1泊2日で巡る松山~高松 未知の島、四国へ
島には何となく閉塞感や独特の空気があるような気がする。
国全体を見れば、日本も島であるが、内陸県の埼玉で育ち、居住地の大移動も転勤も無い人生をこれまで歩んできたので、本州は何となく島感が薄い気がする。飽くまで、個人の感想である。
2018年2月、11:05、四国に始めて上陸した。羽田発9:30、ANA585便は通路側だったし、座ったらたちまち寝てしまったため、飛行機から降りたら、愛媛、松山空港に到着していたという体たらく。島に到着した感は全くなかった。
松山の道後温泉の改装工事が行われる前に訪れたかったのと、友だちが松山に住んでいたので、ずっと来てみたいと思っていた。そんなに行きたかったくせに、有効期限が切れそうなマイルを利用しようとしたため、行き:松山、帰り:高松の飛行機しか取ることができなかった。ケチである。
というわけで、いい歳の割に弾丸ツアーになってしまったが、欲張りな大人の貴方のための、1泊2日で巡る松山・高松の旅をまとめてみた。
松山空港よりリムジンバスに乗る事15分、松山駅前に到着。すぐに目についたのは、いよてつの路面電車。可愛いみかん色。
路面電車を大街道で下車、お昼を軽く食べて、お散歩がてら松山城へ向かう。
1. 松山城
春や昔 十五万石の 城下哉 ー 正岡子規
松山城は、武将、加藤嘉明が1602年に築城を開始し、4世紀半かけて完成したそう。サグラダファミリアもびっくりな年数だ。標高132mの勝山の山頂に本丸、中腹に二之丸、ふもとに三之丸がある、連郭式平山城である。見る角度によって、異なる様子を見せる大きな城だ。
天守閣は行くには、徒歩、リフトとゴンドラと手段がある。2月中旬だが、いいお天気だったので、リフトを選択。友達は運動がてら、徒歩でよく登るらしい。リフトから下を見ると結構歩いている人もいる。
リフトから降りて、緩やかな上り坂をおしゃべりしながら歩く。
石垣が天高く伸びていて、美しい。
本丸前の広場、ちょうど梅が満開で綺麗だった。
大天守からの眺め。この天守は江戸時代に建築された12天守の1つだそう。昔のお殿様もこの城下の景色を見ていたのだろうか。小高い場所に立っているけれども、山城と違い回りが街なので、何となく偉くなったように感じる。見晴らしは良くなかったが、霞がなかなか春らしさを醸し出していた。
中に入ると甲冑を着用して、写真を撮ったり、カタナの重さを体験できる。
2.10FACTORY 松山本店
15:20、愛媛と言えば、みかん。オレンジジュースをいただく。何の種類を飲んだのか忘れてしまうという痛恨のミスをおかしたが、非常に美味であった。
松山城から、いよてつ大街道駅に戻る道にはたくさんのカフェやおしゃれショップがあって、のんびり散策してしまった。
3.第51番札所 石手寺
道後温泉駅へ移動、荷物をホテルに置いて、16:30、石手寺へ向かう。四国お遍路の札所の一つで、神亀5年に桓武天皇の勅命で創建したという、とても古いお寺だ。金剛力士像は雲慶派、薬師如来像は行基の作とされており、仏像クラスタにも興味深いお寺だと思われる。
四国遍路を歩くことに少しだけ興味があり、四国の札所の一つに訪れたく思っていた。道後温泉から歩いて15分位だったので、旅程に組み込んだ。
一言でいうと、黄昏時のお寺は腰が抜けるほど怖い、ということがよく分かった。熊野古道を一緒に歩いたP氏も四国遍路は、怖い雰囲気のお寺があるので、やらないと言っていた。高野山もそうだったけど、個人的に密教は、かなり神秘的でそれゆえに怖さを感じる。
本堂の前の門。お遍路さんもいた。
大仙窟、マントラ洞窟、この後先に進んで、漏らすかと思うほど、怖かった。
境内には人がいたのだが、奥の院への道には人はいない。山(森?)の中に入っていく。
山の中の一木彫りの羅漢像たち。括りつけられている。
ちょっともう難しい。中川ホメオパシー先生風の建築物。
道路沿いに突然現れる。怖いよう。
写真は結構明るく映っているのだが、2月の17時あたりの時間帯だったため、結構暗かった。
石手寺に伝わる名前の由来の話は有名で、春風亭昇々さんの創作落語「弘法大師」でも聴いたことがある。
4.鯛めし 宇和島風
17:40、丸水 道後店。宇和島風なので鯛のお刺身に卵をかけていただく。松山は魚介類が新鮮で美味しい。ほっこりする。
5.道後温泉本館
十年の 汗を道後の 温泉に洗え - 正岡子規
18:30、ついに道後温泉 本館にやってきた。
せっかくなので、霊の湯(たまのゆ)3階個室を選択。入口はかなりの混雑だったので、何分待ちになるのかなあと心配していたが、待たずに3階個室へ案内された。
お風呂は、42度と熱め。お客さんが長湯をしないように熱くしていると友人は言っていた。お店の趣旨に反するが、これで水風呂があれば完璧なのにと思った。3階の霊の湯はとても狭くて、5名も入ればいっぱいになってしまう。その後、一階の神の湯をはしご。
湯上りに坊ちゃん団子とお茶をいただき、おいしそうなジュースを飲んでまったりとした時間を過ごした。
写真撮影は禁止だったのだが、夏目漱石が利用していた3階の部屋や、皇室専用の風呂を見学して楽しんだ。漱石が先生をしていた頃の写真を見たが、イケメン過ぎて驚いた。
2月の夜だというのに、館内は暖房も入っておらず、窓は開けっぱなし。お風呂に入って、身体を冷ますのにはちょうど良かったけど、働いている人たちは寒くないのかな。
温泉あり、城あり、みかんあり、鯛めしあり、路面電車ありで、1日ではとても時間が足りない。魅力あふれる松山は、正岡子規や夏目漱石の聖地だったり、坂の上の雲ミュージアムもあるので、文学、明治時代好きクラスタも楽しめるなと思った。
宿泊した「道後やや」のフロントでは、2種類のみかんジュースが蛇口から出てくる。飲み放題なんて最高かよ。
こんな素敵な松山旅だったのに、何故一年も下書きに眠らせていたのか。それは、お寺の怖さを思い出したくなかったことが原因だろうと思われる。
先日、久々に会った友達とこの旅の思い出話していたら、「お遍路は、霊感なくても怖い所多いよ。お寺に行くなら10:00~14:00の晴れた日がいいよ。あと、お遍路さんには、行方不明者が多いのも怖いよね」と言われて、鳥肌がたった。
「水曜どうでしょう」でも、お遍路するたびに、大泉さんが病気になったり、変な音がしたり、車のエアコンが壊れたりする回があったし。このブログを書いている時も、インターネットの接続がおかしくなったり、編集や保存ができなくなったりした。が、新年早々、それらは怖いから、秘密である。
高松へ続く
熊野古道 小辺路 高野山 大団円 Day4
今日、私たちを濡らした雨は、夜になっても降り続いていた。濡れたものを部屋の洗濯ロープにかけて乾かし、雨音を聞きながら、眠りについた。
「高野山でケーキを食べよう!」
出がけに、リーダーが言った一言で、俄然やる気が出た。普通に生活していたら、普通に食べられるもののはずなのに、ケーキがとても甘美なものに思えた。ここ数日、甘味と言えば、みかん、干し芋、かぼちゃ等だったためだろう。
本日の行程は、16.8㎞、所用時間6時間40分である。
出典
高野山(高野町)~水ヶ峰(奈良県野迫川村)|和歌山県観光情報 公式サイト わかやま観光情報
本日のクライマックスはスカイライン合流から丁石の間のここだろう。登らせておきながら、高野龍神スカイラインの途中から一気に下らせて、一気に登らせる。こういう道が突然現れると、へとへとな旅人の心を折るのだ。
昨日の雨が嘘のように上がり、悔しいほどに何事もなかったようないい天気だ。
8:40、大股登山口より出発。お決まりの厳しい熊野古道への入口。もう分かっている、ここは半歩歩きで呼吸を整えながらゆっくり進むのだ。
落ち葉や石が濡れているけれども、泥で歩きにくいわけではなかった。ただ滑るのでひたすらに気を付けながら登る。空気がしっとりしている。
9:10、ふと見れば、既に高い所にいるのが分かる。文明が遥か彼方に見える。またしばらくは、文明とお別れかと思ったのだが、
9:12、しばらく車道を歩き、車道から再び山道へ戻る。
どうやら今日の行程は、車道と山道を交互に進んでいくらしい。車道ができたため、熊野古道 小辺路の途中の道は失われてしまったそうだ。
9:45、車道を歩く。珍しく、リーダーが後ろを歩いている。結構距離があるように見えるのだが、すぐに追いつかれる。ロンドンの街中を普通に歩いているかのように、山道も車道も関係なくすいすいと歩いている。仙人なのかな。
10:40、林道タイノ原からの眺め。緩やかな道が続き、昨日の様な悲壮感は全く感じない。この度始まって以来、話をしながらの楽しい道のりだ。
熊野古道で会社の愚痴は全て、山道に解き放とうと思っていたのに、あまり出てこない。この3日間歩いている間にか霧散してしまったのだろう。
10:55、水ヶ峰分岐に到着。予定所用時間は2時間10分なので、ほぼ予定通りに進んでいる。熊野古道を歩きだして初めて「何これ、楽しい!」と思った。
山道も本当になだらかで、歩きやすい。おまけに天気も素晴らしい。
ここは明治中期に多くの宿屋があったそうだが、交通網等の変化に伴い、巡礼者の往来が減り、農業を行うにも高地で条件が悪かったため、1952年に完全に廃村となってしまったそうだ。集落跡には、旅籠・屋敷・神社等の石垣、共同墓地らしい墓石が残るだけである。
11:09、熊たちのテリトリーを抜け、高野龍神スカイラインに合流する。
この地点に出る少し前に、一人で山道を歩いている女性と出会った。熊よけの鈴の音が、とても澄んで美しい音色だった。歩くペースで鈴は揺れて、静かな山道をキラキラした金粉が風に舞っているような音だった。
12:00、大滝集落に到着。ここでお昼のお弁当を食べる。リーダーの上着のポケットから、みかんが5個も6個も出てきて、思わず笑ってしまった。彼は、いつも休憩時にはみかんをくれたのだが、ここから出ていた事に今日気が付いた。
高野山まで、約5㎞、この辛かったような、楽しかったような旅も終わりに近づいている。
13:10、今日のクライマックスの急な下りが始まった。アスファルトの下り道は本当に膝に響く。高尾山の一号路のアスファルトの下り坂をほうふつとさせる。
下ったと思ったら、再び登らせられる。分かっていた、それは分かっていた。気持ちが負けたら身体が動かなくなる。大丈夫、大丈夫。3日間歩いた今日なら、何とかなると分かっている。そして、この先にはケーキが私を待っているのだ。
13:45、薄峠に到着。高野山まであと3㎞弱。
終りの気配があるけれども、「まだだ、まだ終わらんよ」とシャア様ボイスが回る。落ち葉と枯れ木と小石の道を登る。
14:20、ろくろ峠に到着。車のわだちが、もう熊野古道が終りに近い事を感じさせる。昔の巡礼者もそんな気配を感じながらこの道を歩いただろうか。
家が見える。人の住んでいる気配がする。もうすぐだ。
14:30、金剛三昧院入口、ついに小辺路の終点に到着した。5時間50分の道のりだった。あんなに求めていたゴールなのに、終わりは突然に訪れた。
柿のケーキと豆腐のレアチーズケーキとコーヒーで乾杯。同行者の一人とはここでお別れになった。その時、旅の終わりを強烈に認識し、思わず泣いてしまった。
72㎞、3泊4日をかけた熊野古道 小辺路の旅は無事に終わりを迎えた。歩き終わったからって、何かが強烈に変わるわけではないが、少しだけ、「意外と体力あるな」と自分に対する認識が変わった。
1ヶ月が経ち、すっかり東京生活モードに戻ってしまったが、時折思い出す。あの時の静けさ、自分の呼吸や鼓動、熊野古道で出会った人達の事を。あの場所の日常が、私の非日常なのはとても不思議な感覚だ。
私たちは過去を積み重ねて生きていく。その過程の中に小さな旅がいくつもあり、困難に見えても始めに決めていたゴールにたどり着けることもあるし、別の分岐に進むこともある。一つの旅が終われば、また次の旅が始まる。それを繰り返し、息絶える日まで進む。
だから、いつも自分の心に問いかける。
「さあ次はどこに行こうか?」
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2018年も有難うございました。これからも当たり前だけど当たり前ではない毎日を、大事に生きていきたいと思います。来年の大きな旅は、ノルウェー、北極圏 スピッツベルゲン島です。シロクマと戯れたい。楽しみ。
皆様良いお年をお迎えください。
今週のお題「2019年の抱負」
熊野古道 小辺路 雨の伯母子峠越え Day3
「明日の天気は、雨だね」
農家民宿山本のご主人の一言で私は凍り付いた。とてもおいしい夕飯をいただいて、奥さんと同行者と歓談している所だったのに。
雨の中、ゴワゴワの雨具を着て歩くことは、「八甲田山の死の行軍」を私に思い出させた。今から考えるととても大げさだが、その時の私は「詰んだな」と思った。何とか2日間歩くことができたが、これまでの道のりを考えると、天候にも大きく助けられていた。
「すいません。明日、雨だったら、バスで到着地まで行ってもいいでしょうか」
素直に皆に不安の気持ちを伝えた。気を使いすぎて自分の意見や気持ちをなかなか言えない今までの自分では、ちょっと考えられない行動だと思った。でもこのいい人たちに迷惑をかけるわけにはいかない。
その弱気発言を受け、明日の行程で「大変な山道の部分」や「雨が降り始めるかもしれない時間にどこまで歩いていれば大丈夫か」を話し合い、本当に土砂降りならば歩くことはできないからと明日の朝の天気で決めようとなった。話ができたことで、とても安心して、寝る頃には濡れても大丈夫なように荷物を包みなおして、歩く心の準備ができた自分がいた。
ついに朝が来た。外を見れば、曇りで雨はまだ降っていない。天気予報を確認すると雨は午後からの予報になっていた。今日の工程は、伯母子(おばこ)岳登山口から大股バス停までの15㎞、所用時間6時間30分の予定。
2日間歩いてきて、大変そうな山道が分かるようになってきた。今日は比較的なだらか道のりだが、伯母子岳登山口から水ヶ元茶屋跡までの上り坂がなかなか大変だと高低差で分かる。最初の1時間30分くらいの登りを頑張れば、後は1,246mの峠まで登るだけだ。下りも緩やかに見える。
出典
水ヶ峰(奈良県野迫川村)~三浦口(奈良県十津川村)~柳本橋(奈良県十津川村)|和歌山県観光情報 公式サイト わかやま観光情報
8:40、伯母子岳登山口から今日の熊野古道ミッションがスタートだ。何とか雨に追いつかれる前に、難所を通り抜けねばならない。曇りの為、少し寒いが、すぐに心拍数が上がりだし、身体が熱くなってくる。
9:26、1.3㎞登り、待平(まちだいら)屋敷跡に到着。雨はまだ降ってきていない。ここに一軒お屋敷があったそうだ。お寺があったとも、茶屋があったとも言われているらしく、熊野古道を通る人々をここで見守っていた人がいたのかなと想像する。
10:35、休憩。気が付くと今日も高い所に登ってきていた。民宿で会った、民俗学を研究しているという男性の話を時折思い出す。山を登ることで自分を見つめなおしたり、呼吸に集中していることは瞑想すると同じことだと話していた。娘さんと一緒に、この地域に残っている集落で色々な話を聞いたり、調査をしているそうだ。
熊野古道を歩きだして、十津川温泉を出発してからほとんど人と会わない生活をしている。時折山から見える、山間の集落に住んでいる人々はどんな話を語るのだろうか。聴く人、残す人が居なければいつか消えていく、人の生きてきた歴史や独特の習わしはどんなだろうか。
10:40、水ヶ元茶屋跡に到着。弘法大師の祠。天気はまだ曇り。太陽が出ないせいか、とても寒く、立ち止まると体が途端に冷えてくる。
11:35、上西家跡に到着。予定所用時間は、1時間40分なのだが、3時間かかってしまった。3日目にもなると疲れが出てくるためだろうか。ここはかつては、旅籠だったそうだ。米や魚を運ぶ人々や高野詣でをする人々が泊まったり、とても賑やかな場所であった。今はその気配は全く感じない。静かな初冬の山だ。
少しずつ天気が崩れてきた。立ち込める霧、山々が呼吸しているみたいだ。「蟲師」のギンコもこんな山々を歩いたのだろうか。みかんや干し芋、黒にんにくを食べて栄養補給。この辺のみかんは本当に味が濃くて甘い。
休憩を終り、少し歩き出すと本格的に雨が降ってきた。すぐに雨具を着て、リュックにもカバーをかける。ここから、雨具を打つ雨音と雨具のこすれるゴワゴワ音、自分の呼吸音とともに歩く。何だか一人で騒がしい。
通常、熊野古道は、伯母子岳の頂上は通らないことになっている。峠を通過するだけなのだが、今年の夏の台風により、迂回路が設置されており、通常ルートを通ることができなかった。
地図に無い迂回路はなかなかの難所だった。人があまり通っていないのか、土がふわふわとしていて、歩きづらい。道は分からないので、ロープや木々に結ばれている黄色やピンクのテープを目印に急坂を登る。ここはなだらかな道だったはずなのにと見上げても、雨が顔面を打ちつけるだけだ。霧が出てきて、視界が狭い。
13:00、伯母子岳山頂(1,344m)に到着。100mも余分に登ってしまった!
晴れていれば、大峯の山々を見渡す爽快な景色が楽しめるそうだが、今日は真っ白だ。それはそれで幻想的であるけれども、スティーブンキングの「ミスト」やゲーム「SIREN」を思い出して、背筋がぞっとする。怖い想像はいけない。こんな状況では本当によくない。こんなへとへとだったら、まじで何からも逃げられない。
13:15、どんどん雨が強くなる。木の下で雨をしのぎながら、お昼は立ったまま終了。寒い。防水の手袋は既にびっしょりだ。雨具はゴアテックス素材の為、本体は無事だ。
すぐに出発。雨で濡れた落ち葉や隠れて見えない石ころで転ばないように注意しながらひたすらに下山。景色を見ている余裕はなかった。
14:50、萱小屋跡に到着。ほっと一息。屋根があるって安心するんだなとしみじみ思い、皆としばし歓談。
15:30、人の気配がする場所まで下りてきた。とても安心するのだが、肝心の人がいないのが怖い。平日だし、皆働いていらっしゃるんだろう。夜になると、どこからともなく赤く光る目の人々が、集落を徘徊するという、そんな恐怖展開ではないはずだ。
濡れたアスファルトの急坂を半歩歩きで、ゆっくり下りていく。山道より滑る。
ああ、よく見ると、民宿からのお迎えの車がいるではないか!(右下)
15:40、本日のミッションも無事に完了。7時間かかったが、途中の大幅な遅れを取り戻したのが驚きだ。やってみれば何とかなるものなのだ。
夕食のぼたん鍋が疲れた体にしみた。民宿のお兄さんは鍋奉行だったよ。
泣いても笑っても、明日は最終日。足の皮は今日も耐えた。これはもう高野山へ無事にたどり着くしかない。
Day4、最終日に続く
寒い日が続きますが、皆さま風邪などひかれないようご自愛くださいませ。有難うございました。
熊野古道 小辺路 十津川温泉〜三浦口 Day2
「あれ?」
怒涛の1日目から一夜明けた朝、お布団から起き上がった身体は思ったほど疲れてはいないように思えて拍子抜けした。
宿泊した田花館の温泉は、源泉掛け流しのぬるっとしたお湯で疲労回復にも効くとの事。朝は6:00からお風呂に入れるので、更なる疲労回復を目的に朝風呂に入る。お湯は飲む事も出来るらしく、飲むと硫黄の匂いの味がした。
今日の行程は、十津川温泉を出発して、三浦口バス停辺りまでの19.2㎞、時間7時間50分の予定だ。そう、私は経理人、数字に圧倒されたら負けなので、素直な気持ちでクールに現実を受け止めるのだ。それが マイルール。
出典 わかやま観光情報
水ヶ峰(奈良県野迫川村)~三浦口(奈良県十津川村)~柳本橋(奈良県十津川村)|和歌山県観光情報 公式サイト わかやま観光情報
近くの商店で簡単な買い物をして、8:30に出発。9:30に西中バス停までの約8㎞の歩行を省いてくれる素敵バスがあるらしいが、乗らず歩き始めた。
歩き始めてみるとハーフマラソンを走った日の翌日の様な激しい筋肉痛はない。温泉が効いたのか、または山道は意外と身体に優しいのかもしれない?
昨日は暗くて全く景色が見えなかったが、十津川温泉はとても素敵な場所だった。
9:14、歩き出してすぐに今日一番のハイライトが来てしまった。目的地まで行くのに、柳本橋は必ずしも渡る必要は無いのだが、熊野古道だからきっちり渡る。
これは、高尾山の吊り橋とは全く別物だ。とにかく揺れる、板が心もとない。所々修理をしているらしく、新しい板と古い板が混在している。足を踏み外さない様に下を向くので、見ないようにしていても高さを認識してしまい恐怖に足が止まる。前を歩く3人が私に意地悪をしてるのかと疑ってしまうほどに橋は揺れた。渡り終わった後、手汗を拭きながら、今日はもうこれでお腹いっぱいだなと思った。
その後は驚くほど平和な車道をひたすら歩く。緩やかな上り坂が徐々にHPを削る。
途中で9:30発のバスに抜かされ、羨ましげにバスを目で追った女が、「乗りたかったなあ」と独りごちた。
10:30、最後の喫茶店にたどり着いた。ここから先、高野山まで喫茶店はないらしい。昨夜宿泊した十津川温泉の温泉で入れたコーヒーは、まろやかで身体に染み込む。硫黄の味はしなかった。温泉水は、十津川温泉のお友達の宿から分けてもらっているそうだ。
喫茶店のお母さんにミカンを貰って、出発。バスに乗りたかった女は、歩いたからこそこれたいい店だったなと、少し前の自分を反省した。
11:10、山道まではまだまだ歩く。
11:40、西中バス停を過ぎ、ついに登山口に到着。ここまでの距離は約8㎞。約11kmの山道との戦いはここから始まる。
何だか荒れている山道。登山道付近で下山してくる男性とすれ違ったただけで、人気(ひとけ)はない。そのためだろうか。
13:10、昨日と同じようにマイペースで地面だけを見て登る。最近著しくハマっている「宝石の国」のパパラチアが「慎重にな」とフォスフォフィライトに言いながら倒れる場面がぐるぐると回る。
13:30、今西集落を見ながらお昼。時折、下の方でパーーーンと言う銃声がする。狩猟をしているようだ。それ以外は何も聞こえない。
14:16、お昼を食べてもまだまだ歩く、三浦峠よ、何と遠いのだ。
15:00「咳をしても一人」な気分。前にも後ろにも誰もいないのだ。
15:10、「もうすぐ峠だよ〜」という先見隊からのかけ声で上を向くと日が明るく森を照らしている。
15:30、三浦峠(1,080m)に到着。
峠にたどり着く、少し前、突如下山してくる20名程の団体さんとすれ違った。汗ダラダラで、死に体で登っている私に、綺麗な登山服、気力に満ちあふれた人々が「お先にどうぞ」と道を譲ってくれた。
「後生ですから、お先に下りて下さい…」と喉元まで出かかったが、「頑張って下さい」「もうすぐ峠ですよ」と善意に満ちあふれた笑顔な人々に負けて、少しペースを早めて20mほど張り切って登ってしまった。
案の定、呼吸が乱れて、その後しばらく動けなかった。本物の登山好きは、皆あんな感じなのかなと思っていた。だか、その夜、宿の方と雑談をしていたら「三浦峠まで車で来て、下山する団体さんが来てましたよ」と言っていた。あの人たちだ。そうだよね、3泊4日分の荷物を背負って歩き続けていたら、そんな爽やかキラキラ訳ないよなと心の中で大いにうなづいた。
ここからは下りだ。膝に気をつけながら、マイペースで歩く。ススキがキラキラしている。(こちらは頂いた写真。下りで膝を怪我するのが怖すぎて写真を撮れなかった)
16:05、三十丁の水に到着。「水あります」の表示に水分を補給しようと進んだら、水の雫がぽたりぽたりと落ちているだけで、飲める程の水量が無かった。ショック過ぎて、水場の写真を撮り忘れてしまった。無理した私の20歩を返して下さい。
16:30、急な下り坂と1.4km戦い、吉村家跡の防風林に到着した。樹齢500年前後の巨大な杉。かつて旅籠がここにあったと言われている。
次第に暗くなってくる森。何だか怖くなってきた。
17:00、民家の間を抜ける。その後、1.2km歩いて車道に出た所で、日が落ちて真っ暗になった。今日もギリギリセーフだ。
17:30、下りきった所で、宿の方が迎えに来てくれていた。遭難したわけでも無いのに、暗闇でまっすぐに光る車のヘッドライトに「助かったぁ」という気分になった。
今日は、出発してから、到着まで9時間かかった。昨日の宿からスタート地点までの時間を考えれば、8時間くらいで今日の道は歩けた。まずまずのペースだったと思う。
宿について、靴を脱いで歩いた瞬間、足の皮が裂けたと思ったが、気のせいだった。今日も何とか乗り切ったのだ。生き抜いた。有難う、足の皮、マイペースで歩かせてくれる皆さん、お天気、熊野古道。
Day3に続く
熊野古道の旅から2週間たったのですが、1週間目に足の小指の爪が死に、親指と中指の爪が途中から割れ、2週間目にホルモンバランスが崩れて体調不良になっております。現在、疲れの追撃を受けている模様。
急に寒くなりましたし、皆様ご自愛下さい。
良い週末を。
熊野古道 小辺路 熊野本宮大社〜十津川温泉 Day1
自分の行きたいところへ、自分のタイミングで行く、一人旅も好き。周りの誰かと一緒に行く旅も好き。団体旅行は、楽だけど忙しくて苦手。
私の場合、誰かと一緒に行く旅は、たいてい”誘われ旅” だ。誘われて旅に出る、誘われ旅は、自分の発想の外からやってくるので、新鮮な気付きと刺激を与えてくれる。
熊野古道のうちの一つ、小辺路72kmを3泊4日で歩く旅は自分一人であったならば、決して候補には上がらなかっただろう。
旅のきっかけについては、準備①をご参照いただければ。
誘われなければ、一生行く事はなかったであろう熊野古道への旅は、不安と興奮の中ついに始まってしまった。
旅の仲間は、男性(イギリス人)1人、女性(日本人)3人の4人。2年前に小辺路を歩いたというイギリス人のPさんに案内されて3名がついていくという、中々に面白い旅だ。お一人はイギリス在住、もうお一人はイギリスに20年住んでいたので私以外の2人が英語堪能。困ったら頼ればいいので言語の部分は安心だ。
熊野古道については、海外での方が知名度が高い様に思える。サンティアゴ・デ・コンポステーラという、スペインへ向かうキリスト教の巡礼の道があり、そこと熊野古道は提携している。熊野古道とコンポステーラを制覇すると、バッチだか何か証明書の様なものが貰える。
今回の道中、ほとんど人と会わなかったが、民宿の方々は、ここ数年で外国人の方の予約が増えたと話してくれた。
今日行程は、熊野本宮大社から十津川温泉までで、距離15km、所要時間7時間だ。
出典
十津川温泉(奈良県十津川村)~熊野本宮大社(本宮町)|和歌山県観光情報
9:45、まずはスタート地点の熊野本宮大社で旅の安全を祈る。
10:00、出発。途中までは、中辺路を歩いていく。ゆるい上り坂で、着ていたフリースは早々にリュックの重みになった。
その後、中辺路と別れ、車道に出る。熊野川を見ながら、アスファルトの道を歩く。
11:09、途中の道の駅で、お昼ご飯を購入。同行者は、黒にんにくや干し芋を購入していた。女性の一人歩きだった行方不明者のポスターを見て、これから行く道の大変さを何となく感じた。
ここまでは楽しいハイキングだった。八木尾バス停から、小辺路が本気を出してきた。
11:30 、八木尾バス停
これは、小辺路の特徴なのか分からないが、車道から山道に入る時の坂は半端なく急だ。体感で45度くらいの傾斜を感じる。
数歩登ると呼吸が上がって進めない。慣れない山道で登り方がよく分からない。大股で登るのはとても無理だ。心臓がどくどくと音を立て、血液が身体中を巡る。汗がつぅっと流れる。
動画で研究した、ストックの使い方と半歩歩きを思い出し、ペースは気にせずに登るしかない。
前を見ると先に進む皆の背中と延々と続く坂道に、発狂しそうになるので、ひたすらに地面を見て歩く。秋のためか、沢山の落ち葉で覆われた山道は色とりどりだ。そのせいで、遠近感がなくなり、目が回る。
自分のはーはーという呼吸の音しか聴こえない。皆、先の方へ行っているので、気配も感じない。風もない、鳥の鳴き声もしない、携帯の電波も入らない。静かだ。
自分の呼吸を聴き、地面を見ながら、ひたすらに歩く。静かな山道の上の方で同行者の話し声が聞こえてきた。休憩だ。
景色を見るとかなり登って来ていたことが分かった。
13:12、お昼は、先程、「道の駅」で購入した天むす。疲れすぎて、あまり食欲が無いが、我慢して完食した。
お昼を食べたが、まだまだ登る。絶望感。
15:07、果無峠に到着。ペースは悪くないと思うが、疲労の為歩くペースは遅くなっていると思う。このペースで日があるうちに下山できるのだろうか。
15:27、遥か下に見える十津川温泉。あのグリーンの川のほとりに宿があるらしい。もう少しみたいな事を言われたけれど、あれ?まだまだ遠いよね?
途中、水も尽きてきたので、観音堂での給水所は有難い。水の出方が個性的なので、ペットボトルに入れるのが一苦労だった。
観音堂から果無集落まで2.5kmで400mを下る。15:40に出発して、16:36果無集落に到着したので60分下りと格闘した事になる。下りは心拍数が上がらない代わりに、膝と腿の前、ふくらはぎにくる。
黙々と下る3人。私は独り。
果無集落の様子。
あちこち見ながら下りたいが、この下りの石畳がやっかいだ。表面が濡れていて滑るのだ。
ストックを慎重に置き、足運びも慎重にしないとたちまち転倒しそうだ。
この日の日の入りは、16:49で、登山口から出たのは17:02、何とか光があるうちに車道に出られた。あと少し遅かったらと想像すると、怖すぎる。当たり前の事だが、山道に電灯はない。
登山口から十津川温泉までも2kmくらいの距離があり、中々ハードモードだった。歩いているうちに真っ暗になるし、歩道がないので、車に轢かれそうだし。もうなんか辛い、しか言葉が浮かばない。
17:24、本日のお宿に到着。へたっとなってしまった。
10:00に出発して、宿まで7時間30分かかった。途中、道の駅でお昼を購入したりしたので、まずまず予想時間通りだったと思う。
明日、どの位まで回復出来ているか、自分を信じるしかない。膝がやられなかったのは、素晴らしい事だ。しかし、急な下りで足の裏に水ぶくれができてしまった。破けたらやばいかもしれぬ。
明日は、何とこの旅最長距離19.2kmを歩くのだから!ハラショー!
Day2に続く
いつも有難うごさいます。一緒に旅気分を味わっていただけると嬉しいです。
熊野古道 小辺路 本宮大社〜高野山へ 準備②
この夏大型の台風が、次々に襲来し、日本全国が大変な被害にあった。私が住んでいる地域では大きく生活が変わってしまうような影響はなかった。今もなお大変な生活を強いられている方々には、早く元の生活に戻れるように陰ながら応援していく所存です。
さて、熊野古道 小辺路旅への準備の一環として、9月に予定していた登山チャレンジは、台風21号、24号の為、予定していた日には実行できず、10月某日に行う事になった。
向かうは、ミシュラン三つ星の高尾山。宜しく!
同行者を募ったところ、意外にも両親が「行きたい!」と名乗りを上げたため、家族水入らずで行くことになった。
途中、ママのトイレが近かったり、身内だけの行動という事で必要以上にのんびりしまったので、午後12時過ぎに高尾山に到着。かなりの人々が集まっていた。本格的な登山装備の人も都内で見かけるような格好の人、子供連れ来ている人、色々な人々で溢れている。高尾山は、色々なニーズに応える素晴らしい山なのだ。
今回は、「山登りの感覚を確かめる事」と「トレッキングシューズの慣らし」を目的としている。
高尾山は標高599mで、東京近郊にあり、素晴らしい自然が残されている山だ。登山ルートの選択肢が多いのも、高尾山の魅力の一つだと思う。子連れの家族は、ケーブルカーに乗ってもいいし、自然を楽しみたいなら、6号路や稲荷山ルートで行くこともできる。
出典
今回の目的は、「山登りの感覚を確かめる」とういことで6号路を選択。川に沿って歩くルートだ。清滝駅を右手に見ながら、6号路入口へ向かう。清滝駅前と雰囲気ががらりと変わり、一気に山感があふれ出す。
びわ滝の辺りの写真が無いのが不思議だ。お線香の香りが漂う、湿気っぽい場所だった。うす曇りの今日だけなのか、ちょっと怖い雰囲気だったので、撮り忘れたのかもしれない。6号路を登られた時には是非見てきてほしい。
途中、先日の台風の影響か、山道に水が溢れて、沢登りの様になった。流石はゴアテックス素材。靴下は濡れなかった。防水の確認もできたので、少し怖かったが良かったと思う。
頂上間際の階段が思いのほか長く、ママの心が折れたので、休憩しつつ、1時間40分くらいかけて、無事に頂上に到着。この日の天気は曇りだったので、何も見えなかった。パパはランニングをしているせいか、呼吸を乱すことなく、すいすいと登っていた。遠い昔に登ったことがあるといっており、懐かしそうな様子だ。
頂上で遅いお昼。買ってきたおいなりさんの甘さが身体に染みる。
ゆっくりしていると汗が冷えてきて、身体も冷えてきた。この日はユ〇クロのさらっとするはずのキャミソールを着ていたのだが、汗が乾かず、どんどん寒くなってきた。着替えは持っていなかったので、取り敢えず背中にタオルを挟んで汗を吸わせた。「下着は重要だ」と言っていた登山用品店の方の言葉を思い出した。夏なら何とかなるが、冬は汗をかき、冷えて長い山道を歩くのは、とても危険だと身をもって認識した。
この体験をもとに、後日、Milletのくさりかたびらの様な下着を購入した。
www.millet.jp
帰りは、吊り橋がある4号路で下山することにした。
吊り橋は、がっちりと固定されていて、ゆらゆらすることはなかった。橋の下は途中の木々に遮られてよく見えなかったので、怖さは無かった。
4号路の途中、先日の台風で土砂崩れや倒木があったエリアがあった。台風被害をリアルに感じて、自然の驚異を感じた。人間はちっぽけだと再確認してしまった。
ケーブルカーに乗ろうと、たこ杉とさる園を通り過ぎ、1号路に戻ったのだが、長蛇の列に諦めて、1号路で下山。アスファルトの硬さと急斜面が膝を襲うが、サポーターをしていたおかげもあり、痛みは出なかった。歩幅を狭くして、歩いたのが良かったのかもしれない。
靴は、下りで足の指が靴にあたって痛かったが、それ以外は問題なかった。平地での歩行も問題なかった。靴の裏がしっかり地面を掴むような形状になっているのと、足首が固定されているので、疲れもさほど感じなかったように思う。このくらいの高さの山だったら、もう少し登れそうだと少しだけ自信が出てきた。
この日は奇しくも、海外に住んでいる妹の誕生日であったため、高尾山にて、ビデオレターを撮影した。二人とも昨日からセリフの練習していたそう。iPhoneを向けると照れてて何だか可愛かった。
今回の目的は、「山登りの感覚を確かめる事」と「トレッキングシューズの慣らし」だったのだが、両親と山登りできたことや妹へちょっとした誕生日プレゼントのビデオレターの撮影ができたので、「家族との時間を楽しむ事」もできた。一石三鳥だった。
余談だが、ビデオレターは、4号路の途中の山中で撮影したが、意外と人が下りてくるので、落ち着かなかった。街ぶらするような番組に出ている芸能人って、どんなに野次馬が居ても普通にしてられるの、すごいよね。
山道の途中で少し話した老夫婦の方たちがお勧めしてくれた、高尾山の稲荷山コース~高尾山・陣馬山コースで、もう一回登山チャレンジをしたかったが、11月には時間が取れず時間切れだ。この後、ストックも購入したが、試す事が出来ず。使いこなせるかどうか。
熊野大社本宮、熊野古道から高野山へは、来週の月曜日に出発だ。しかしこの時期にまさかの台風28号(マンニィ)発生。この時期に台風に脅かされるとは。どうかこちらには来ませんように。
3泊4日小辺路旅、どうなるのか。一緒に旅気分になっていただけると嬉しいです。
熊野古道 小辺路 本宮大社〜高野山へ 準備①
冬服を着てみて、一年の成長を知る(主に胴まわり)今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
旅は好きだが、登山は好きも嫌いもない。ただ山は登ったら降りてこなくてはならないし、自然みが凄すぎて少々怖さを感じる。キノコ採りで山に入り、亡くなる方々のニュースを聞くと、素人の自分がやたらめったらに山に入るものではないとも思う。そんな私が、ひょんな事から熊野古道のうち最も険しい道を4日もかけて旅するチャレンジをする事になってしまった。話の発端は、8月下旬にさかのぼる。
暑さも少しやわらいだある日、熊野古道の小辺路を歩かないかとお誘いを受けた。熊野本宮大社から高野山へ3泊4日で登ると言う工程だと言う。
登山など20代前半で富士山に登った以来した事がないし、まして3泊4日で登山とは、上級者の所業ではないか。しかも誘ってくれた方とその友達2人というパーティ編成。人見知りの私が、何日も見知らぬ人と行動を共にするのは無理だと思い、断ったつもりだったのだ。
しかし数日後に再度誘われて、「はい、一緒に行きます」と何故か快い返事をしてしまった。基本的に、私は押しに弱いのだ。もしかしたら熊野古道へ旅に心の奥底で惹かれていたのかもしれない。
さて、懸念は人付き合い以外にもある。数年前怪我により、右膝の半月板が少し損傷しているため、無理をすると痛む。更に加齢による体重増加により、右膝はこれまで経験したことのない負担を強いられている(鋭意ダイエット中だ)。
だが一度行くと言ったら、もう引き返せない性格。まずは、敵を知り、己を知り、対策しなくてはならない。精一杯、夏を過ごしている蝉たちの声に背中を押され、私の小辺路チャレンジが始まった。
まずは、小辺路とはどのような道なのであろうか。
出典
熊野古道 小辺路は、紀伊半島の中央に位置する熊野本宮と高野山の二大聖地を最短で結ぶ街道である。紀伊半島の1,000m級の山々の峠を3つを越えて、徒歩で行くという。全長は約72km。単純に4日で割るならば、1日18kmの距離を4日間連続して歩くという事になる。
今、自分で文字にして、戦慄している。そして自分に問う、右膝よ、大丈夫なのか?と。
諦めるのはまだ早い。本体の足りない部分は、装備で賄うしかない。全くの素人のため、登山用具屋さんで店員さんを捕まえて聞いた。
必要な最低限の登山用品は、下着、雨具、登山靴だそうだ。
下着は特に重要で、汗冷えしないようする事が重要との事。これは後に練習で登った山で実感する事になる。ちくちくしないのならば、メリノウールがお勧め。また消臭効果もあるので、連泊での登山でも洗濯をせずに連続着用可能だ。調湿機能があるものを選ぶことが重要なので、ヒートテックは登山には不向きだ。
雨具は、上下が分かれているものがいい。店員さんは、雨が降ったらすぐに着られるようにフャスナーを外し、リュックの背中に入れておくと言っていた。防寒具としても着用可能だが、生地が固く、ごわごわしているので行動しにくい事もあるらしい。これからも登山をするか、不明だったため、ゴアテックス素材のお値打ちのものを購入した。
登山靴は、いくつか試着させてもらい、店内や階段を歩いて、足に合うものを選んだ。シリオ PF156-2は、ハイカットで、ゴアテックス素材なので雨でも濡れない。この位の柔らかさだと、登山靴と言うよりは、トレッキングシューズに分類されるそうだ。熊野古道は本格的な登山よりは道が整備されているそうなので、少し柔らかい方がいいだろうという判断だ。
すごく可愛いコロンビアの靴もあったが、足に合う方を選んだ。店員さんにオシャレは靴以外ですればいいですよと、何故か慰められた。
その他、ストックは秋の時期には、山道に落ち葉が積もり、足の置き場が分からない事があるので、道を踏み外さないようにあると良いらしい。また足の負担を軽くしてくれる効果もある。
手袋は、手に寒さを感じさせないようにするために、中々に重要なアイテムとの事。手が冷えてしまうと、体全体が冷えてしまうためだ。ベースはメリノウールやフリース地のものを使用し、雨や雪の際には防水のものを上に重ねる。
それにしても登山用品屋さんのスタッフの皆さんは、感じがいい人しかいない。山で悪い気が浄化されているに違いない。
更に登山についての知識がほとんどないので、何冊か難しくなさそうな本を読んだ。
1. 登山入門 山と渓谷社
3. ひとり登山へ、ようこそ! 平凡社
4. 悩んだら山に行け! 平凡社
5. 山怪実話大全 山と渓谷社
6. 祝山 光文社
No.1と2は、実際に役に立ちそうな基本情報が載っている。
No.3と4は、恐れ多くて一人では山は登らないし、悩んでもないけれどメンタルの保ち方について特に参考になったかと思う。漫画なので読みやすい。
No.5と6は、完全な私の趣味だ。変なものは拾ってこない、変な場所には入り込まないという注意に役立つかもしれない。この旅で何かが起きた時には、こちらでご報告したいと思う。
最後に、せっかく高野山に行くのだからと、参考に映画「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」を観たが、あまり参考にはならなかった。「謎解きは座禅の後で」というタイトルにした方が良かったのではないか。染谷君演じる空海が予想以上に怪しく魅力的であったので、それをモチベーションに最後まで頑張って観た。阿部仲麻呂を阿部寛が演じていた事を、アベつながりだから選ばれたのかと勘繰った。
https://www.amazon.co.jp/空海―KU-KAI―美しき王妃の謎-DVD-染谷将太/dp/B07DHWGWCL
かくして、情報と登山用具は少しづつ揃ってきた。次は第2弾の準備として、近くの簡単な山に登ってみることとする。実戦から得られるものも多いに違いない。
無事に3泊4日で高野山へたどり着けるのか。
小辺路は11月は紅葉がとても素晴らしいということなので、その景色もチャレンジと一緒にお届できたらいいな。
皆さま、明日も良き日で、ありますよう。
今週のお題「紅葉」