淡路島七福神めぐり 神話の島と太陽光パネル
七福神をめぐることがここ数年の新年のイベントとなっている。今年は東京を離れて、淡路島にやってきた。
古事記や日本書紀によれば、「イザナミ」「イザナギ」が最初に産んだ島、淡路島。七福神を祀る寺院が広く全島にまたがっていることから淡路島自体が七福神の船としてみなされるているそうだ。
島自体がとても縁起がよさそう。
淡路島の七福神は一日で歩ける距離には無いので、車での移動となる。所要時間は8時間だ。
淡路島は友の故郷であるので、友のことを空想で空目しながら一緒に回ってみたいと考えたのだが、ちょっと我ながらキモいので早々に企画倒れとした。
淡路島の七福神の分部は下記の通り。神戸方面から大黒天から巡り、南あわじの毘沙門天を最後にするルートを取った。
参照:淡路島WEBより
それでは元気に橋を渡って参りましょう〜。
この日東京は、雨また雪の寒い一日だったそうだが、ここ淡路島は春のような日差しと暖かい。晴れ女の斬魄刀卍解だ。
世界最長のつり橋明石海峡大橋で明石海峡を渡れば淡路島だ。この橋ができるまでは本州からの移動はフェリーだけだったそうだ。橋がある無しが人の移動にとても影響する。島の旅は本州の旅と違い時間がかかるし、のんびり旅にはもってこいだが時間がない旅にはちょこっと不便だ。
橋を渡り海沿いの道を走っていくと、はじめのお寺が見えてきた。
八浄寺 大黒天
1394年に建立され、その後他のお寺と合併し、今の八浄寺となったそう。
七福神がお水をくれるかわいい手水場。必要ないのに七箇所全てで手を洗う。
手前にあった大黒さん。箱を下からジャンプして叩くマリオのようだ。チャリーン。
大黒さんの「打出の小槌」は怠け心、よこしまな心、弱い心などの邪悪な心を打ち振って人の迷いを晴らすとのこと。
全てを内包している私の心を打ち振ってほしい。迷いが今日の天気の様に晴れるといい。
宝生寺 寿老人
740年、聖武天皇の勅命をうけて、行基が祈念して、建立されたそう。最近は、大仏建立した方がいいのではと言う事案が多いので、聖武天皇というワードが個人的に目に止まりやすい。
こじんまりとしたお寺。小高い丘に建てられている。
春日大社つながりのお隣さん。鹿が可愛いし、聖武天皇といい奈良と何か関係があるのかもしれない。
智禅寺 弁財天
道がとても狭く、脇の水路にバスが転落しないかはらはらしながら到着。運転手さんの技術がすごい。
入口の真ん中にぶら下がっている紐を引っ張って、ゴーンと鐘を鳴らして入る。表からはどこに鐘がついているのか全く分からなかったのだが、裏側にアンサーがあった。
弁財天さまは、河川の流れる音の音楽の神様。言葉使いも音楽の一つ、何気ないあなたの一言ひとことが、他人を勇気づけたり、傷つけていたりするものです。常日頃、言葉ひとつに他人を思いやる知恵の一言一句が福を積む因でごさいます。
パンフレットの説明にグッときてしまった。繁忙期で殺伐としているため、人の一言に傷ついたりして被害者ぶっていたが、自分もトゲのある言い方をしているかもしれない。反省。
中で住職さんのお話を聞いて、マツコデラックスさん似の弁財天様があると言うので探してみたものの全く見つけられなかった。住職さんに答えを教えてもらい、写真の許可を取った。思った以上に小さい。きゃわ!
とても似ている。話題になっているみたいで、横に神戸新聞の記事も貼ってあった。
長林寺 福禄寿
こちらも737年に行基がこの地に七堂伽藍を創建し、本蔵十一面観音菩薩像を安置したのがはじまり。
901年に菅原道真が九州に赴く時、御堂に参詣したそう。古い。行基や道真など社会科資料集に載ってる重鎮がバンバンに出てきて淡路島すごいな。
こじんまりとしたお寺。中に入ったら普通に個人の法事をやっていたので驚いた。「法事をやってるんで、奥まで素早く進んで下さいー」と促され福禄寿の前までささっと進む。
中の福禄寿はちょっと暗くてよく分からなかったが、外にあった福禄寿を確認した。
護国寺 布袋尊
布袋尊は和合の神とも言われており、仲良く暮らせる人間の理想の姿を現しているそう。清濁も合わせのみ込むハラをお持ちだそうだ。自分と比べるのもおこがましいが、まだまだだなあ。
屋根の装飾まで布袋さん。
友は南あわじ出身で、護国寺は近所だそう。桜の名所で、だんじり祭りもあるそうだ。
完全に蛇足だが全世界で起こっている片手手袋現象をこちらでも確認した。
万福寺 恵美酒神
770年の僧侶の宿坊として草創したが時代の変遷とともにいつしか退廃。1394年に賀集氏により再興し、寺院となったそう。このあたりの地名が、賀集なので地元の人に愛されている感がある。
ここの恵美酒さんは、木彫りで日本一大きい恵美酒さんだそう。身体の悪いところを触ると良くなるということで、右膝を触っておいた。
覚住寺 毘沙門天
毘沙門天は、勇気の神と言うことで、勇気と決断を授けるお寺。
母の愛に対して、父親の慈悲。愛だけではこの人生の荒波を乗り越えることはできません。中略 父の慈悲と母の愛、相互に相まって一家和楽の風が吹く。
様々な家族像がある昨今に置いて、なかなかどう変換していいか難しい。陰陽図の様に何事もバランスが大事とすればいいかな。優しさだけでは人は育たないとか?
推古天皇の頃(592年)に聖徳太子の命により創建されたと言われている。淡路島でも最古の寺院の一つと言われている。淡路島を巡っていると、船で島に渡らなくてはならないにもかかわらず、奈良・平安時代に建立されている寺、神社が多い。この時代日本の中心は、関西だったのだなと改めて実感する。
団体さんと混ざってしまい、お堂の中はこの日1番の混雑。
全ての七福神を巡り、今年もサバイブできそうな気がしてきている。それぞれの地で言われたり、感じたり、反省したり、元気になったり刺激的な一日を過ごした。
また淡路島の寺、神社はこじんまりとしていて、とてものどかな気持ちになった。毎年1月、2月が最も混む時期と聞いていたが、渋滞もなく心地よく過ごした。交通手段が車一択なので、運転が苦手な場合には、1泊2日でゆっくり回ってもいいと思った。いい温泉もあるそう。
そんなのどかな淡路島だが、頻繁に太陽光パネルだらけの土地に遭遇する。あまりに普通にあるのでびっくりする。田舎の使われてない広い場所はパネルだらけになりがちだ。日本の地方に旅するとわりと見る光景ではあるが。
今回おまけで、イザナギ、イザナミの二柱を祀る淡路の伊弉諾神宮も回ってきた。時間がなくて有名な日時計は観ることができなかったが、淡路島自体の不思議さというか先人の知恵なのかを味わうことができた。
伊弉諾神宮を中心に東は伊勢神宮内宮、西は対馬の海神神社が同緯度に並ぶことが分かった。それだけではなく夏至には諏訪大社(長野県諏訪市など)の方角から日が昇り、伊弉諾神宮を通過して出雲大社(島根県出雲市)の方角に日が沈み、冬至には熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)から日が昇り、高千穂神社、天岩戸神社(いずれも宮崎県高千穂町)に日没することが分かった。
引用: 産経ニュース
偶然かもしれないし、意図して行ったことかもしれないけれども、不思議だ。太陽光パネルで太陽の恩恵を受けて、神々をつなぐ陽のみちしるべとして、今日も淡路島は在るのだろうなあと東京から思いを馳せてこの旅を終わりたい。
ニュースをつけてるだけで気分が悪くなりそうな日々なので、護国寺でもらった布袋さんとともに最近は生きている。おすそわけしたい。今日もおんにこにこそわか!