ぴこのねごと

さあ、つかの間の現実逃避へ。 旅とフラと時々経理の話

カウアイ島の思い出、行ったことないけど

 先日舞浜のアンフィニシアターで開催されたValentain's Day Concertsに参加してきました。ハワイアンソングの歌手として有名なナタリー アイ カマウウさんの生歌で踊らせていただきました。

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 このコンサートは、フラオニエ関東予選大会の間に行われます。関東予選大会は、フラオニエハワイ大会に参加するためのハラウ(フラ教室)を決める、日本での大会でバレンタインコンサートの参加者以上にコンペ参加者の皆さん気合が入っています。

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広い控え室たけど、人がぎっちり

 

 ハワイでの大会観戦ツアーもファーストワイズさんで企画されているようです。デルタ航空もスポンサーについていました。この他にも、フラのコンペで有名なメリーモナークフラフェスティバルやカメハメハコンペティション等の観戦ツアーあります。旅はぼっち派だけど、フラ観戦は皆で行ったら楽しそうだと思いました。

www.1stwise.com

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 コンペで思い出すのは、数年前に参加した茅ケ崎で行われたコンペに参加した時の事です。今よりもまだまだ未熟で、今更ながらよく参加したなあと感心します。他の参加者の踊りを観て、明らかに熟練度や曲の理解が少なかったことは明白。返ってきた結果でよかったのは、衣装だけでした。先生、ごめんなさい。今は少しは成長したと思います。

 

 唯一ほめられた衣装は、紫のドレス。会場ではライトの光で白っぽく見えて、とても美しかったと観に来てくれた友達に聴きました。ハワイの各島には島の”色”があり、紫の色を持つ島は、最古の火山活動で生まれた庭園の島「カウアイ島」です。ハワイアンの故郷とも言われ、多くの伝説が残る島でもありますし、フラの女神ラカが住んでいると祀られているヘイアウ「ケ・アフ・オ・ラカ」もあり、フラを踊る人にとっても、とても特別な島です。

 

 踊った曲は、「ナニ カウアイ」、で入場と退場(カイとホイ)は、「アロハ カウアイ」でした。今でも聴くと、何とも苦く緊張した気持ちが蘇ってくるようです。何故もっと曲を理解して、体に入れて踊れなかったのか反省しています。いつかこの曲にも再挑戦したいし、カウアイ島の雰囲気も味わってみたいと思っています。

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生花を付けて踊ったのは初めてだったので嬉しかったな。

 フラオニエには、子供たちも参加していて、こんな小さい頃からレッスンしていたら、将来どんなに上手になるんだろうと、羨ましく思いました。子供たちのフラは衣装はとても可愛いのですが、やたらとシックな紫な衣装な子が出てきて、珍しいなと思っていたら、曲は「ナヴィリヴィリ」、カウアイ島の歌でした。みーんな紫、何となくカウアイ島すごいぜ!

 

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リフエ空港の南がナヴィリヴィリ

 

2月渋谷らくご感想 ふたりらくご 陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる

  2月の渋谷らくごは10日(金)から10公演。その初回を飾るお二人、立川こしら師匠と入船亭扇里師匠です。

 この組み合わせを見た時、目を疑いました。渋谷らくご公式読み物「どがちゃが」によりますと、去年一番共演した落語家さんは、どちらもこしら師匠と扇里師匠とのことで、私が去年はこの組み合わせのインパクトに気が付かずスルーしていただけなのでしょう。

 お二人の生の落語を聴くのは初めてですが、なぜこんなに気になっているのか。

 立川こしら師匠は、渋谷らくご公開稽古会のご機嫌伺いの人気者かしめさんの師匠です。こしら師匠は、2015年にかしめさんの名前の命名権を金銭的理由でオークションに出してしまうという破天荒っぷり。志らく師匠のお弟子さんなのに、志ら乃師匠と全然違う。Twitterを追っているうちにファンになってしまいました。つぶやきが恰好いいのです。

  入船亭扇里師匠は渋谷らくごのポットキャストに何度も登場し、いつか生で聴いてみたいとずっと思っていました。無理に笑わせようとしないところが、好きです。博多大吉さんのような、にじみ出る面白さの正統派な落語家さん。

 

 そんな二人の「ふたりらくご」どうなるのか、気になります。 プレビューに「お互いうわべだけの付き合いである」と書いてあり、「ビジネス仲良しかっ!」とテンションマックスです。

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 立川こしら師匠「鰍沢」は、扇里師匠のリクエストに応えての噺だったようで、冬にぴったりの話でした。ただし、サスペンス要素は全くなく、登場人物が紺屋高尾に変わっており、高尾太夫がサーフィンするがごとくに雪崩に乗って、追ってくる展開に。最後は、「3月15日に来い」でフィニッシュでした。次の扇里師匠が「全然知らない噺だった」発言にも爆笑してしまいました。

 入船亭扇里師匠 「崇徳院」は、恋煩いの噺でした。まくらで、こしら師匠と決別するとしたら、何か大きな事件があって、決別したいというような内容を話しており、例えば、「一人の女性を取り合って」といっていたのが、じわっときました。二人に取り合いされたい女性は、シブラクのGmailにメールをすれば立候補できるみたいです。

 崇徳院の導入部分を、「千両みかん」かと勘違いし、こしら師匠のリクエストはなんて天邪鬼なのだと思ったら、全然違いました。みかんに恋い焦がれたら扇里師匠のまくらも台無しですよね。

 こしら師匠の後だったからか、扇里師匠が高座に上がった途端に、ほんのり会場が静かになったような気がします。とても疲れていたので、息苦しくない静かさが心地よく、扇里師匠に何だか癒されてしまいました。

 

    院極まれば陽となり、陽極まれば陰となる、太極図のようなお二人の「ふたりらくご」、素晴らしかったです。太陽星座だけで言うと、こしら師匠は水の固定宮 さそり座、扇里師匠は水の活動宮 かに座で、行動の仕方は違えど、他者との関係性を重視する価値観は同じ。表現方法は違うけれど、気は合うのではないかなぁなんて思っています。ここに、水の柔軟宮 魚座志ら乃師匠を投入したら、水のグランドトラインでエネルギーが回る、何とも優しい落語会になるかもな、なんて妄想もまた楽しい。

 

  こしら師匠の鰍沢が、あまりに衝撃的だったので、本当の内容はどんなものだったのかを確認するためネット検索をしていたら、春風亭一之輔師匠と行く鰍沢のツアーを見つけてしまいました。パンフレットを読んで、本当は人情噺だったのかと衝撃を受けました。しかしこの一之輔師匠の写真、もっといいやつなかったのかな。

http://tourist-japan.com/public/_upload/type010_1_1/file/file_14833422391.pdf

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今月の渋谷らくごは、今日までです!毎回何が飛び出すか分からないのが魅力。

お時間あれば是非。

eurolive.jp

自分の居場所探しという心の迷宮

 人の悩みというのは数多くありますが、「自分の居場所がない」というジャンルも割とメジャーな気がします。私自身は、席が狭くて物理的に座る場所がない等なら理解できるのですが、会社や自分のコミュニティで精神的に居場所がないという悩みがちょっとよく分かりません。基本的に誰とでも浅く広くうまくできるのと、居場所は家族(またはお家)、それ以外は外の世界で居場所など無いと線引きしてしまっているからかもしれません。

 

 ただ世の中には自分と同じ世界を見ている人は一人もいないので、自分の思考の幅を広げるためにPodcast、「本田健の人生相談」「心屋仁之助のホントの自分を見つけるラジオ」を聴いています。同じ質問でも返答が違うので、興味深いです。

 

 1月、何の因果か、同じようなタイミングでPodcastが配信されて、質問の内容を示すタイトルが同じだったので、興味深く二つを聴き比べてみました。

 

本田健の人生相談」

1月18日リリース 第338回 「自分の居場所がない感じがしています」6分10秒あたり

 

【質問】

 3歳の息子がいる主婦の方、なんとなくママ友という人は何人かいるが、時々そのコミュニティで自分の居場所がないと感じることがあり、こういう感覚は、ママ友だけではなく普通の友達といる時も感じる時がある。

 こういう風に感じると、自分から距離を取ろうとしてしまう。4月から幼稚園に入るので、またこのパターンを繰り返すのではないかと少し不安。こう言う気持ちどう向き合えばいいでしょうか。

【回答】

 ごく普通です、居場所がないと感じるのは普通。居場所があると感じる方がちょっとおかしいと思う。全く知らない人たちがその辺をうろうろしているわけですから。(本田さんは、子育てをしていた時期に)ベビーカーを押して、(他のお母さんの集団に)入れないし、向こうもどうやって話したらいいか分からない(状況もあった)。

 居場所がないと感じることが、おかしいと思っている。しかし小学校、中学校でもそういうのを感じたでしょう。自分も新しい全く知らない人がいるパーティに参加しても居場所がないと感じる。今でも一人で行くのは嫌で、誰かに連れて行ってもらいたいと思う。

 居場所がないというの人生のテーマで、誰でもそうなのかもしれない。居場所のない中で気の合う人と付き合って家庭を持つということだろうし、居場所のない世界の中で誰かと友達になっていくからこそ友達が大事。居場所のない中で自分で居場所を作って行くかという技術を小学校くらいで教えるべき。それは技術なんです。新しい保育園、幼稚園の中でも誰か自分と相性いい人を探す、自分の事を否定しなさそう受け入れてくれそうな人を友達にすれば1個居場所ができる。居場所がないのが普通で居場所を作らなければいけないと思えばずいぶん楽でしょう。自動的に居場所があるように感じるのは絶対にない。

 どこに行っても居場所がないと感じます。人間である限りみんなそう。居場所がある場所にずっといてもつまらないし。

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 ご自身の体験を例に出しつつ、居場所がないのが普通で、気の合いそうな人を見付けて仲良くすることが居場所を作る事だという回答に思えました。明快でシンプル。

 

一方、心屋さんのPodcastでは、こんな感じでした。

「心屋仁之助のホントの自分を見つけるラジオ」

1月19日リリース 第37回 「居場所がないのは本来のやるべきことをするチャンスです!」23秒あたり

 【質問】  

「第29回で私なんかいなくても大丈夫と思えれば、休みが取れるようになる」という趣旨の話がありましたが、私は手柄を独り占めし過ぎる人に出会い、会社で居場所を失い最終的に私なんかいなくても会社は回っていくし、別の新しい人来るし、私なんかいなくていいかと会社を辞めてしまったことがあります。

 私も私がいなくても仕事が回るようにしておきたいタイプですが、いつの間にかネガティブの方にひっぱられて、「私なんかいなくても大丈夫」イコール「私なんかいない方がいい」へ変わっていきました。これって私のスネなのかなと思いながらも、過去の自分を振り返ると私なんかいない方がいいと思ってしまうことが多くあったような気がします。仕事に限らず集団の中にいると居場所がなく、こういう風に思っている人いるんじゃないかなと思うのですが、私みたいに思っている人に向けて何か言葉をお願いします。

 【回答】

 自分も会社員時代に仕事を奪われ、会社に行っても何もすることがない時期があった。自分は今までちゃんとやってきたのに、自分は役に立ってないという思いに包まれた時期があった。その時期に、メルマガを始めたり、ブログを書いたりしていた。あの頃にそういう活動をしていたから今がある。居場所がないということは、私は好きなことをやっていいということ。時間を与えられたから、今この仕事をしなくてもいいから本来の自分のやる事をやるチャンスが来た。

 与えられた仕事で、自分の価値は無くてもいいし、居場所がなくてもいいし、自分なんかいない方がいい。その仕事をしなくてもいいから、その時間を使って自分の好きなことをこっそりやっておきなさいということ。自分も実際には、その時期に起業の準備をしていた。

  やりたいことをいっぱい我慢して、そんなことやっている場合じゃないと思って、今仕事をしている。それをやっていて、自分らしさからどんどん離れていってしまっている。もっと本来の自分のやりたいことが絶対あるはずだから、こっちへ戻っておいでと時の流れが教えてくれている。

 また居場所がないと言っている人に、いなくてもいいと言ってあげること。「いない方」がいいと相手が泣くまで言ってあげると、相手が「そんなことない」と立ち上がる。どん底まで生きたら人はむくっと立ち上がるのです。ふらふらになりながらも、ふらふらになってはいけないと低空飛行でもがいてて落ちない、落ちないようにキープしている時間が一番しんどい。それが、「負けた」とべたっと下まで落ちたら、「さあ行こうか」と人って急に立ち上がる。

 この人も自分の事を責めているようで、いじけているようで、すねているようで、中途半端なんだ。自分が自分の事を中途半端に責めているくせに、「自分なんかいない方がいいのよ」(と言う発言)に対して、「そんなことないよ」と回りが答える。それでまたちょっと浮く。でも落ちたい。地上5センチぎりぎりの低空飛行がとてもしんどい。自分の事を責めながら、中途半端すぎる。もっとざくっと体を切ればいいのに、お箸の先で切るくらいしかやっていないから、いつまでもひりひりと痛い。

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 かなり要約してしまいましたが、4,5段落が心屋さんの真骨頂という感じがします。居場所がない人は、そこでやることがないと思い、自分の本当にやりたいことをしなさいという回答。中途半端な癒しはいつまでも相手をしんどくさせるというのは、確かにそうだと思いました。

 

  立場が違う事もありますが、お二人の居場所がないと感じている人への言葉があまりにも違い過ぎて、面白いです。

 本田さんは、強い人、自分で何でも切り開いていく人の言葉のようでした。実際そう行動してきて、今著名になられて好きなことができる立場になられているので、言葉にも信頼性があるように思います。ただこの方法だと、気が合う人がいなかったら、または自分の心が外に開いてなければ、居場所が作れないので苦しいなあと思いました。居場所を作るのは技術で、小学校で教えるべきというのは、驚きの主張でした。私は、自分の居場所は、グループでの自分の在り方で作るものなのではないかと思うので。中心にいたいなら、その様にふるまえばいいし、陰で支えるのが好きなら、その役割をすればいいという単純な事ではないのでしょうか。居場所がないと感じるのは普通です、という言葉にはとても勇気をもらえると思いました。

 

 また、一方で心屋さんは、その人の心に注目して答えているようでした。自分の心が居場所がないと感じるのは、そこでやることはないので、他の自分がやりたいことに目を向けようというサインです。自分自身の甘えのようなものは、自覚が難しいので、言われるとはっとします。自分が辛くないように自分の心が自分を騙す、そのシステムが働いている限り、どこに行っても居場所はないのかもしれないと考えると恐怖です。自分が辛くて蓋をしている考えとは、いつか向き合うことになる、"居場所がない"と感じることがそのトリガーの一つなのかもしれません。

 

 大学の頃の心理学の授業で、「自分探しと言うものは、玉ねぎの皮を剥いていく事と同じだ」と言われました。何処まで剥いても、身はなく、剥ききってしまえば、そこには何も残らない。自分の居場所探しも同じように思います。何処を自分の居場所とするかは、自分が自分で決めるしかないのだと思います。

    個人的には、"集団の中で一人"でもいいじゃないかとも思います。我が身を振り返ると、小さな会社の管理職の為、社内でぼっちだし、落語も基本一人、旅も一人、友達と行ったとしても、現地集合でホテルばらばらだったり。居たい場所で、「ここが私の居場所ですが、何か」ぐらいの図々しい心持ちで良いのではないでしょうか。

 リスナーさんの質問に優しく、時に厳しく答えてくれるお二人のPodcastを下記に貼ってみましたので、よろしければ。

KIQTASの「本田健の人生相談 〜Dear Ken〜」を iTunes で

KIQTASの「心屋仁之助の「ホントの自分を見つけるラジオ」」を iTunes で

  

谷中七福神をめぐるお正月さんぽ

 お正月の七福神詣でという慣習が江戸時代からあったこと、お恥ずかしながら知りませんでした。

 …ということで、2017年1月初めて七福神を巡ってみました。9日の成人の日、分厚い雲の後ろに太陽の気配はあるのですが、結構な雨降りの朝でした。

 

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 今回、巡ってみた七福神は、谷中七福神で江戸最古の七福神だそうです。谷中や上野など歴史的な建造物や寺・公園を通りながら、散策できます。地図がくっしゃくしゃなのは、雨の中持ち歩いたためです。ごめんなさい。

 

 谷中七福神の一つ、護国院のパンフレットによりますと

七福神の芽出度いお姿は広く全国の人々に喜ばれていますが、これらの神様を福の神として尊崇した七福神の創設者が上の東叡山の開祖慈眼大師天海僧正であった事は余り世間に知られていないようです。天海僧正は経典(仁王経)の七難即滅・七福即生の分に基いて、七つの神々の夫々の御徳をお授け頂いて我々が益々幸福な生活が得られるようにと御思召されて七福神の信仰をお勧め下さったのです。

(中略)

天海僧正徳川家康に会った時に

公の御生涯は全くの長寿・富財・人望・正直・愛敬・威光・大量の七福を具え給うにより、困難な天下統一の大業を完成され、平和な国土を築かれたが、これは神様で申し上げると丁度寿老人の長寿・大黒天の富財・福禄寿の人望・恵比寿の正直・弁財天の愛敬・毘沙門天の威光・布袋の大量を表したものと云うべきである」と申し上げましたので、家康公は大層お悦びになり早速狩野法眼探幽を召されて七福神の絵を画かれて尊崇されました。これが七福神誕生の起源であるとされています

 

 この後、七福神は模写され、縁起物として全国に広がり、正月に七福神詣でとして定着したようです。天海僧正の教えが、家康に伝わり、そこから七福神めぐりが広まったのですね。よもやこんなところで家康と出会うとは思いませんでした。真田丸、内野 家康の晩年の顔が浮かびます。

 

http://taitonavi.jp/pdf/pamph_ja/044.pdf

台東区のパンフレットに他に2つの七福神巡りのコースがありました。

 

谷中七福神めぐりのコースは、下記の通り。1つ200円で御朱印がいただけます。

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1.東覚寺 (福禄寿)

 強烈なインパクトがあったのは、門前の赤紙仁王。うす曇りで雨降る中、張り付け られた赤い紙が、べっとり濡れていてちょっと怖かったです。自分の体に悪い所があれば、仁王像の同じところに赤紙を貼ると治ると信仰されているそうです。福禄寿はちんまりと境内に鎮座しておりました。

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2.青雲寺 (恵比寿)

 目印のない住宅街を歩き、たどり着いたすっきりとしたお寺でした。正直の恵比寿様になんだかお似合いの場所でした。

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3.修性院 (布袋尊)

 本堂に祀られている布袋さんを見て、「でかっ」と驚いたのは私だけでは無いと思う。ふくふくしているお姿は、さながらポルポ(ジョジョの奇妙な冒険、第5部のマフィア幹部)のようで、とても罰当たりな想像をしてしまいました。他の場所に祀られている布袋さんもこんなに大きいのだろうかと気になります。

 

4.長安寺 (寿老人)

 

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    途中、谷中銀座で甘酒を飲んで、長安寺へ。御朱印に鹿のハンコもあって、可愛かったです。本堂の中も、鶴が飛んでいる模様の天井が素敵でした。こじんまりとしたお寺でした。

 

5.天王寺 (毘沙門天)

 ここにも大仏がありました。谷中大仏ともいわれているそうで、江戸時代の元禄3年(1690年)に作られたそうです。御朱印をいただく場所が、とても近代的な建物で、モダン和風という感じでした。こざっぱりとした、洗練された雰囲気のお寺でした。毘沙門天像は、立派でした。

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何だかいちいちお洒落でかわいい

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6.護国院 (大黒天)

 この七福神めぐりでもっとも威厳を感じたお寺でした。寛永2年(1625年)に開創された歴史の重みが、境内からにじみ出ているようです。大黒天画像は、徳川三代将軍家光公が贈ったものと伝えられており、大黒天の木像とダブルで観ることができます。

 戦争や地震でよく失われなかったものだと感動し、ここに来る道すがらいくつか大黒様を祀っている寺を通り過ぎましたが、護国院は圧倒的な存在感を見せつけました。

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7.不忍池辯天堂 (弁財天)

 説明する必要もないほど有名なお寺です。芸事の神様でもあり、正面の提灯には林家正蔵さんの名前がでかでかと書かれておりました。

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 不忍池から辯天堂を望む

 

 インドの神様(大黒天、弁財天、毘沙門天)、中国の神様(寿老人、福禄寿、布袋和尚)、日本の神様(恵比寿)が、まとめて宝船に乗せられ、人々に七徳をもたらすという考えは、日本の文化や宗教のルーツを考えるのにとても興味深く、仏教神道が複雑に混ざってしまっている状況を更に複雑にしてしまっているような気がします。

 

 七福神めぐりにしても、神社仏閣への訪れるのは、悪い事ではないのですが、ただ行けばいいというものではなく、良い気をいただきに行く、お礼に行くという真摯な姿勢が大切だと思います。

 

 最後に、七福神をめぐる前の参考資料の一冊として、下記を読んだのですが、すごく面白かったです。初めに谷中七福神が出てきて、日本橋、港、武蔵野吉祥、日本橋、亀戸等色々な七福神を巡りながら、主人公が自分の心に向き合っていく話です。

ぐるぐる七福神 | 株式会社 幻冬舎

 

 あと全然違いますが、久々に中島らもさんの「ガダラの豚」が読みたくなりました。

 

 七福神めぐりは、お正月が有名だそうですが、浅草名所七福神は、一年中御朱印をいただけるそうですよ。思い立ったら是非、心を休める、おさんぽなんていかがでしょうか。

 

立川流が好きっ!!感想と覚書

 落語ブームと言われた2016年、確かにあちこちで落語のニュースを目にしたような気がしますし、自分の興味が再燃したことによるカラーバス効果ではないのかとも思ったりもします。落語初心者の私が、このブログを書いてもいいものかとても悩んだのですが、昨日奇しくも情熱大陸林家たい平師匠が出ていたのを見て、書こうと思った次第です。 

 

 40代になって、仕事で責任ある立場に立たされ、部下の指導をしたり、管理職としての立場から社内でついつい孤独になり、会社での自分の存在意義やイライラを抱えて日々を過ごしていたところ、縁あって落語会に行くところから私の落語ライフが再スタートを切りました。

 

 少しづつ噺を聴いているうちに、どうも立川流の方々の落語は、何だか自分に合うようだと思うようになり、「立川流が好きっ!!」に行けば一挙に立川流が聴けるなあという軽い気持ちで行く事にしました。


12月21日(水)
開場18:30開演19:00
会場 清澄白河 深川江戸資料館 小劇場

 

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 チケットは、完売。

 

 この「立川流が好きっ!!」は、志ら乃師匠(志らく一門)、こはるさん(談春一門)、談吉さん(左談次一門・元直門)、志の太郎さん(志の輔一門)、吉笑さん(談笑一門)、寸志さん(談四楼一門)、各一門からの孫弟子さんたちが落語立川流を再解釈/再構成するという趣旨の落語会でした。

 

 各一門からと言われても、こちらは初心者、どのお師匠さんの得意な噺が、とか家元との絡みでその噺を選んだとか、難しい事は分かりません。そして分かったように語ることも好きではない。ただ会の趣旨から、皆様の演目について勝手に妄想を膨らませてみました。

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  •  こはるさん

 【真田小僧】小生意気なこざかしい子供の小気味よい噺。立川流またはこはるさんの立川流としての落語界での立ち位置のようなものかもしれないなと感じました。(思い込み)

  •  志の太郎さん

 【人間っていいな】タイトルのままな噺。

 余談ですが、出囃子が日本昔話の「にんげんっていいな」で、まさか志の太郎さんの出囃子ってこれなのかと調べてしまいました。初見でしたので判断が付きませんでした。マクラで、志の輔一門は情報が断絶されており、8月に開催された「立川流が好きっ!!」で知ったことが多いとおっしゃっていたのが印象的で、「(立川流というよりは)人間っていいな」と、この演目を選んだ感覚が自分なりに腑に落ちたような気がしました。(思い込み)

 

  •  談吉さん

 【天災】時間の都合だと思われますが、ほぼマクラなしで、スタート。立川流を八五郎と見立てて妄想を膨らませると楽しいなと思いました。

 

  •  吉笑さん

 【一人相撲】同じものを見ているはずなのに、視点がばらばらで期待した報告が上がって来ない現状をあらわしているかのような噺。仕事でもよくある状況で定義とルールを統一しないと、決まった成果は示せないよなあなんて、真面目に考えてしまいました。

 

  •  寸志さん

 【庭蟹】シャレが理解できない人にシャレを説明しなければならないことの恥ずかしさよ、きまずさよ。余談ですが、がじらさんの二つ目昇進の会の時に、何だかこの人は面白そうだなあと思っていました。間違いない。

  

 【粗忽長屋】この年の瀬に志ら乃師匠の粗忽長屋を何度か聴きましたが、何度聞いても新鮮。人間社会は個人の主観からできている。

 

 会は趣旨もはっきりしていて、自分なりにとても楽しめましたが、以前吉笑さんが言っていた「立川流がヤバい」ということについては、さっぱり分かりませんでした。笑うだけで、終わらせては勿体無いと、吉笑さんや談吉さんのブログを再読したり、志ら乃師匠のブログと「談志亡き後の真打ち」宝島社を読んで、少し考察してみました。

 

 危機感は、私の中では鎌倉幕府みたいな感じ。平氏を滅亡させ、天皇から軍事的権限を与えられた源頼朝は、そのカリスマで御家人たちを支配していくのですが、1199年に頼朝が没すると、子供の頼家の親裁は停止され、のちに修善寺で暗殺、実朝も鶴岡八幡宮で暗殺、頼朝のカリスマは徐々に薄れていき、源氏は3代で消え、1333年には鎌倉幕府も滅亡してしまいます。

 

 「談志亡き後の真打ち」で談笑師匠が、志ら乃師匠の質問「立川流ってものに対して、何か不安ってあります?」に対して「ない。」と答えていたのが印象的でした。立川流はブランドで「これまでは「ブランド」といっても「談志門下としてのブランド」だっんだよ。志の輔談春志らくというのは。談志がいなくなった今となっては、次の世代となるわけだ。「志らくブランド」であり「談笑ブランド」が大事になってくる。~中略~「談志の弟子」っていう枠は、これから急速に意味が薄れていく。」

 また立川流新体制の箇所で、「立川流は流れ解散でいいんじゃないですか」と志らく師匠がおっしゃっているのも面白い。真意は分かりませんが、直弟子の方と、孫弟子の方の温度差、孫弟子の中での温度差の存在を知りました。

 

 志ら乃師匠は、この本が出版された2012年から孫弟子は危ないと危機感を持たれていたことに驚きました。あの会場での気遣いは、ここを発端としているのではないかと深読みしてしまいました。

 

 人生は団体戦だと、作家の本田健さんが言っていました。一人では戦えない、苦手を補って団体で試合に臨もうと。一方で、団体になるということは、個を持っていないものにとっては、そこに埋没されてしまうことではないかとも思います。会社名がなければなんの存在価値も面白味もない人なんて山ほどいます。

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 このタイミングで立川流に吉笑さんが現れ、危機感を持ち、声掛けをし、集まった様々な個性を持つ方々が、今回この会を開いたことの意味は、後々歴史を振り返った時に分かるのかなと想像するとわくわくします。真打のトライアルやこの会の様に観客を巻き込む立川流、昔の立川流は分かりませんが、これからも目が離せません。

ハワイ神話の女神様たちとダメンズたち

 数多くあるハワイアンソング。聴いていると何とも心地よく、似ている曲調のものも多いし、基本ハワイ語で何と歌っているのか分からずについウトウトとなるのも、なんか良いところ。

 

 フラを踊る時には、ハワイ語や英語の歌詞を訳すので、踊った曲については内容が頭の中に入っています。フラソングのジャンルとしては、①ハワイの美しい自然や土地を歌った曲、②恋愛や家族愛について歌った曲、③ハワイ神話について歌った曲に大まかに分けられるのではないかと思っています。

 

 私にとってはハワイ神話について歌った曲を踊るのが、苦手です。古事記ギリシャ神話もそうですが、ハワイ神話の神々の話も、ストーリーが奇想天外で、感情移入できる部分がほとんどないためです。モンスターエンジンの「暇を持て余した神々の遊び」ネタは大好きなのですが!(爆)

 

 今日は、そんな中、私が出会った気になる女神様たちと神話を見ていきたいと思います。

 

1.カハラオプナ

 オアフ島のマノアという場所にいる、虹の女神としてカハラオプナは有名です。マノアは現在は、ハワイの高級住宅地でハワイ大学があったり、うっそうと茂る森の中にマノア滝があったり、湿気の少ないハワイの中で雨がよく降る場所でもあります。

 

 カハラオプナのフラソングはとても美しいのですが、神話を調べるとちょっと怖いです。カイルアに住んでいた許嫁のカウヒに浮気を疑われて、ヌウアヌの山中で撲殺されます。守護神のフクロウがカハラオプナについていたので、この神様がカハラオプナを生き返らせます。カウヒは山道を逃げていると、殺したはずのカハラオプナが追いかけてきて、「何故何もしていない自分を殺したのか」と問いかけてきます。追いつかれたカウヒは、またカハラオプナを殺害、その後フクロウが生き返らせるのループを5回くらい繰り返します。殺しても殺しても追ってくるカハラオプナに恐怖しか感じません。

 

 その繰り返しの後、カハラオプナは首長マハナに助けられて、カウヒは裁判により死刑にされ、カハラオプナは、マハナと結婚し、ひと時幸せな時を過ごします。そのひと時のシーンが描かれているのが、フラソング「Kahalaopuna」のワンシーンです。

 

 ただその後、サメに生まれ変わったカウヒが、海に入ったカハラオプナを食べてしまい、体が無くなったカハラオプナをフクロウも生き返らせることができず、マノアの風カハウカニの父と雨カウアフアの母や祖父母が、マノアに毎日降る雨の後にかかる虹を見てカハラオプナを思い出すのでしたというエンディングが続きます。

 

 ダメンズ・カウヒの逆恨みの理不尽さと救いようのない話にライフを削られます。いい男のマハナと結婚しても、幸せになれなかったカハラオプナ、何を間違えてしまったのでしょうかね。「何で私の事を殺したのか」を問いながら追ってくる、ちょっと狂気のカハラオプナだったら、踊れそうな気がします。

 

2.ポリアフ

 ハワイ島マウナケアに住む雪の女神です。マウナロアに住む火の女神ペレとライバルで何度も闘っているという強気な一面を持ちます。マウナケアは、冬には山頂が雪に覆われることもあるそうです。

 

 「Poliahu」は、他の女性と結婚するために自分のもとから去っていったカウアイ島の王子アイヴォヒクプアに「帰ってきて」と、マウナケアから悲しんで嘆いている曲です。ポリアフは、この時自分から身をひいたとされています。

 

 一方、浮気者のアイヴォヒクプアは、第二のお嫁さん候補だった、マウイ島ハナに住んでいたヒナイカマラマと結婚すること決めました。しかし、二人が抱き合っているといつもポリアフが冷たい風を吹かせて、二人を凍り付かせただとか、その冷たい風をヒナイカマラマが怖がり、マウイ島へにげてしまったとかのエピソードがあります。

 

 お前は源氏物語六条御息所か!と突っ込みを入れたくなる、執念深さと嫉妬です。自分から身を引いたくせに、やっぱり許せないというのは、理解の範疇ではありますが、シンプルに怖い。歌詞の中で「E ho'i mai(帰ってきて)」という部分が何度も繰り返されていますが、一体どんな心持ちで踊ればしっくりくるのか、今でも分かりません。

 

 このカウアイ島のダメンズ王子、アイヴォヒクプアのエピソードは、第一のお嫁さん候補のラーイエイカヴァイの話にも出てきます。

 

3.ラーイエイカヴァイ

 ハワイ島のプナに住んでいた住んでいた絶世の美女で特別な力を持っており、彼女のいる場所には常に彼女を祝福する虹がかかっていました。カウアイ島の王子アイヴォヒクプアは、彼女にプロポーズし、さくっと断られ、去っていきます。彼は、3人の女神たちに振られる残念なプレイボーイな役どころでした。

 

 この後、ラーイエイカヴァイは、サーファーと呪術により恋をさせられ、のちにひどい目にあったり、アイヴォヒクプアのお兄さんである太陽の目の神カオーノヒオカアラーと結婚したりします。しかし太陽の目の神は、ラーイエイカヴァイの双子の妹のラーイエロヘロヘ(既婚)とダブル不倫をし、天から追放されてしまいます。

 

 その後、何を思ったかラーイエイカヴァイは、不倫してしまうほど、自身の結婚生活が不幸だったのかとラーイエロヘロヘを不便に思い、最後は地上で一緒に暮らすようになります。急展開過ぎて、ちょっとついていけませんでしたが、原本は壮大なストーリーのようです。

 

 その存在自体が高貴で尊いラーイエイカヴァイの光は強すぎて、その後ろに存在する闇が深く暗くなることで、彼女は存在を保っているように思いました。陽極まれば陰となる、陰陽道の対極図のようなイメージがこの女神さまの話にはあります。

 

 ただ「Laie-i-ka-wai」の曲と歌詞はとても美しいので、これからもし機会があったら、この曲は踊ってみたいです。 女神様の様な神々しい雰囲気は、どうやっても出せなそうですが。

 

 昔のハワイのしきたりでは、女性と男性は食事を一緒にしてはいけない、食べてはいけない食物が多くあったり、女性は漁の道具に触ってはいけない、女性はヘイアウに立ち入ってはいけないなどがあり、女性に課せられた禁止事項がとても多かったようです。不自由な生活で苦しめられたことや受動的に生きざるを得なかった事情を間接的に神話が示しているため、薄幸な女神たちが多いのかもしれません。

  

 今年も色々と世間を騒がせた離婚や不倫などの事件がありましが、男女関係はうまくいかない事が多いのは、今も昔も神様の世界も人間の世界も変わりないことなのでしょうね。

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 ハレアカラでロープで太陽を捕まえようとする破天荒な半神半人マウイ。最後は頑張りましたが、彼の母ヒナもなかなかの不幸体質な女神様です。

渋谷らくご 11月感想と粗忽長屋の奥深さ

 渋谷らくごの期間は、どの回に行ってもお祭り気分なのですが、11月は、渋谷らくご2周年記念ということで、いつにもましてお祭り気分でした。2015年渋谷らくご大賞を受賞した瀧川鯉八さんが、毎日出演されたり、お楽しみゲストとして、当日誰が出演するか分からない演出があったり、ジャンル様々なトークゲストが会場を盛り上げたり、仕掛けが満載でした。

 

 私が行った会でのお楽しみゲストは、18時からの回では春風亭一之輔師匠、20時からの回では、柳家三三師匠でした。お得感が半端なかったです。ほかの回では、立川志らく師匠が出演されたのを知ってうらやましく思ったり、このメンバーならどんな人が入りそうか初心者ながら妄想したり、違った楽しみをしてしまいました。

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 お恥ずかしながら、一之輔師匠がされた「味噌蔵」の ”どがちゃが” がこの公式読み物のタイトルだと初めて知りました。また2年間の高座がまとめられている、ブルーの冊子で酒が飲めるとキュレーターのサンキュータツオさんがおっしゃっていて、またまた言い過ぎと思っていましたが、よくよく見ると楽しい。昔のものは、聴きに行きたかったと思うし、直近のものは、あ~そういえばそうだったと楽しさを思い出したり。一期一会の組み合わせというのが何とも潔くて良い。

 

 瀧川鯉八さんを知ったのは、渋谷らくごのポットキャストでした。その時は、まくらと本編の一部を聴いたのですが、その後の内容が気になって仕方ありませんでした。それからは時間を見付けては、鯉八さんを細々と追いかけています。創作落語のみをかけていらっしゃる方で、噺にでてくるキャラが押しなべて濃いです。

 

 今回、聴いたのは「イマジン」です。冒頭のシーンは、3人の侍が戦乱の世の中だったらと想像ごっこをするところから始まります。「え、何、古典落語みたいな創作落語なの!」と妙に感動し、武士みたいにふるまっている鯉八さんの男らしい事。初めて観ました。凝った噺の全体像が最後にはっきりとして、ああそうなのかと笑いつつも感動してしまいました。

 

 いつもは、げろっぱしか言わないニートや自意識過剰な女子、酸っぱいブドウの兄さんというような、人間らしい嫌らしさをふんだんに振りまいていく登場人物が多いので、その世界観とのギャップがすごく、まだまだ修行が足りないと感じました。(何のだ)

 

 11月のシブラクで、立川志ら乃師匠の噺が「粗忽長屋」だったとTwitterで見た時には何とも思わなかったのですが、11月28日の六本木 不動院寄席で、志ら乃師匠の「粗忽長屋」を聴いた時、衝撃を受けました。まくらの素晴らしさも相まって、こんな粗忽長屋は初めて聴きました。サゲの後、自分が「自分」と思っている「自分」は何で決まるんだろうかとよく分からなくなりました。熊の最後のセリフ「抱いてる俺は、一体何処の誰だろう」に底知れぬ不安感と怖さを感じました。

 

 粗忽長屋に怖さや不安を感じたのは初めてでした。基本的には粗忽者たちが最後までぼけ続ける、観客に脳内で突っ込みをさせつつ、笑える話だと思っていました。この感覚には、昔のリリパットアーミー(劇団)が、笑える演目と思わせて、ホラー「こども一生」をぶっこんで来た時の衝撃に似ています。

 中島らもさんの何かのエッセイで、観客が笑う準備ができている状態で、演劇に来て、どうでもないことにも笑う状況を良くないと思い、「こどもの一生」をかけたと読んだことがありました。落語、単純に面白くて笑えるものという思考停止の状態だった自分をはっとさせた噺でした。

 

 立川志ら乃師匠と瀧川鯉八さんの噺がシブラクのポッドキャストで有難いことに現在配信されています。だるい月曜の朝や落ち込んでいる時、笑いたい時にいかがでしょうか。 

 

shiburaku.seesaa.net