初心者落語覚書 貴方の噺が聴きたくて
残念イケメン噺家さんとして、よく紹介されている、春風亭昇々さん。
普通にしているとニノに似ていますが、その落語は狂気、観ている人を緊張と笑いの渦に巻き込みます。ご本人もマクラでよく「なんか違う」と言われると言っていました。渋谷らくご、9/9に一人らくごに行ってきましたが、翌日、疲労感が半端なく、体調不良、これは昇々さんの落語を聴いたからだと思いました。昇々、恐ろしい子!
創作と古典を混ぜた演目、全部に昇々さんの狂気の臭いが染み付いております。感覚で適当にやってるのかなと思えるのですが、行き当たりバッタリ感も計算のうちの様な気もして、判らない所が怖い。この日はOggiの取材も入っていたようで、色々な意味で大丈夫かと勝手に心配になりました。
シブラクのPodcastで、昇々さんの「初天神」が聴けますが、お父さんも子供もキャラが濃い。こんな噺だったけと意識が飛びそうになります。また、声が何もない間に、昇々さんが顔芸等してるんだろうと思うとなんとなく不安、顔がひくひくしている昇々さんを感じて不気味です。直接観て、聴いて、面白い方だと思います。声だけだと刺激的すぎる。
今回は時間が合わずに、他の公演に行けず残念ですが、来月は新作ネタおろしの会「しゃべっちゃいなよ」があるので、楽しみすぎます。
落語は、奇抜や衣装や演出、体を張った芸、観ている人甘やかすテロップやサクラの笑い声もない。座布団の上で、肢体と扇と手ぬぐいで噺を繰り広げます。そんな噺家さんたちに答えるように、全自分を噺に集中させます。そんな時間がたまらなく好きです。すべての感覚を研ぎ澄まして、噺を聴くこと、笑うことに集中して、噺家さんの妙技に魅入る、そんなことをしていると、余計な考え事や不安がどこかへ行ってしまいます。
笑うために頭を使う、笑ってストレスが発散される、なんて平和的で自己完結できるリフレッシュ方法なのでしょうか。職場の人と飲みに行って、共通の話題や愚痴で盛り上がることより、ずっと健康的だし、想像力を養うことができます。余計なことをすべて忘れることができるので、考えなくていいこともどこかへ放出されて、ニュートラルな自分に戻ることができるような気がします。これは、フラを踊っている時の感覚と似ています。
また本来、出不精な私が落語のためにせっせと出かけるようになりました。いつも決まった場所にしか行かないのに、渋谷、新宿、神保町、谷中へ行ったりするようになりました。ミュージシャンの追っかけをしている人が、ライブが開催される全国各地、はたまた海外まで行くのと同じです。まだ東京界隈でうろうろしている段階ではありますが。
お笑いにも飽きた、いつもと違うことしたいなあなんて思ったら、落語を聴きにいくなんてどうでしょうか。先月行った、谷中はなし処では、カップルで来ている人もいました。もちろん、ひつじはソロでしたが。
フリーメイソンっぽい、後ろの旗が好きです。
yanakahanashidokoro.wixsite.com
今日は、これから楽器カフェで落語を聴きに行く予定です。鯉八さんの創作らくごはもとより、小痴楽さんのダメそうな若旦那が聴きたいなあ。
東京ガーデンテラス紀尾井町 ふらっと赤坂さんぽ
東京ガーデンテラス紀尾井町が、2016年7月27日にグランドオープンしました。
東京ガーデンテラス紀尾井町 - Tokyo Garden Terrace Kioicho
場所は、グランドプリンスホテル赤坂跡地で、ホテルニューオータニ方面にあります。赤坂見附駅から地上を行くと青山通りを横断するため、人の流れが途切れます。(地下道も通っています)駅前ほどごちゃごちゃしておらず、なかなか雰囲気がよいです。
向こうに見えるのは東急エクセルホテルとプルデンシャルタワー、手前では男性が釣りをしております。
東京ガーデンテラス紀尾井町では、建物周辺に生まれた新たな緑地と皇居などの都心の貴重な緑地をつなぎ、エコロジカル・ネットワーク(生態回廊)の形成に貢献するまちづくりを進めています。周辺の自然環境には、野鳥をはじめとする様々な野生生物が確認されており、それらの生き物が住みやすい環境整備を進めています。
森を構成する樹種は、在来の植物種を中心に高木や低木、林床の植物を植栽し、多層構造の緑地とすることで自然に近い生態系を目指しています。また、このビオトープは清水谷公園や弁慶濠の水辺と繋がり、トンボやチョウの生息地となり、都心の貴重な水辺の生態回廊を形成します。
というわけで、環境にも気を使っている近代的な建物です。適度なグリーンがほっとさせます。弁慶濠は池というか沼というか、流れを感じないのでよどんだ雰囲気を醸し出しているような気がしますが、都会に水気があると涼やかでいいです。
テラスの小道を、お散歩すると首都高をビュンビュン飛ばしている車を飽きることなく楽しむこともできます。
この辺りは、紀伊徳川家の屋敷跡地があったそうで、なんとなく石垣が残っていますが、その名残かどうかはちょっとよく分かりません。紀伊徳川家からは、吉宗や家茂が将軍になっており、由緒あるお家柄。200年も経てば、そんなお屋敷も商業ビルになってしまうんですね。思わぬ所で、徳川家に出会って、びっくりしました。
さて紀尾井町という地名ですが、徳川御三家の紀伊徳川家、尾張家、井伊家の頭文字をとって、紀尾井という地名になったそうです。赤坂から六本木周辺は、現在では交際接待費の経費精算書類しか回ってこないような場所柄ですが、もともとは大名屋敷が連なるエリアだったようです。
暴れん坊将軍家茂もびっくりの屋敷跡地
今まで全く気にしていなかったのですが、江戸の香りがそこかしこに残る、乃木坂、六本木、赤坂エリアの歴史散歩の終点として、一息つくのにはとてもいいロケーションだと思います。
弁慶濠では、釣り堀やボートを楽しめます。赤坂にこんな場所があるとは、知りませんでした。池は水草がみっしり生えていて、ボートのオールがからめとられてしまいそう。
半七「おっオールが水草にからまっちゃったよ」
お花「きゃっ、半ちゃん、ボートゆらさないで~こわい~」
半七「大丈夫だよ、落ち着いて、ね?」
お花「もぉ、後で東京ガーデンテラス紀尾井町でお茶おごってもらうからね!」
なんて、デートの提案を無責任にしてみて、今日のおさんぽの最後といたしましょう。(宮戸川の二人を使ってみたが、センスないな…。 )
落語初心者覚書 なぜ今落語に魅かれているのか
落語を、楽しむべくに日々精進中です。
そんな中、最近この記事を読んで、何故はまっているのか、腹落ちしました。
はてなブックマーク - 特集ワイド:魅力満載、若手落語家が熱い 満員御礼、修業耐えやっと二ツ目/食えなくても充実 - 毎日新聞
青木さんは「時代が落語を求めている」と見る。「落語はちょっと元気がない時に聴くのがいい。なぜなら、落語の主人公は失敗してばかり。でも長屋のコミュニティーで村八分に遭うことはない。立川談志師匠は『落語とは人間の業の肯定』とおっしゃいました。落語の人気が低迷したのは高度成長期とバブルの1980年代。絶好調の時、人は落語を求めない。今のブームは不透明で先行き不安な時代ゆえではないでしょうか」
談志師匠の「落語とは人間の業の肯定」という部分が特にぐっときました。落語はダメな人にも優しいし、はたまたサゲを間違えても、「ん?」みたいなふんわりした感じで終わることもあり、そんなゆるふわな部分が(もちろん芸の道は厳しいのだと思いますが)、自分自身にかけた制約を独りよがりでばかばかしいものだと緩めてくれる気がします。
踊りは間違えたらダメだけど、歌詞や曲調の部分が、現代フラ(アウアナ)の曲の緩さや、やさしさに通じるところがあると思いました。心が本来の自分に戻っていくような感覚があります。
またそんなこと言って大丈夫なの!?ということもうまく言い放つ、小気味の良さもはまっている要因の一つです。
立川志らく師匠は、「全身落語家読本」 新潮選書 Amazon CAPTCHA の冒頭の部分で落語家を乗り物に例えたのち、面白い落語と面白くない落語を分けていました。
簡単に言えば、新幹線やブルートレイン、SL機関車みたいな落語が面白くて、駕籠屋や人力車みたいな落語が面白くないのである。
ばっさり、、、ちなみに駕籠屋や人力車みたいな落語家さんとは、
落語を何の創意工夫もせず(当人たちに言わせればしているのであろうが、他の芸能、芸術の分野からするとしていないに等しい)、淡々と教わったまんまに語っている咄家は ー中略ー 駕籠屋さん -中略ー「駕籠のよさが分からないとは、近頃の若い奴等はしょうがねえなあ」と嘆きながら、いつしかまた自分たちにスポットライトが当たることを祈りつつ生きている。 -中略ー 中途半端な新作落語を演っている咄家(新作のくせに現代とズレている咄家のこと)は、こうなると人力車だ。「駕籠よりかは新しいだろ!」と少々プライドがあるが、五十歩百歩である。
のような方々とのこと。初心者から見ると、こんなこと言っちゃって大丈夫なのかと思うのですが、ちょこちょこフォローというかノリ突込みのようなコメントが入っており、不快感がありません。むしろ、落語の事をとても大事に思っていることが伝わってきました。ちなみに、その後「笑点」や「学校寄席」についても語られており、はらはらしながら読み進めました。
まだ初心者なので、面白くないな~普通だなあと思う感覚が、経験不足から来るものなのか、本当にそうだったのか、寄席の客層に自分が合っておらず楽しめなかっただけなのかよく分かりません。まずは気になる噺家さんを見付けて、地味にストーキングすることから始めてみています。
先日、某下町で昼間に行われている落語会に行ってきたのですが、何だかとても不思議な感じを受けました。常連さん半分くらい、たまに来る人少々みたいな雰囲気でした。常連さん達は、始まるまで世間話をしている、若いカップルや、ぼっちの人(ひつじ他)はそれぞれ自分の世界に入っているという雰囲気。
会が始まれば、会場は笑いに包まれて、いい雰囲気に盛り上がっておりました。トリの噺家さんが出てきてから、笑いもあったのですが、他の噺家さんの時と少し会場の雰囲気がふんわりしていました。大部分を占める常連さんたちはこの人の事を好きなんだろうな~と思ったのですが、私は、所作、着物の着方や「たらちね」の八公のキャラが苦手過ぎて、次はないかもと思ってしまいました。みんなが面白いものが、私の面白いものではないのだと、またその逆もしかりだと、改めて感じました。
渋谷らくごが、今週金曜日から始まります。落語が気になっている方は、好みの落語家さんを見付けることから始めるのはいかがでしょうか。疲れた心も元に戻って、いい感じになるんじゃないかと思います。
江戸には、廓噺に出てくるこんな美女がたくさんいたんですかね。妄想膨らみます。
カフェカイラとフラとPineapple Princess フラソングさんぽ
先日、舞浜のカフェカイラにてフラを踊らせていただきました。今年二回目となるカフェカイラでのフラ・ショーでは、「Pineapple Princess」を踊らせていただきました。
ジェレミー・ヒロカワ・サマーLIVE&ハワイアン・フラ・ショー|焼きたてパンケーキが食べられるハワイグルメコンテスト金賞受賞のハワイアンカフェレストラン/カフェ・カイラ舞浜店
数多くあるフラソングの中で、この曲は日本語でも歌われており、人気のある曲の一曲だと思います。元の曲の歌詞は英語で分かりやすく、曲のテンポも軽快で、フラ・ショーで踊るのにはうってつけです。ただ、ひつじは、この曲少し苦手です。曲は好きだし、とても可愛い、振りも楽しいのですが、理由はその歌詞にあります。
パイナップルプリンセスの日本語訳の歌詞 一部抜粋
パイナップルプリンセス彼は私をパイナップルプリンセスと呼ぶの
彼は入り江の上の丘で一日中ウクレレを弾いている
パイナップルプリンセス、僕は君が大好き、君は僕があった最も可愛いプリンセス
いつか結婚して僕のパイナップルクイーンになって....
そう、若い、若すぎるのです。自分の中で、この曲をいい年をした私が踊っていいのかという疑問が消化できず、居心地の悪い気持ちを抱えたままで、踊っておりました。子供のクラスがこの曲を踊っていたのが、強く印象に残っていました。誰もそんなこと気にしないと思うのですが、私が気にするのです。
今回、この曲を踊ることを知った時、まだ迷いの中にいたので、「なんて日だっ」と心の中で叫んでいました。これを機に歌詞の見直しをして、曲に向き合いリフレーミングをすることにしました。
まずは、プリンセスのイメージを整理しました。
私の中でプリンセスの性質と言えば、若くて自信満々、強気、ツンデレ、わがまま世間知らずのお嬢様といったものです。別に子供じゃなくても大丈夫だな。この曲は何も子供だけのものじゃない、と思ったことで年齢はクリアした気になりました。
大好きな彼についても考えてみました。始めの彼の登場シーンは、オアフ島で彼がワニに乗って、浮かんでいるところです。ベア・グリルスもびっくりのワイルドさ。バナナの木の上や素潜り中、水上スキーの上でも、多分私のために歌を歌ってくれる。ちょっとワイルドで一途な彼の事、私、嫌いじゃない。このお姫様と気が合うかもしれないと思った所で、何だか胸を張って踊れそうな気になってきました。
踊る時には、世間知らずで強気なお姫様が、ちょっとワイルドで面白そうな彼に惹かれている状況。そして恋愛中のドキドキしている記憶を遠い過去から思い出して踊ってみようという結論に達しました。 ちょっとハーレクインみたいだけど、まあ許していただきたい。
何とかこのイメージで当日は、居心地悪い思いをすることもなく、踊りきることができました。なりきり大事です。
この曲の振りで可愛い所は、両手腰に当てて、ひたすらにステップを踏むことろです。このお姫さまっぽい振付は、エイミー・カディさんが言っているパワーポーズに通ずるような気がします。自信を失いそうな時や落ち込んだ時には、「私は、パイナップルプリンセスなのよ」とイメージしながらこの振りをしてみると、女性らしい部分と自信を取り戻すことができるのではないでしょうか。
TED [ideas worth spreading「面接前にこのポーズをとれ、ボディランゲージが人を作る」 by エイミー・カディ[日本語字幕]
最後に、今回、大変お世話になったカフェカイラのスタッフさんに、苦手だったイリマのポウを「ミッキーみたいですね、かわいい」と言われたことにより、こちらもリフレーミングされたので、苦手が消えました。
(これは、ミッキーの耳であると)
観に来てくれた方々がその一瞬でも心が緩やかになることを願いながら、日々迷走しながら、フラの練習するのでした。
いつもありがとうございます。また次のおさんぽでお会いしましょう。
らくご錬金術 発ッスる 立川志ら乃師匠と江戸さんぽ
「落語」、数年以上寝かせていた趣味の一つです。聴きに行きたいけれど、回りに詳しい人もいないし、噺家さんがあまりに多すぎて、どう切り込んでいけばいいのか、分かりませんでした。飛行機に乗るときは、落語チャンネルがあれば聴くようにしているのですが、大御所の古典落語で、かつマクラが高齢者向けだったり、長くて途中で飽きてしまうこともたびたびでした。
しかし、渋谷らくごのポットキャストを見付けて、格段に落語関連の情報が増えて、ひつじ史上初の落語ブームが遅ればせながらやってきています。初心者ですので、説明があると非常に嬉しいし、知っていると更に楽しめます。
去る8月27日に立川志ら乃師匠の「落語錬金術~発ッスる~」に行ってきました。立川志ら乃師匠の事は、シブラクのポットキャストで知りました。クーポンと割引ついてのマクラが面白く、一度噺を聴いてみたいなと思っていたので、スケジュールがあった「らくご錬金術」へ行くことにしました。 あと、あらかじめ演目がお知らせされていたので、初心者でも楽しめそうな気配を感じました。
声優 石井マークさんとの二人会だったり、場所柄だったためか、普通の落語会とはだいぶ雰囲気が違います。小さな場所で通常決められた日にやっている落語会の様に、ご近所さんや顔なじみの人たちが世間話をしているようなこともなく、ご高齢の方もあまりいらっしゃらない。ほとんどの人が一人で来ているけれども、特に知らない人と話したりはしないという空間でした。行動は、基本ぼっちなので、私にとっては非常に居心地がよかったです。
初めのオープニングトークにお二人が出てきたとき、マークさんがスニーカーだったので、鵺ファッション的なものなのかなと思っていたのですが、忘れただけということで、イケメン苦手な私も、親近感がわきました。
【感想】
初心者なので難しい事は言えないので、単純に感じたことを。
1.壺算
壺を買いに、買い物上手と思われるの源さんと行く話。源さんがクーポンの話をしていた志ら乃師匠とかぶって、もうなんか大笑いしてしまいました。出だしの源さんに買い物を一緒に行くことをお願いしている場面も、まさかの絵でびっくりしました。奥様はそんなことはさすがに言わないだろうと思って話したと思うので、想定外だったかと思います。
2.そばーん
そばどんぶりが天高く舞っている間に、江戸の事件が解決する話。冒頭のシーンが、映画のようでした。江戸の町の空に舞う、そばどんぶりが見えました。また聴きたいです。
3.子ほめ
マークさんが演じると八五郎は、今どきのちょっと語彙力の弱いチャラ男の様に見えます。江戸にもこういう子いたよね、きっと…と思ってしまいました。出囃子が、「おもちゃのちゃちゃ」で可愛かったです。
4.十四夏
まさかのいい話。タツキチ(名前うろ覚えです)のフォーリンラブ前と後の変わりようには、親分でなくてもびっくりです。おそ松さん、観てればよかったです。
ちょっと色々思い出そうとしてるのですが、落語を聴いている時の興奮具合がひどく、ただただ面白かった、笑ったという感覚しかなくて、我ながらびっくりしています。メモをとるのも無粋だし、単純にこの空間と時間を楽しみたいという欲求に身を任せていたようです。もう少し違う楽しみをするのには、時間と経験がいるようです。
落語を聴きに行く事は、見たこともない江戸の街への小旅行のようなものです。宇宙旅行に行くのは大変ですが、江戸旅行には簡単に行けます。座布団の上で繰り広げられる噺で笑ってリフレッシュなんていかがでしょうか。
立川志ら乃師匠の10月の落語会は、「新作落語横取り!」とのこと。今から楽しみでなりません。
9月のシブラクに出演されるそうですが、これは時間的にいけなそう…。10月のシブラクの創作らくごネタおろし会「しゃべっちゃいなよ」にも参加されるそうで、「そばーん」を超える素晴らしいものが出てくるに違いありません。ネタは師匠の頭の中で、熟成中のようですよ!
階段を降りれば、そこは江戸の街
おさんぽで、ちょっとそこまで、江戸の街 なんて…。有難うございました。
ようこそ地獄、たのしい地獄展 国立公文書館で閻魔様と握手
先日、国立公文書館「ようこそ地獄、たのしい地獄」展へ行ってきました。
借金地獄、地獄の沙汰も金次第、地獄温泉など「地獄」を使用した文字は多いですが、地獄って一体何だろう、実際どんなところなんだろうと気になりまして。「鬼灯の冷徹」によると獄卒として働くには、何やら楽し気な所なのです。実際には地獄が含まれる単語は危険で裏社会的ないけない臭いがします。
それでは、地獄の一丁目からさんぽしていきましょう。
1.地獄についての考えは、古代エジプトが起源
地獄についての考え方は、平安時代あたりに、古代エジプトからインドへ、その後中国で道教の考えが混じり、日本の土着宗教に広がっていきました。
展示されていた地獄関連の文献は、圧倒的に平安時代あたりのものが多かったです。現世での行いは死後に裁かれ、罪ある者は各種地獄(衆合地獄、大叫喚地獄、黒縄地獄など)に送られて、獄卒(死者を苛む鬼)によって、責め苦を味あわされます。「往生要集」では極楽浄土へ生まれ変わる方法を解脱しつつ、地獄の恐ろしさを具体的に語り、地獄の苦しみから逃れるためには功徳を積むように説いたそうです。人々が善い行いをするように教育をするのに使われました。
(黒縄地獄 :岩石を負わされ、鉄縄の上を歩かされる。墜落すると下の釜で茹でられてしまう)
今の様に情報が氾濫しておらず、インターネットなんてない世の中、地獄が本当にあるのか検証なんてできません。尊敬するお坊さんにそんな説教をされたら、地獄は怖い、行きたくないから悪い事しないっという発想になってしまうのかもしれません。
2.地獄に対する大衆の考え方の変化
時代が下るにつれて、地獄の考えで人の行動を縛るのは難しくなっていくようです。「太平記」などの南北朝時代を代表とする軍記物語に登場する武士たちは、たびたび「勇猛に戦って地獄へ行こう」などのセリフを言ったりします。その後鎌倉時代、室町時代、戦国時代の武士たちは極楽往生を諦めて、凄惨な現実の戦場を見つめるような考えに傾いていったようです。
その風潮からか「地獄破り」と呼ばれる物語が描かれてるようになり、地獄を恐れない風潮に変わっていきます。その後、平和になった江戸時代には地獄は怖さが薄れ、お笑いになっていきました。それは世界大戦を経た今現在でも変わらない気がします。
(閻魔様もこんなにポップに描かれています。)
戦争や天災により大衆が、「あの世の地獄」より「この世の地獄」という考えにシフトしていったのも、道理のような気がします。生きているのはいつの時代だって、大変なのですから。
3.地獄は何処にあると考えられていたのでしょうか
サンスクリット語のNaraka(奈落の語源)は、「地下の牢獄」(=地獄)を意味し、仏典によれば、閻浮堤(えんぶだい、この世)の地下に広がっているといいます。しかし道教や日本古来の信仰と混ざった結果、地獄は様々な場所に広がっていきます。
「今昔物語集」には母を亡くした3人の子供が越中立山(現在の富山県中新川郡立山町の地獄谷)へ行き、亡き母と再会する話が語られるそうです。山中他界(山中に死後の世界があると言う民俗信仰)の考え方と仏教が融合した結果、火山活動による噴気地帯が地獄と捉えられていたそうです。日本各地にある地獄の付く地名も、当時の人々に地獄として捉えられていたのでしょう。
次にご紹介しようとしている理不尽で救いようの無いと思われる物語では、日高川の底が地獄の場所となっていました。
死後の世界、地獄の光景について、当時の人々の想像豊かなことに軽く感動しました。
4.安珍清姫の伝説 恋の地獄
「道成寺絵詞(どうじょうじえことば)」が展示されていました。道成寺が所蔵する「道成寺縁起絵巻」の異本に該当する絵巻で、オリジナルとは諸々詳細が異なるのですが、ラストが大きく異なります。
三井寺の僧の賢学は、長者の娘と深い因縁で結ばれていると夢のお告げを受けて、修行の妨げになると恐れて、その娘を殺害します。時が過ぎて、清水寺で美しい娘に出会た賢学は、契りを結びますが、その娘は以前殺害した娘であることに気が付きます。娘は一命をとりとめ、生きていたのです。恐ろしく思った賢学は娘を捨てて逃げ出しますが、娘は愛しい賢学を追いかけます。
(注:デコが写っちゃいました。霊とかではありません。)
日高川を渡るうちに娘は蛇体に変身し、ある寺に賢学を追い詰めます。
賢学は鐘の中に逃げ込みますが、蛇体の娘は空に絡みつき、金を壊して賢学を捕まえ、ともに「奈落の底(=地獄)」に沈もうと言って、賢学を日高川の底へと連れて行きます。
日高川でのシーンが非常に恐怖でした。
「どちらまでお逃げになるのでしょう?どれほどお逃げになっても、逃がしはしませんよ。私が幼い頃、何も悪い事をしていないのに、殺そうとなさいましたが、今、私をお見捨てになるのなら、その時、お捨てになればよかったでしょうよ」と蛇体の娘が船を追ってくる。夢のお告げで、修行の妨げになるから人を殺すって、何たる自己中ですが、それを追ってくる娘もなかなかです。
船頭さんのセリフも秀逸です。「何の因果でこんな人を船に乗せたんだろう」と。こういう人身近でいませんか。
男女というのはいつの時代も一筋縄ではいきませんね。恋人、夫婦の事は、他人からは何にも言えないものですね。最悪までこじれてしまえば地獄です。
本家の話もなかなか理不尽です。絵解き説法を聴いて、私のもやもやを晴らしたいです。どこをもって悲恋物語というのか興味があります。
5.最後に
いつの時代でも人々の不安や心の葛藤は変わらず、その犯す罪もまた変わらないようです。理不尽で遣る瀬無い事件が起こる現在において、「あんた、地獄に落ちるわよ」システムが働かないのは大変残念な事だと思いました。もし全ての事件や犯罪の抑止力に、「死後地獄の責め苦が待っているという考え」がなるのなら、人間はもっと平和に生きていけるのではないでしょうか。
動物としての本能と人間としての理性、そのせめぎ合いの中で生きている、とても不安定な人間としての在り方は、何千年経っても変わらないものなんだなと思いました。自分は不安定で、内面にカオスを抱えていること、また相手も然りだと思いながら、生きていくことしかできないなと改めて実感しました。
それでは、昼は朝廷の宰相、夜は閻魔庁の冥官の小野篁先生と共に、お別れしたいと思います。
それではまた、次のおさんぽでお会いしましょう。
怖い浮世絵 太田記念美術館~夏のひんやりさんぽ
立秋も過ぎて暦の上では秋のはずですが、依然暑いですね。今も昔も、怖い話で涼を感じようという試みは同じようで、妖怪、怖い話業界は、まだまだ宴もたけなわです。
【怖い浮世絵に惹かれ】
今回は、太田記念美術館で行われている「怖い浮世絵」展と三省堂書店池袋本店で開催された「怖い浮世絵 怖いトークナイト」に行って参りました。太田記念美術館は、原宿ラフォーレの裏手にある、浮世絵を専門に展示している美術館です。
怖いトークナイトでは青幻舎さんから出版された「怖い浮世絵」を執筆された太田記念美術館主幹学芸員の渡邉晃さんが、浮世絵の見どころを解説してくださり、その解説を元に浮世絵を鑑賞できたので怖さと理解が増しました。
江戸時代~明治にかけての浮世絵が中心に展示されているので、当時の大衆が興味あったもの、浮世絵師が感じたことを想像するのはとても楽しいです。
渡邉さんがおっしゃられるには、「江戸時代の怖い浮世絵は、1.幽霊、2.化物、妖怪、3.血みどろ絵」だそうです。これにプラスアルファで「火事や噴火等の自然災害」も挙げられます。現在の怖いものとさほど変わらないようなラインナップです。
歌川国芳、歌川国貞、月岡芳年、歌川系の弟子ちの浮世絵が展示されていました。浮世絵の素敵だと思うところは、怖い場面であるけれど、どこかユーモラスだったり、洒落っ気があったり、皮肉が織り交ぜられたり、写真とは違う味があります。トークナイトで聞いた話と実際の感想を織り交ぜて、初心者なりに浮世絵を紹介してみます。
【気になった浮世絵と背景】
1. 国芳と国貞
歌川国芳は、猫好きとして有名です。踊る猫又の絵はとても可愛くて、Bunkamuraで以前開催されていた「ボストン美術館所蔵 俺たちの国貞 私の国芳」展で猫又の付箋まで買ってしまった始末です。
ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞(くにくに) | Bunkamura
その踊る猫又が描かれている国芳の「五十三駅 岡崎」と国貞が同じ系統のモチーフで描いた「東駅いろは日記」の猫又を是非比べてほしいです。国貞の猫又は、主観的にみて可愛くない。踊っているけど、愛くるしくない。国貞と国芳の猫愛の温度差の違いにくすっと笑えます。もちろん絵のタッチやお二人が感じ取ったものと絵の表現も全然違うので、その差の見比べも楽しいです。
2.月岡芳年とエロスと郵便報知新聞
月岡芳年の作品も多く飾られています。彼の浮世絵はスプラッタが苦手な私には、凝視できないものも多くありました。迫力がすごいです。写生を大事にしていたという背景から、これを本当に妊婦を天井からつるしたのか、顔の皮を剥いでみたのかなど気になります。
たびたび出てくる赤い腰巻で上半身裸という女性の絵は、その絵の女性の肌の白さとの相乗効果で、残酷なシーンの絵ではありますが、何とも艶めかしいです。表現者は、そのエロスの趣味まで衆人環視のもとにさらすことになってしまうので、大変ですね…。
郵便報知新聞のニュースの挿絵が、いくつか展示されていて面白かったです。怖い話トークナイトで解説を聴いて、このシリーズにグッと来てしまいました。酒好きのグデン徳さんが生き返った話とか、自分から離婚したのに、自分の都合で復縁を迫り断られて逆切れの話とか、今でもありそうなニュースです。
特に大工の棟梁の奥さんのニュースが記事と挿絵とのギャップに完敗です。毎晩12時ごろになると真っ黒な坊主が現れて、奥さんの口や顔を嘗め回すそうです。すったもんだの挙句、「しばらくしたら、最近は出てこないのでいなくなったのかなあ」というぼやっとした、サゲなしの記事にも関わらず全力120%の不気味な挿絵を提供していて、「芳年、真面目か!」と突っ込みたくなりました。
「怖い浮世絵」展のポスターで頭を抱えて絶叫しているおばあさんは、芳年の「和漢百物語 頓欲ノ婆々」の舌切り雀の意地悪おばあさんです。大きな葛籠を開いたら妖怪が出てきちゃったのシーンが描かれているのですが、出てきた妖怪が可愛いのにおばあさんが失神寸前とうギャップが面白くて、ポスターに採用したそうです。浮世絵のこういうお洒落な所に惹きつけられます。
3.源頼光と四天王
結構人気のシリーズなのでしょうか。某妖怪展でも何作かお目にかかりました。酒呑童子を退治したり、土蜘蛛と戦ったり、ヒーローぽくて格好いいです。
四天王の一人、渡辺綱の羅城門での茨木童子との戦いを描いた芳年作品の「羅城門渡邉綱鬼腕斬之図」は、躍動感があって格好いいです。漫画の一コマのようで、豪雨の表現も大胆です。
そんな彼らですが「破奇術頼光袴垂為搦」(キジュツヲ ヤブッテ ライコウ ハカマダレヲ カラメントス、読めない…)では、熊とうわばみが戦っているのを観ている隙に、大盗賊 袴垂保輔に自分たちの荷物を奪われてしまいます。熊とうわばみの戦いは、袴垂保輔の奇術だったそうです。海外の日本人観光客みたいで、親しみがもてます。荷物を取った後、袴垂氏がどうなったかは知らないのですが。
青幻舎「怖い浮世絵」によりますと、「大蛇が一橋慶喜、熊が徳川家茂、頼光が井伊直弼を現していて、将軍継嗣の問題を風刺しているとの見方」もあるそうです。
ちなみに四天王の一人、坂田金時は、成人した金太郎だそうで、銀魂とは何の関連もなくて残念でした。
【最後に】
大田記念美術館は、場所柄外国人観光客も多く、こんな残酷な絵を見せて大丈夫なのかしらと思いました。隠してもしょうがないので、これもクールジャパンじゃと堂々としていればいいかなとも思いました。「怖い浮世絵」展は、8/28(日)まで開催しています。
次回は、「KUNIYOSHI HEROS!!」ということで、血沸き肉躍る水滸伝の世界で、国芳が大暴れするそうです。水滸伝なのに、顔が和風で面白そう。行くなら予習で水滸伝を読んでいった方が楽しめそうですね。
最後に怖い浮世絵で、縮こまったハートを浮世絵ラテで元に戻して、フィニッシュです。池袋 三省堂書店1階で注文できます。絵柄はランダムだそうです。
それでは、また次のおさんぽでお会いしましょう。