ぴこのねごと

さあ、つかの間の現実逃避へ。 旅とフラと時々経理の話

立川流が好きっ!!感想と覚書

 落語ブームと言われた2016年、確かにあちこちで落語のニュースを目にしたような気がしますし、自分の興味が再燃したことによるカラーバス効果ではないのかとも思ったりもします。落語初心者の私が、このブログを書いてもいいものかとても悩んだのですが、昨日奇しくも情熱大陸林家たい平師匠が出ていたのを見て、書こうと思った次第です。 

 

 40代になって、仕事で責任ある立場に立たされ、部下の指導をしたり、管理職としての立場から社内でついつい孤独になり、会社での自分の存在意義やイライラを抱えて日々を過ごしていたところ、縁あって落語会に行くところから私の落語ライフが再スタートを切りました。

 

 少しづつ噺を聴いているうちに、どうも立川流の方々の落語は、何だか自分に合うようだと思うようになり、「立川流が好きっ!!」に行けば一挙に立川流が聴けるなあという軽い気持ちで行く事にしました。


12月21日(水)
開場18:30開演19:00
会場 清澄白河 深川江戸資料館 小劇場

 

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 チケットは、完売。

 

 この「立川流が好きっ!!」は、志ら乃師匠(志らく一門)、こはるさん(談春一門)、談吉さん(左談次一門・元直門)、志の太郎さん(志の輔一門)、吉笑さん(談笑一門)、寸志さん(談四楼一門)、各一門からの孫弟子さんたちが落語立川流を再解釈/再構成するという趣旨の落語会でした。

 

 各一門からと言われても、こちらは初心者、どのお師匠さんの得意な噺が、とか家元との絡みでその噺を選んだとか、難しい事は分かりません。そして分かったように語ることも好きではない。ただ会の趣旨から、皆様の演目について勝手に妄想を膨らませてみました。

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  •  こはるさん

 【真田小僧】小生意気なこざかしい子供の小気味よい噺。立川流またはこはるさんの立川流としての落語界での立ち位置のようなものかもしれないなと感じました。(思い込み)

  •  志の太郎さん

 【人間っていいな】タイトルのままな噺。

 余談ですが、出囃子が日本昔話の「にんげんっていいな」で、まさか志の太郎さんの出囃子ってこれなのかと調べてしまいました。初見でしたので判断が付きませんでした。マクラで、志の輔一門は情報が断絶されており、8月に開催された「立川流が好きっ!!」で知ったことが多いとおっしゃっていたのが印象的で、「(立川流というよりは)人間っていいな」と、この演目を選んだ感覚が自分なりに腑に落ちたような気がしました。(思い込み)

 

  •  談吉さん

 【天災】時間の都合だと思われますが、ほぼマクラなしで、スタート。立川流を八五郎と見立てて妄想を膨らませると楽しいなと思いました。

 

  •  吉笑さん

 【一人相撲】同じものを見ているはずなのに、視点がばらばらで期待した報告が上がって来ない現状をあらわしているかのような噺。仕事でもよくある状況で定義とルールを統一しないと、決まった成果は示せないよなあなんて、真面目に考えてしまいました。

 

  •  寸志さん

 【庭蟹】シャレが理解できない人にシャレを説明しなければならないことの恥ずかしさよ、きまずさよ。余談ですが、がじらさんの二つ目昇進の会の時に、何だかこの人は面白そうだなあと思っていました。間違いない。

  

 【粗忽長屋】この年の瀬に志ら乃師匠の粗忽長屋を何度か聴きましたが、何度聞いても新鮮。人間社会は個人の主観からできている。

 

 会は趣旨もはっきりしていて、自分なりにとても楽しめましたが、以前吉笑さんが言っていた「立川流がヤバい」ということについては、さっぱり分かりませんでした。笑うだけで、終わらせては勿体無いと、吉笑さんや談吉さんのブログを再読したり、志ら乃師匠のブログと「談志亡き後の真打ち」宝島社を読んで、少し考察してみました。

 

 危機感は、私の中では鎌倉幕府みたいな感じ。平氏を滅亡させ、天皇から軍事的権限を与えられた源頼朝は、そのカリスマで御家人たちを支配していくのですが、1199年に頼朝が没すると、子供の頼家の親裁は停止され、のちに修善寺で暗殺、実朝も鶴岡八幡宮で暗殺、頼朝のカリスマは徐々に薄れていき、源氏は3代で消え、1333年には鎌倉幕府も滅亡してしまいます。

 

 「談志亡き後の真打ち」で談笑師匠が、志ら乃師匠の質問「立川流ってものに対して、何か不安ってあります?」に対して「ない。」と答えていたのが印象的でした。立川流はブランドで「これまでは「ブランド」といっても「談志門下としてのブランド」だっんだよ。志の輔談春志らくというのは。談志がいなくなった今となっては、次の世代となるわけだ。「志らくブランド」であり「談笑ブランド」が大事になってくる。~中略~「談志の弟子」っていう枠は、これから急速に意味が薄れていく。」

 また立川流新体制の箇所で、「立川流は流れ解散でいいんじゃないですか」と志らく師匠がおっしゃっているのも面白い。真意は分かりませんが、直弟子の方と、孫弟子の方の温度差、孫弟子の中での温度差の存在を知りました。

 

 志ら乃師匠は、この本が出版された2012年から孫弟子は危ないと危機感を持たれていたことに驚きました。あの会場での気遣いは、ここを発端としているのではないかと深読みしてしまいました。

 

 人生は団体戦だと、作家の本田健さんが言っていました。一人では戦えない、苦手を補って団体で試合に臨もうと。一方で、団体になるということは、個を持っていないものにとっては、そこに埋没されてしまうことではないかとも思います。会社名がなければなんの存在価値も面白味もない人なんて山ほどいます。

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 このタイミングで立川流に吉笑さんが現れ、危機感を持ち、声掛けをし、集まった様々な個性を持つ方々が、今回この会を開いたことの意味は、後々歴史を振り返った時に分かるのかなと想像するとわくわくします。真打のトライアルやこの会の様に観客を巻き込む立川流、昔の立川流は分かりませんが、これからも目が離せません。