ぴこのねごと

さあ、つかの間の現実逃避へ。 旅とフラと時々経理の話

憧憬のハワイ 住みたいかどうか胸に手をあてて改めて考えてみる

ここに一枚の写真がある。

 

右から、父、母、父方の祖父、祖母である。母に抱かれているのは私だ。撮影された場所は、今から約40年前のホノルル空港の駐車場と聞かされている。

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私の人生を振り返ってみれば、特筆すべきこともなく、人に自分の人生を話した時「つまらない人生だ」と言われたこともある。その時は何て失礼な人だと思ったが、言葉の選択がうまく出来ないただの素直な人だったのかもしれない。

 

山もなく谷もなくドラマティックで運命的でハラハラドキドキな盛り上がりもなく淡々と過ぎていく、日常ゆるふわ系な平穏な人生もきっとあるのだ。

 

少しのことから多くを感じ取ってしまう性格のため、自分では大興奮の嵐の場面であっても、多くの人にはそよ風が頬を撫でた程の場面なのかもしれない。また心の動揺を避けるために敢えて普通に目立たないように生きている節もあるので、第三者から見た私の人生がつまらないというのは致し方ないことだ。

 

そんな私とは反対に自分の周りの近しい人は中々に選び取らない選択をし、波乱万丈な人生を送っていたりする。私はバブルリングに巻き込まれるクラゲの様に、時折そこに巻き込まれることがある。「波乱万丈」は私の人生にはあまりかかわりのないワードだが、必要とあらば否応なしに巻き込まれてしまうので、世界はうまくバランスが取れているのかもしれない。

 

写真が撮影された1970年代、両親はハワイ、オアフ島に住んでいた。父が料理人としてアラモアナショッピングセンター近くのレストランで仕事をしていた。母は生後2か月の私を連れて、慣れない育児と海外生活で苦労をしたと聞いている。

 

父は思考が自由な人で、ハワイで働くことが決まると、身重の母を残して単身ハワイへ飛んでしまった。母は父の実家に残されて、頑固な昔気質の祖父とその祖父に言いなりの祖母の下で大変苦しい日々を過ごしたそうだ。

 

私が生まれてからも苦しい日々は変わらず、ある日私を連れて家出し、母の親戚に逃げ隠れていたのを母の祖母が見つけた。母の実家には、折り合いのうまくいかない異父姉がおり、そこに逃げ込むことはできなかったらしい。

 

すったもんだの挙句、母と私は、ハワイで父と無事に暮らしだした。家出した母を祖父は怒り、私のベビーベッドやら母子手帳やらを捨ててしまったらしい。ランボー怒りの廃棄である。

 

海外旅行が高額だったと思われるこの時代に、そのランボーが何を思ってハワイに来たのかと、この写真を見ると考えを巡らせてしまう。二人とも既に亡くなっているため、今となってはよく分からない。

  

この後ハワイに永住することを告げた時、ランボーは「帰ってこなければ勘当する!」と父に言ったそうだ。ランボー怒りの勘当である。そのため両親は永住権を取得する手続きを途中でやめて、帰国した。後に母は「今考えると勘当されても、ハワイに永住すればよかったよね」と言っていた。メンタルタフネス母だ。

 

私のハワイでの暮らしは、3年弱で終わった。今でもこの時ハワイに永住していればどうなっていたかと考えることがあるが、それはあまり意味のないことに思う。それほどにこの件は昔の話であるし、巻き込まれ事案であるので私にはどうしようもできないからだ。

 

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その後、ハワイに再び訪れることができたのは私が高校生の時だった。

 

時差ぼけでフラフラの中、ウェルカムランチをホテルで食べている時「何かここいいな」とぼんやりと思った。子供の頃の記憶は全くないのだが、懐かしさを感じた。ハワイは多くの人にとって好きな土地なので、ただの勘違いの可能性も否定できない。

 

昔、父が勤務していたレストランも当時父と一緒に働いていたおじいちゃん、おばあちゃんが未だ働いていた。当時の話を聞いてとても不思議な時間を過ごした。ハワイに住んでいた当時の友達の家にもお邪魔した。そこの家の子供のおもちゃを取り上げた話等を聞いて、大変申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 

この17年後のハワイ再訪は、過去と現在を結びつけるためのギリギリのタイミングだったように思える。

 

この後、レストランは焼肉屋になり、同僚のおじいちゃんは亡くなり、お友達はアメリカ本土へ引っ越していった。同僚のおばあちゃんとも連絡が取れなくなり、どうしているのか分からない。

 

最近では、当時日系人がよく行っていたという白木屋も雑然としていたインターナショナルマーケットプレイスも数年前に改装されてしまって、当時の面影はない。ホリデーマートというスーパーだった場所は、ダイエーになり今ではドン・キホーテとなっている。投資用の億ションやビルが立ち並び、ブルーシートの小屋ばかりだったカカアコも開発され、ホノルルはどんどん変わっている。

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それでも、ハワイに行けば懐かしい気持ちになり、戻ってきたような気になるから、不思議だ。

 

日本での今の生活を続けている限り、ハワイに住むことは無理だ。全てを捨てて、ハワイに住む選択肢はないので、50%くらいを捨てて、会社のハワイ支社に長期出張ということでお試しで住むことがお手軽にできるハワイ住みかもしれない。

 

何とかビザを取ってくれるなら、雇用関係を結んだっていい。しかしその場合、ビザ取得の等価交換として社長に24時間こき使われる可能性が大なので、その膨大なストレスを考えるとなかなか一歩が踏み出せない。

 

そういう所だ。そういう所が私の人生を平穏たらしめているのだ。平穏な人生時々バブルリングが私にちょうど良い生き方なのだと最近思う。

 

住むかもしれない、住まないかもしれない、懐かしく感じる、変わっていくことに悲しむ、いいなと思う、育った場所、ただいまという気持ち、一言で言い表せない複雑な感情が渦巻くそんな特別の場所が、私にとってのハワイである。住んだら住んだで順応し過ぎて、東京で生活できなくなるかもしれないリスクもある危険で魅惑の場所でもある。

 

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