故盗んだのだろうか。
4/27-28は、ストライキに激怒しつつ、オスロいいね!という感情が混ぜ合わさり、何とも言えない不安定な心持ちで過ごした。必死で悲しみを忘れようと楽しさを見つける努力が涙ぐましい。
4/29-30の旅程に続く。