ぴこのねごと

さあ、つかの間の現実逃避へ。 旅とフラと時々経理の話

憧憬のハワイ 住みたいかどうか胸に手をあてて改めて考えてみる

ここに一枚の写真がある。

 

右から、父、母、父方の祖父、祖母である。母に抱かれているのは私だ。撮影された場所は、今から約40年前のホノルル空港の駐車場と聞かされている。

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私の人生を振り返ってみれば、特筆すべきこともなく、人に自分の人生を話した時「つまらない人生だ」と言われたこともある。その時は何て失礼な人だと思ったが、言葉の選択がうまく出来ないただの素直な人だったのかもしれない。

 

山もなく谷もなくドラマティックで運命的でハラハラドキドキな盛り上がりもなく淡々と過ぎていく、日常ゆるふわ系な平穏な人生もきっとあるのだ。

 

少しのことから多くを感じ取ってしまう性格のため、自分では大興奮の嵐の場面であっても、多くの人にはそよ風が頬を撫でた程の場面なのかもしれない。また心の動揺を避けるために敢えて普通に目立たないように生きている節もあるので、第三者から見た私の人生がつまらないというのは致し方ないことだ。

 

そんな私とは反対に自分の周りの近しい人は中々に選び取らない選択をし、波乱万丈な人生を送っていたりする。私はバブルリングに巻き込まれるクラゲの様に、時折そこに巻き込まれることがある。「波乱万丈」は私の人生にはあまりかかわりのないワードだが、必要とあらば否応なしに巻き込まれてしまうので、世界はうまくバランスが取れているのかもしれない。

 

写真が撮影された1970年代、両親はハワイ、オアフ島に住んでいた。父が料理人としてアラモアナショッピングセンター近くのレストランで仕事をしていた。母は生後2か月の私を連れて、慣れない育児と海外生活で苦労をしたと聞いている。

 

父は思考が自由な人で、ハワイで働くことが決まると、身重の母を残して単身ハワイへ飛んでしまった。母は父の実家に残されて、頑固な昔気質の祖父とその祖父に言いなりの祖母の下で大変苦しい日々を過ごしたそうだ。

 

私が生まれてからも苦しい日々は変わらず、ある日私を連れて家出し、母の親戚に逃げ隠れていたのを母の祖母が見つけた。母の実家には、折り合いのうまくいかない異父姉がおり、そこに逃げ込むことはできなかったらしい。

 

すったもんだの挙句、母と私は、ハワイで父と無事に暮らしだした。家出した母を祖父は怒り、私のベビーベッドやら母子手帳やらを捨ててしまったらしい。ランボー怒りの廃棄である。

 

海外旅行が高額だったと思われるこの時代に、そのランボーが何を思ってハワイに来たのかと、この写真を見ると考えを巡らせてしまう。二人とも既に亡くなっているため、今となってはよく分からない。

  

この後ハワイに永住することを告げた時、ランボーは「帰ってこなければ勘当する!」と父に言ったそうだ。ランボー怒りの勘当である。そのため両親は永住権を取得する手続きを途中でやめて、帰国した。後に母は「今考えると勘当されても、ハワイに永住すればよかったよね」と言っていた。メンタルタフネス母だ。

 

私のハワイでの暮らしは、3年弱で終わった。今でもこの時ハワイに永住していればどうなっていたかと考えることがあるが、それはあまり意味のないことに思う。それほどにこの件は昔の話であるし、巻き込まれ事案であるので私にはどうしようもできないからだ。

 

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その後、ハワイに再び訪れることができたのは私が高校生の時だった。

 

時差ぼけでフラフラの中、ウェルカムランチをホテルで食べている時「何かここいいな」とぼんやりと思った。子供の頃の記憶は全くないのだが、懐かしさを感じた。ハワイは多くの人にとって好きな土地なので、ただの勘違いの可能性も否定できない。

 

昔、父が勤務していたレストランも当時父と一緒に働いていたおじいちゃん、おばあちゃんが未だ働いていた。当時の話を聞いてとても不思議な時間を過ごした。ハワイに住んでいた当時の友達の家にもお邪魔した。そこの家の子供のおもちゃを取り上げた話等を聞いて、大変申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 

この17年後のハワイ再訪は、過去と現在を結びつけるためのギリギリのタイミングだったように思える。

 

この後、レストランは焼肉屋になり、同僚のおじいちゃんは亡くなり、お友達はアメリカ本土へ引っ越していった。同僚のおばあちゃんとも連絡が取れなくなり、どうしているのか分からない。

 

最近では、当時日系人がよく行っていたという白木屋も雑然としていたインターナショナルマーケットプレイスも数年前に改装されてしまって、当時の面影はない。ホリデーマートというスーパーだった場所は、ダイエーになり今ではドン・キホーテとなっている。投資用の億ションやビルが立ち並び、ブルーシートの小屋ばかりだったカカアコも開発され、ホノルルはどんどん変わっている。

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それでも、ハワイに行けば懐かしい気持ちになり、戻ってきたような気になるから、不思議だ。

 

日本での今の生活を続けている限り、ハワイに住むことは無理だ。全てを捨てて、ハワイに住む選択肢はないので、50%くらいを捨てて、会社のハワイ支社に長期出張ということでお試しで住むことがお手軽にできるハワイ住みかもしれない。

 

何とかビザを取ってくれるなら、雇用関係を結んだっていい。しかしその場合、ビザ取得の等価交換として社長に24時間こき使われる可能性が大なので、その膨大なストレスを考えるとなかなか一歩が踏み出せない。

 

そういう所だ。そういう所が私の人生を平穏たらしめているのだ。平穏な人生時々バブルリングが私にちょうど良い生き方なのだと最近思う。

 

住むかもしれない、住まないかもしれない、懐かしく感じる、変わっていくことに悲しむ、いいなと思う、育った場所、ただいまという気持ち、一言で言い表せない複雑な感情が渦巻くそんな特別の場所が、私にとってのハワイである。住んだら住んだで順応し過ぎて、東京で生活できなくなるかもしれないリスクもある危険で魅惑の場所でもある。

 

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肩コリとバックオフィスワーカー 肩を取ってしまいたいと思う時もある

普段の仕事として外資系中小法人の経理業務を紹介してもらい、請け負うことが多い。

 

日本で会社を初めて設立するという海外のお客さんに日本の税制や商習慣を説明するのはなかなかに骨が折れる。

 

例えば、銀行手数料。売掛金から手数料を抜いて入金してくるお客さんに対して海外にある本社がぷんすこするケースは、満員電車で小競り合いをしている人くらいよく見る現象だ。

 

銀行手数料については、私もあまり差し引いて支払う習慣がないのでこれをやっている会社さんに出会うと「強気〜」とぴゅーっと口笛を心で吹く。

 

会社で銀行手数料は先方負担と決まっているのでそうしているだけなのだと思うし、また相手とのパワーバランスも影響しているので一様に激しく取り立てもできないのが難しい所だ。

 

とある外資系企業が銀行手数料を引いて入金してきたお客さんの翌月の請求書に前月の銀行手数料を乗せて請求していたのには驚いた。もちろんこのお客さんは毎回銀行手数料は差し引いてくるので、はてしない物語だ。

 

海外の本社の人にWhy Japanese People⁉︎ 入金時に銀行手数料を差し引いて入金をするのか?と聞かれると、Because それが多くの会社では普通そうしているからだ、とボンヤリとしたアホの子になって返事をする他ない。

 

この対応は、私自身が思考停止に陥っていることでもあり、改善・再考の余地があることにも気が付く。海外のお客様向けに経理の仕事をすると、私たちが普段当たり前と思っている日本の商習慣について改めて考えさせられることが多いのだが、そういう話がしたいわけではない。

 

もう少し話を進めたい。

 

海外親会社対応以外に、経費精算業務を請け負っていた場合、社内の人向けにも諸々気を使う必要がある。うまく説明しないと営業さんや制作さんの上の偉い人が出てきて、苦言されたり、経理の偉い人も登場して、「やられたらやり返す、倍返しだ」ばりの社内闘争が過激化してしまう原因にもなりかねない。経理部と仲のいい部署はない。

 

つまり外(海外本社)にも内(日本支社)にも気を使い、四面楚歌にならないように日々暮らしている。それがピースフルに経理を請け負う仕事をしている者の定めである。

 

働いていれば多かれ少なかれ、みんな同じ状況になるだろう。1日の半分の時間を仕事とそれに伴う準備と移動の時間に費やしている我らである。そんな環境の中で、少しでも仕事を効率よく進めるために愛用している品の1つや2つあるだろう。

 

私が愛用しているのは、こちらの3つ。バックオフィスワーカーの三種の神器と言っても過言ではないのではないか。

 

 電卓、30cm定規、肩凝り解消用ローションだ。2,000文字くらい書いて、引っ張った割には普通過ぎて申し訳ない。

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1. 電卓

言わずもがな、経理ワーカーの証だ。

 

これが無くては仕事にならないと今まで信じていたが、経理部の平成8年生まれの子が電卓を持ってなくて、どうやって仕事をしているのか不思議に思っていたら、パソコンに入ってる電卓アプリを使用していた。テンキーで数字を打つことができるし、履歴も見えるし便利かもしれないが、衝撃を受けた。

 

私が新卒で入社した会社の経理おっちゃんは、全ての計算をそろばんで行っていたので時代の変化を感じる。

 

若者ぶって私も使用してみたが、使いこなせなかったため引き続きCASIOの電卓を使用している。

 

PCのそばでしか使用できないのと、机のスペースに応じて右手でも左手でも電卓を打つし、時には社内の人の机で電卓を打つので、テンキーの場所でしか作業できないのが苦しかった。

 

全くの余談だが、この電卓はかつて税理士試験を受けていた際に、先生に貰ったシールが貼ってある。先生、法人税法、受からなくてごめんね、という気持ちを忘れないためにそのままにしてあるというのは建前で剥がす理由もないのでそのままにしている。かわいいし。

 

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2. 30㎝定規

何に使用するかというと、通帳などを手入力で会計システムに入力しなくてはならない場合に、入力する"行"に定規を合わせて、取引を見失わず入力するために使用する。

 

クラウド会計を利用している会社や銀行データを会計システムにアップロードできる環境では、ほとんど使用しなくなって来ている気がしなくもない。

 

細かいExcelデータ(支払いデータをまとめたものとか)の数字と紙の請求書や支払いデータ等をチェックする時にも使用する。絶滅危惧種なアイテムかもしれない。

 

重たい鉄製の素材を好まれる猛者もいるが、重いし冷たいし透けて下の数字が見えないので、私はプラスチックがいい。

 

3. 鎮痛消炎ローション剤(と後ろに書いてあった)

同じ格好で数時間パソコンに向き合っていたり、皆のご機嫌を伺いつつ、社内規定に従い厳しく経理業務を遂行することは骨が折れる。言わずもがな肩が悲鳴を上げてくる。これをこっそり塗って、コリを散らしている。

 

女性が化粧ポーチに入れられるように素敵な光沢が表面にあしらわれている。匂いもキツくない。オフィスで使用する用にデザインされた素敵な製品だ。

 

問題は塗りすぎると、たまに肌がヒリヒリしてしまう。

 

何故、社会の片隅にひっそりと生息している者が、誰得にもならない自分の仕事上の愛用品を恥ずかしげもなく披露しているかと言えば、今回のお題のコリコランが欲しくなったからだ。

 

繁忙期になると肩コリローションよりも物理的な刺激が欲しくなる。今までは、相方が結婚式の引き出物のカタログで取得した、足用の低周波マッサージを、あまりに肩コリがひどい時に使用していた。

 

手のひらサイズの機械から有線で繋がっている心電図を取るときに貼られる様な粘着性のシートを肩に貼り、振動を肩に与えていた。

 

これは家でしかできない。また足用なので、粘着性シートに付着した私のものでは無いスネ毛を愛おしく思いながら肩に貼っていた。

 

気になって調べたところ、コリコランには線が無い。これは場所を選ばずに使用可能である。肩がコリ過ぎて、もう少ししたら頭痛がくるかもという緊急時に使用できるのは安心感がある。

 

また肌面に接する部分に貼る肌に優しいシールも気が利いている。塗るタイプだとどうして肌が熱くなったり、塗り過ぎると肌がヒリヒリとしてしまう。

 

効用を見ると、低周波のものより血行を良くし肩のコリがほぐれるようだ。ストレッチもサウナもいいけれどどうしても回復が追いつかない時もある。アラフォーだもの。

 

また低周波のものは振動があるのだが、あまり強くすると一緒に肩が揺れてしまう。ひょえっひゃあと気持ち悪い声が漏れてしまうため、あまり強くはできない。コリコランは振動無し。高周波が出ているかはチェッカー機能で確認できる。

 

人知れず肩コリ治療が可能だ。「今、私はあなたと普通に話してますが、肩にコリコラン貼ってあるんですよ。うふふ」という違った楽しみ方もありだ。

 

年末進行に向けて、仕事も日々も忙しくなるし、寒くなると肩がすくみ肩コリがひどくなるので、是非、コリコランと私の三種の神器のローションと交換したく存じます。何卒お取り計らいいただけますと幸いです。

 

この季節の移り変わりに体調崩されている方も多いと思いますが、無理せず生きていきましょう。今日もお疲れ様でした。

 

 

あなたのお部屋は大丈夫?ふと後ろを振り返ってしまう一人の部屋で 残穢 (ざんえ)- 小野不由美

中々まとまった時間が取れず、旅に出る時間がないと映画やアニメをひたすらに観る日々が始まる。

 

ただし仕事で忙しいと言うことは同時に目をパソコンで酷使することでもあり、ブルーライトや鮮やかな光が目にしみて耐え難い時もある。

 

そんな時には特に紙の本にお世話になる。スマホが普及してから、その便利さで電子書籍をよく利用するが、こう言う時は目への負担を考えて紙の本を手に取る。

 

今の私には、ホラーが現実逃避には最も適している感じがすると手に取ったのが「残穢小野不由美著である。初版が平成27年なので4年前の本だ。

 

転居した部屋で何かが畳をする音が聞こえ、背後には気配が…。と本の背面に書かれたあらすじにある。これだけ読むと何となくありふれた題材で安心して現実逃避できると安易に思った。

 

感のいい方ならこの次にどう言う感想が続くのかお分かりになるかと思うが、現実逃避どころかリアル過ぎて、フィクションなの?ノンフィクションなの?という疑問の天秤が左右に激しく揺れ動き最後まで一気に読んでしまった。

 

そして部屋で一人で読んでいる時が最高潮に怖かった。あまりに怖くて外も暗くなっていたけど、外出していったんサウナへ清めに行く始末だ。

 

家に何かが出る話は、原因を突き詰めて解消されて一件落着、更にちょっと付け加えてまだ浄化されていないものが少し残っていて、何かが起きそう…みたいに終わるパターンが多いような気がする。

 

しかしそういう展開ではなく、古い地図と付近の住民やその知り合いを取材し、調べ尽くした所で終わる。虚妄なのか現実なのか、登場人物もはっきりできない(はっきりしようがない)。

 

しかも物語の展開が、小野先生とお友達が実際に調査して、経験していくという形で進むため、臨場感が凄かった。

 

また調べるキッカケとなった怪異現象が独特なことがフィクションかノンフィクションなのかの判断を大いに惑わせた。これは意図されていることなのかもしれないが、そうだとしたら思い通りに動かされてしまった。

 

古い本なので、既にお読みになられた方も多いと思うが、ドキュメンタリーホラーがお好きな方は是非。ブレアウィッチ・プロジェクト(一番最初のやつ)くらい楽しめる。

 

 

フィクションとしての怖い話は好きだ。エンターテイメントととして手放しで楽しめる。怖い話が好きなくせに、本当にあった怖い話にはあまり近づかないようにしている。大体の事象に理由がつかないのが怖いからだ。

 

しかし気をつけていても時折私の元に怖い話がやってくる。同じフラスクールに通っているAさんの話だ。7,8年の長い付き合いなのにそういうものを感じると聞いたのは初めてだった。意外と近くにそういう人がいるものだ。

 

いくつか聞いたが、部屋に関するものが下記の3つ。

 

[その1]

発表会の前日、仕事が忙しくてフラの衣装の準備を真夜中にしていた所、キッチンの方から何かがこっちを見ている気配がした。キッチンとリビングはドアで仕切られており、その時ドアは開いていた。電気は消えていて何も見えなかった。気のせいだと再び準備を始めたら、寝ていたはずのケージの中のウサギがじーっとキッチンの暗闇を見ていた。

 

[その2]

ある日、仕事から帰ってきて、電気をつけたまま寝落ちていたら、夜中2時頃に肩を何かに「つん」と押された。それで目が覚めたのだが、肩を突かれた感触が残っていた。

 

[その3]

部屋で寝ている時に遠くでお祭りのお囃子が聞こえて目を覚まして、何かと思って窓を開けても何も聞こえなかった。ネットで近所のイベントや祭りを調べたが何も無かった。

 

比較的新しい物件だったし、大島てる(この時までこういうサイトがあるのを知らなかった)で調べても何もなかった。また悪さをしてくるわけではないので大丈夫だと思うと彼女は言っていた。原因は分からないのだ。

 

この時彼女は私の最寄駅の隣の駅の近くに住んでいたので、妙にリアルで身近に感じてしまった。結局、彼女に生活の変化があり、2年の更新も待たずに引っ越してしまったので、遊びに行くことも叶わなかった。今も隣の駅の物件にはそういう部屋があると思うと怖いし、引越しするにしてもアタリは絶対に引きたくないと強く願う。

 

怪奇現象などの怖い経験にはあったことがないので、怖いもの見たさでとても惹かれるのだが、怖がりなので、ドッピオに出会った時のリゾットばりに「私は近づかない」を貫いている。

 

しかし、ちょっと怖い場所はざらにあり、大昔に某乙女ゲーにはまっていた時に、梶原景時が刀を洗っていた場所(梶原景時刀洗水)に聖地巡礼気分で行ったことがある。友達と二人でここ何か怖いねと早々に立ち去ったりした。まあ朝比奈切通しがなかなかの場所だったのだか…。

 

また去年行った高野山 奥の院も朝行っただけだがとても雰囲気が怖かった。夜のツアーがあるみたいだが、参加しようとは思わなくなった。

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穢れるということに中々敏感な我々ではあるが、物理的にどうかということではなく、お気持ち的なものが多いので、何でもかんでも祟りや穢れのせいだと思うとまともに生活してられない。周りがお塩だらけになってしまう。

 

残穢の登場人物たちのように疑い、観察して、そういうこともあるかもしれないと考え過ぎない方が、何事も良いのかもしれない。

 

洋物ホラーのように、心霊スポットに迂闊に訪れて行くとタヒなフラグが立つ可能性もあるので、楽しめる範囲で現実逃避も楽しみたいものである。用法、用量を守り使用する事で、怖い体験はしばしの間現実を忘れさせてくれるものである。

 

ただ小説読了後、お部屋の中でシュッと音がしても振り返らないことをお勧めする。

 

 

乙女と低気圧と無断欠勤と

「体調不良で迷惑をかけているので、契約を週4日にしたい」

とバイトの子からメールが来た。

いや、その前に君は先月は10日も出社してないし、今月1回も出社してきてないよね。と一人で突っ込んだ今月中旬。今日も曇り。件の子も、お休み。

 

低気圧による体調不良は私の周りでもよくある話で、薬を飲んで対応している人も多い。そのバイトの子も雨が降ると会社を休みがちになり、台風が発生すると同時に体調不良で来なくなってしまう。

 

旧石器時代から平日は会社に詣でているわけなので、こういった事案は珍しくはない。石を投げれば低気圧っ子に当たるという諺の如くざらに存在している。自分だって体調が万全ではないと頭痛になったりするから、多かれ少なかれ人は気圧に体調を左右されるものだ。

 

電車で気分が悪くなる、胃が痛くなる、お母さんが倒れる、階段から落ちる、自転車で横転する、枝毛が無限に沸く、サイコパスが濁るなど全て低気圧のせいだそうだ。

 

その理由に呆れたりはするものの、疑った所でのちのち重い病気を患っていたという事実が判明することがあり、バツが悪い思いをした経験もあるのでいちいち目くじらを立てない様になった。年の功だ。

 

とは言え、人力を期待してバイトに来てもらっているので、出社してくれないのはたいそう困る。病状に一定の理解を示しつつも、残念ながら、新しい人と交換するしかないフェーズまで来てしまっている。

 

学校を卒業してからの人生は選択の連続だ。

 

人は選択肢が沢山あると選べなくなるそうだが、働き方や生き方が多様になるほど自分の人生をどうしたらいいのか選べない人も多そうな気がする。

 

そのバイトの子は、主体をさほど求められていない世界から主体のみの世界に飛び込んで、泳ぎ方が分からず溺れている人のように思えた。

 

低気圧のせいで体調不良なのだから仕方ないと静かに逆ギレされても、テレパス能力がない私は困惑するばかりだ。多くの人は、自分の目的(生活、経験を得る、人脈作りなど)のために自分の時間を切り売りしている。

 

結局は、その子はお金には困っていないのだ。口では経験を得たいと言っているが、それは皆が納得するような答えを言っているだけなのかもしれない。低気圧で具合が悪いかもしれないが、来たくない(来なくても困らない)ので来ないのだ。そう思うことにして、これ以上の思考は私のサイコパスを濁らせるし犯罪係数も上がるのでドミネーターに撃たれる前にやめたいと思う。

 

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昨今は発達障害やメンタル不健康な人が職場にかなり潜伏しているので、事実を鑑みての慎重な対応が、バックオフィス業務やマネジメント業務には求められる気がする。しかし気にしすぎていても業務が進まない。はい、次の方!と割り切って、法令遵守しつつサクサク進むしかない。時代は変わったのだ。人材は取り替え可能だし、市場の門戸は広く開かれている。

 

個人的には自分の人生をどう使おうかは本人の自由だと思う。働けないなら、他で働けばいいし、頑張りたいなら頑張ればいい。しっくりするところで幸せに暮らせばいいのだ。

 

ただ一緒に働くのなら無断欠勤はやめてほしい。無断欠勤した人の家に訪れたら、三途の河を渡っていたこともままあるので、本当に心配して消耗してしまうからだ。

 

 

 

今日も良き日をお過ごし下さいませ。台風がまたまた来ています。ご自愛くださいませ。

フラの発表会が終わり、退職代行会社から手紙が届く 日々は続く

フラの発表会が終わった。100億%の方が、ご興味を持たれないだろうと思うが、2年に1回の開催なのでハラウ(フラ教室)内では、大大大イベントである。

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自分も何曲も踊る、生徒さんの踊りも確認する、インストラクターとして裏方の事務仕事を手伝うなどを家計を稼ぐ仕事の合間に行わなければならず、なかなかの忙しさだった。

 

特に自分の踊りについては、生徒さんがいる手前、みっともない踊りは出来ないと何度も動画撮影をして踊りを確認して修正を繰り返した。

 

動画撮影をして、動いている自分の様子を客観的に認識する。これは中々の苦行であった。最近の子は、自分がタピオカを飲んでいるだけの動画を撮って公開したりと自分の姿を動画で見ることに何の抵抗もないのかもしれないが、デジタルノンネイティブ、幻の6人目(シックスマン)として常に立ち振る舞っている自分にはとてもハードルが高かった。

 

踊りの未熟さは、高い棚の上に置いておくとして、何より気持ち悪かったのが、「自分の頭の中の自分」と「実際の自分」の差だ。

 

気分良く踊れて完璧なつもりで動画を確認すれば、上半身はグラグラ、目線もおかしい、誰これ?という人物が映っているのだ。私だ。お前か。

 

遥か太古の昔、まだ私が大学生だった頃、心理学概論かなんかの教授が、「人は客観的に物事を見ることはできない」と言っていた。客観的風には見れても、自分のフィルターを通して物事を見ているので、それはやはり主観なのだと言う。

 

ビデオや写真によって限りなく客観的に自分の踊りを見ることが可能であるが、それでも自身の変なフィルターが入り「本番ではこんな風に踊らない」「この時は考え事をしていたからこの踊りになった」など無限言い訳が出てきたり、下手だと思った踊りが他の人に褒められたりするともう何が何だか分からなくなってくる。藪の中だ。

 

結局「本当の自分」というのが玉ねぎの皮むき*に例えられるように、「客観的な自分」の姿というものもどこにも存在しないのだ。自分の見たいものを見て、私たちは生きている。 

 

 *玉ねぎを自分として例えると、自分探しというものは玉ねぎの皮むきに似ており、全て向いてしまえば結局何も残らないし、本当の自分というものはどこにもないのだと、マックで女子高生が言っていた。

 

 まあやる事はやりきったので、後は実力不足だ。それは仕方ない。ダメな所は修正していくしかない。人生は100年あるみたいなので、後60年位あれば少しはましになるだろう。

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真の客観にはたどり着けなくとも、客観的風に見ることは、普段の仕事や生活にも役に立つのではないかと思っている。

 

先日、私が経理を手伝っている会社に退職代行会社から1通の手紙が来た。「退職代行」についてはニュースで知っていたが、都市伝説の類かと思っており本当に存在しているとは思わなかった。

 

内容は、「貴社の○○様が、○月○日付で退職を希望している。直接連絡を取ることはできない。要件があれば退職代行会社まで連絡しろ」というものだった。

 

その新入社員君は、金曜日に客先へ行く予定だったが無断欠勤し、そのまま週末にあったアポもすっぽかし、連絡が取れず行方不明だった。チームのメンバーが慌ててフォローしなくてはならなかった、彼は一体どこへ行ったのかという話で社内がざわついていた時にその手紙は届いたため、騒がしさは更に増した。

 

その手紙を見た時、「落ち着け新人!」と手遅れながら思った。

 

新卒から会社勤めを始め、今はバックオフィスの業務委託と雇用契約の兼業社会人。20年色々な会社に在籍し、お客様の会社や自社を見てきたが、この会社は辞めたいと言って辞めさせてくれない会社ではない。業種の都合上、業務は忙しいかもしれないが、それもいわゆるブラック企業のそれとは違う。

 

そして「君は戦力でもなんでないんだ。辞めてほしくない人材でもなんでもないんだよ」とも思った。だって新卒新人の戦闘力は、枯れ木も山の賑わい程度なのだ。

 

私自身も新しい職場、仕事を始める時にいつも心にとめていることでもある。会社単位で見た場合、替えがきかない従業員はいない。場合によっては、社長さえ代替可能なのだ。一社員の存在など推してて知るべしだ。

 

代行会社に支払う報酬は5万円が相場らしいが、「辞めたいです」のその一言とその後の諸々の面倒くさい事が等価交換というのは、安いのだろうか。自分が辞める意思を言うことができる性格であるのと、私が新卒一般職で働いていた旧石器時代に手取りが15万円だったことから考えると、私にとっては高いと思うのだが。

 

客観的風に見れば、この会社は簡単に辞められる環境だったと判断できるため、サクッと退職の意を自分で伝え、5万円は辞めた後の生活費の足しにすればよかったのではないかと思う。

 

現状や自分の立場を客観的風にみるのは、やはりとても難しい。経験、周りの人の意見、職場の観察、事実、どれだけ並べても自分フィルターを通した主観でしか判断できない。私たちは、主観、自分の中の自分に、支配されている。

 

若い人たちに限らないが、私たちは選択肢が多い反面、選択するのが難しい時代にいるのかもしれない。ただお金も時間も自分の能力もできるだけ、大事に使ってほしいと思う。何しろ人生100年だそうなので、その配分を間違えると地獄が待っていると思われる。

 

うまくいかない時は吐きそうでも、自分を限りなく客観的に見ること。これは、解決策の一つになるかもしれないし、現状突破のヒントをくれるかもしれないと、自分のフラ動画をもやもやと見ながら自分を鼓舞している。

 

だって、フラの発表会が終わっても、または会社を退職したって日々は続くのだ。

 

去っていった新人君には、日割りの給料と未清算の経費を支払ってお別れをした。会社の彼の机には、彼が使用したいと所望して購入したごついゲーミングキーボードが残されていた。これどうすればいいのさ…。

 

 

 

大型台風が外でうねっていますが、来週もサバイブしていきましょう。命大事に!

映画「サウナのあるところ」感想 そこには人が集まり、それぞれの物語が交差する

サウナはに入るのは好きだ。

 

だが、サウナに関する俺哲学やどこに何回行ったか等をあーだこーだと語るのも聞くのも苦手。映画が公開されるのは知っていたが、観るかどうか悩んでいた。

 

しかし予告編を見て、心は決まった。この映画は、私の苦手なものを題材にしているものではないと確信した。久々にフィンランドサウナの蒸気が上がる音が耳の奥に聞こえた気がする。 


映画『サウナのあるところ』予告編(2019年9月14日より公開)

 

 

アップリンク渋谷は、とてもこじんまりとした映画館で驚いた。

www.uplink.co.jp

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おっちゃん(多分自分より若い人もいる)の一糸まとわぬ姿メガ盛りでちょっと刺激が強かったが、サウナの空間で弱音や辛さをもらすおっちゃんたちの姿にキュンとした。

 

そうだった。フィンランドのおっちゃんたちは、可愛いのだ。

 

話をしながら泣けてきてしまうおっちゃん、それを見て、「蒸気を足そうか」とロウリュするおっちゃん。サウナの蒸気は優しさでできているに違いない。

 

自分の身の上を泣きながら話すおっちゃん、静かに聞くおっちゃん。その後「話すべきじゃなかったかな」と言うおっちゃん、「話していいさ」というおっちゃん。サウナだからこそ語れる話があるのかもしれない。

 

保護された子を預かったおっちゃんは言う。

「その時から俺の息子になった」と。その後大きくなった「息子」とおっちゃんのアップが映る。このシーンが一番キュンとした。そして「"彼"とサウナに入ったのかーい」と一人突っ込んだ。

  

サウナでのおばちゃんたちの会話が好きなのはこう言う所だ。何気なかったり、深刻な話が展開されたり、たまに会話に巻き込まれてどぎまぎしたりするのが水風呂の次に好きだ。

 

それにしてもサウナストーブさえあればどこでもサウナになるのだろうか。車や公衆電話、テント等色々なサウナが出てきて興味深かった。ヘルシンキで観覧車のサウナを見た時には驚いたが、それ以上だった。是非映画を観てその発想を楽しんでもらいたい。

 

作中でのおっちゃんたちの会話は、かなり深刻で重い話が多かったが、監督によれば

決してフィンランド人のメランコリックさを書きたかったわけではないし、サウナがそういうシリアスな場だ、というイメージ作りをしたかったわけでもない。=中略= 本音を打ち明けられると、こんなにも楽になれるし素敵なことだよと感じてもらえたら嬉しいです 

という意図で作品は作られたそうだ。 

 

フィンランドのサウナがどういう雰囲気なのかよく分かるので、行ってみたいけど心配な人は観ると参考になるかもしれない。男子サウナだけであるのが残念ではあるが、充分サウナを目で楽しめる。

 

フィンランドサウナが好きな人は、またフィンランドにサウナに入りに行きたくなるだろう。私は鑑賞後、来年のゴールデンウィークの予定や休めそうなスケジュールを確認してしまった。

 

途中、ヘルシンキにあるサウナが出ていたが、確かに私にはハードルが高いなとよく分かった。後、おっちゃんたちの笑い声がすごかったな…。居酒屋か。道端で外気浴をするタイプのサウナは、今後のチャレンジだろう。

 

色々な人生があり、ままならない思いを抱いて生きていく。心が空っぽになって、もう動けないとなった時に、充電できるような場所、彼らのサウナの様な場所があるといいよね。

 

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翌日のサウナは、日本のバリバリの電気サウナ&20度の水風呂だったが、脳内補正によりクーシャルヴィのスモークサウナとキーンと冷たい湖に入った気分になった。

 

今週も気分転換しながら、何とかサバイヴしていきましょう!

 

ゴマアブLOVE!についてのただの感想 [注意]ためになる話はない

\\ 私にはどっちかなんか選べない…///// 

 

待ってほしい。唐突に申し訳ない。錯乱したわけではなく、電車で見つけた広告の中での 胡麻野 恵さん(ごまの めぐみ)のセリフだ。

 


昨今、漫画を使用した宣伝は多く見かけるが、人気者の主人公(料理上手)という一言につい食いついてしまった。

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パッと見ると三角関係の状況のようだが、コマ割りから判断すると女子が主人公のように思える。

 

少女漫画の三角関係では、大概は「主人公の女子」が二人の男子の間で揺れる(花男暁のヨナ、くらげひめ等)*、または「主人公の女子とその親友女子」が一人の男子を取り合う(アオハロイド、好きなよ等)*、パターンが多いように思える。

*例に挙げたマンガは、三角関係がメインでないので、何とか読めたが、基本的に三角関係もつれが予感できた時点で、読まなくなる。アオハロイドは完全に途中で読むのを止めた。

 

歳を重ねるにつれ日増しに三角関係のキュンが苦手となり手を出さないのだが、このモテ男子、 角谷 純 (かどや じゅん)氏が主人公という所に不覚にも新しさを感じてしまった。少女漫画、三角関係シチュエーションで男子主人公はあまり覚えがないのだ。

 


気になってHPに行き、人物紹介を確認してみた所、やはり主人公は”恵さん”だった。残念だし、雑過ぎである。

 

ご興味ある方は下記からどうぞ。漫画とごま油のレシピを見ることができる。

www.kadoya.com

 

 

ここからは完全なる個人的な感想だ。

 

ごま油の香りで"恋か?濃いか?"で心揺れているようだが、恵さんのこじらせが正常に戻りさえすれば、幼馴染の純氏と両想いという布陣だ。

 

濃井 薫 氏(こい かおる)は完全に噛ませ犬、もとい少女漫画に必要不可欠な二人をくっつけさせるスパイス的な存在だと思われる。

 

 

「ゴマアブLOVE!」は3話を読むことができる。第2話の純氏のセリフへの恵さんの「なっ何言っているか分からないよ!」については首が痛くなるほどうなずき、恵さんに激しく同意した。

 

またライバル薫氏の登場シーンは、「危ない!!」と言いながらちょっとどこから飛び出てきたか分からなかった。(はしごを駆け上っている?)

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第3話では、早くも修羅場が訪れるが緊張感はあまりなく私でも読めた。

 

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「ダッ」「ばっ」というこの2コマの躍動感にとても岡田あーみん みを感じる。ツボである。

 

物語はここから展開していくと期待が高まったが、残念ながら「ゴマアブLOVE!」は作者の都合によりしばらくの間休載となるようだ。

 

漫画やアニメを使った広告が世の中にはかなりあるが、本当に直接購買に結びつく効果があるのかよく分からない。私の場合、漫画やアニメは覚えていても、それが何の商品やサービスに結びついているのか大体よく覚えていない。

 

人々の要求が多岐に渡り、企業の宣伝に対する努力は並々ならぬものがあると思う。しかし、量産されたゆるキャラと同じように、漫画やアニメの広告もなんでも作ればいいというものではない。

 

ごま油についてはLOVE!だが諸所が気になってしまい、しっかり漫画を細部まで読み込み、あまつさえブログにまとめてしまった自分を責めている。作家さんは一様に尊敬しているので、常に全力で作品を読む。そのため肩透かしをされた時の疲労感は半端ない。

 

どこかのシンジロウさんの如く意味があるようでないセリフの端々が気になって気になって、もやる。それを元に更に色々考えてしまう。

 

だんだんライバル薫氏の顔が、サンドウィッチマンの富澤さんに見えてきて、そうこうしているうちに本命の純氏の顔も伊達さんに見えてきて、実写化するならサンドウィッチマンがいいのではないかと思い始めてきている。

 

広告の意味などあるのか云々と偉そうに言ったが、ここまでくると広告製作者の思う壺感がある。悔しいのでこれ以上考えるのは止めよう。

 

 

 

 

 

妄想の世界はファンシー花が舞っていますが、現実世界では台風が近づいております。皆さまご自愛くださいませ。今日もいい日でありますように。