ぴこのねごと

さあ、つかの間の現実逃避へ。 旅とフラと時々経理の話

経理社員のつまらないこだわり

 午後2時半、ランチの後のけだるい時間帯、たまっていたメールもはけて、眠気覚ましにコーヒーでも買いに行こうかというその瞬間に、人事部からそのメールは来た。
 
「新井さん
 
お疲れ様です。
 
本日より、部長 斉藤和夫さんは休職となりました。それにともない、バックオフィスサービスの部長代理として、現アシスタントマネージャーの新井清子さんに斉藤さんが復職までの間、部長権限を与えることとなりました。
 
後ほど正式に辞令が発表されますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 
人事部
杉浦」
 
 日本語が理解できず、そのメールを何度も読み直した。斉藤さんが休職となり、私が部長代理になる?斉藤さん、夏季休暇じゃなかったっけ。眠気も一気に吹き飛ぶ破壊力のあるメールの前に、フリーズしていると、後ろから我が経理部の女性スタッフの中村奈津子と市田紀香が何やら熱く語っているのが聞こえてきた。
 
「この前、営業部に行ったら、営業事務の女子が、数字を押すと音が出る電卓使ってたんだよね。仕事でそれってありえなくない?1+2=3をいち、たす、に、は、さん!とか音が出てるの。子供かって思った。これ1,000円で買ったんです~なんて嬉しそうなの。」
 
「中村さん、それ社会人の電卓にしては安すぎますよね。恥ずかしいから、電卓にはお金かけた方がいいですよね。どの部署にいても同じだと思うんです。そんな電卓使ってると営業事務全体が頭悪いと思われちゃいますよね。私としては、経理部所属なのに1万円以下の電卓使ってるなんて、ありえないですよ」
 
「私のも結構いい電卓だよ。キータッチもいいし。触ってみて!」
 
 電卓小話から、電卓自慢話に展開して、ヒートアップしていく会話、正直そんなのどうでもいい。電卓なんてExcelの表示に隠れている数字がないかや経費精算レポートとレシートの数字があっているか等の検算ができればいいのだ。キータッチを気にするほど、君たちは普段電卓をたたいていただろうか。
 
 ふと振り返ると、そのしょうもない会話の横で寡黙に経費精算レポートをチェックしている内田恵理、無駄な事が嫌いで課せられたノルマはきっちりこなしてくれるが、指示されたこと以外は一切しないもう一人の経理社員がいた。この会話に参加することなく、無言で仕事を進めている。
 
 斉藤さんの不在、補充もなしとなると、私は代わりにこのスタッフたちと部署を回していかないとならない。そんな悲壮感漂う私の後ろで、電卓自慢は続いている。
 
「わーこれすごくキータッチが滑らかでいいですね。ずっと数字を入力していても疲れませんね」
 
「そうなの。キーの数字も印刷がキーの内部まで続いていて、金太郎あめみたいに数字が消えないんだよ。デスクと接触する部分は、全面になんとか樹脂型のストッパーが付いていて、滑らないようになってるんだ」
 
 税理士試験を受けるんじゃないし、会計士の仕事をするわけでもないんだから、電卓のキーが消えてしまうまで、使わないのではないか。ふと突っ込みを入れながら、前の会社のおじいさん経理部長の電卓は、キーの数字が全て消えていたが、それでも正確に計算していたなあなんて思い出してしまった。
 
「中村さんは、電卓なら、CASIO派なんですね。大体がSHARP派とCASIO派に分かれますよね。キーの配列が変わっちゃうから、悩んだんですけど、私、新しい電卓をAmadanaで買ってしまったんですよ!」と言いながら、サイドテーブルから重厚な箱を取り出す市田、そしておもむろにその蓋を開けた。ふかふかのクッションに包まれた、デザインが可愛い電卓と電卓ケースが現れた。

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「何これ。すごいかっこいいね!キーが指のくぼみに合わせて、丸くなってる。お洒落なのに12桁入力できるし、仕事にも役立ちそう。この適度な重さもいい」
 
 普段辛口な中村に褒められて、嬉しくなったのか、 
「限定販売していたので、思わず購入してしまいました。キーの配列が違うので、これから少しづつ慣らしていこうかと思っているんですよ」
と少しトーンが上がった声で言いながら、市田は電卓を重厚なふかふかクッションがひいてある箱に戻し、サイドテーブルに丁寧にしまった。
 
 使わないのかい!と誰にも届かない突っ込みをし、体を向き直し、深くため息をついた。そんなことより辞令が出る前に人事部へ行って、ちょっと話を聞いてこないと。私は、おもむろに立ち上がると人事部へ向かって行った。