レイをあなたに UMAHANA 3rd ホイケ
いい匂いでしっとりしている生花のレイ、ハワイにとってレイは無くてはならないもので、カメハメハ大王像やバニーズ・パウアヒ像にはレイがいつもかけられています。
また古代ハワイアンの聖地であるヘイアウにもレイが捧げられています。
フラにおいてもレイは欠かせないもので、愛する人をレイに例えて歌った歌は数知れず。フラダンサーたちは、曲にあったレイを選んで身に着け踊ります。
6/10(土)横浜大さん橋ホールにて行われたUMAHANA 3rdホイケにて、フラを踊らせていただきました。踊った曲は、「Pua Mana」、マウイ島のラハイナにある大切なわが家を歌った曲です。
UMAHANAとは、 生花でレイを作ってくれるお店で、レイメイキングの学校もあります。その学校の発表会で、生徒さんが作ってくれたレイとポウをつけてフラダンサーが踊ります。
今回作っていただいたレイは、アルストロメリア(白い花)、エクレール(緑のバラ)、ラムズイヤー(もふもふの白い葉っぱ)、カスミソウをティーリーフに編み込んだもの。ボリュームもあり、紫のドレスにとても合います。山形で栽培されたお花で作られており、ハワイの花で作るレイと全然違いますが、とても素敵です。
余談ですが、このゴージャスなレイを作って貰うと25,000円くらいするみたいです。今回そんな高価なものをいただけて、大変感謝しております。
この素敵な会に参加させていただいて本当によかったです。生花とフラは、こんなにも人の心を和ませるものかと改めて実感しました。ジェイク・シマブクロ氏は、ウクレレの音は平和の音だと言っていましたが、お花とフラでも平和になるのかもしれないなと思いました。
生花のレイは冷蔵庫に入れて、1か月くらい楽しみ、その後ドライフラワーにして楽しむそうです。ドライフラワーになって、どんどん朽ちてしまっても、それを楽しむ。なんだか、ワビサビの「サビ」の精神の様です。
フラワーアレンジメントで有名な欧州出身の方が、自身のジュエリーブランドについて、「自分が手掛けた作品の美しさが失われない方法をいつも考えてきて、ジュエリーに美しさと自分の愛を封じ込めることができる」という意味のことを語っていて、日本のサビの考えとは真逆だなと感じたことを思い出しました。
美しさ、はかなさ、大切な気持ち、そんな気持ちもレイに編み込まれていたのかもしれません。永遠に同じものはなく、枯れていく様もまた美しいし、生きているということなのだと、いただいたレイから感じました。
フィンランド HEL YEAH! 海へ飛び込め Day4
サウナ発祥の地でもあるフィンランド。観光の合間を縫ってサウナへ行ってきました。女子一人でも安心して行けるところを探しました。アパートにもサウナがあるのですが、バイオハザードの様な地下の廊下の奥にあり、怖過ぎて10分くらいしか入っていられなかった。そんな小心者でも楽しめるところ!
というわけで、小心者の私も安心の今ヘルシンキで話題のお洒落サウナへ。
平日昼間に予約なしで行ったら、予約いっぱいで入れませんでした。土曜日は、7:30〜11:00(入場は10:00まで)のモーニングサウナがあるらしく、お店の人がお勧めしてくれた事もあり、土曜日に出直しました。お店のHPで予約ができるそうなので、時間が決まっている人は予約した方がいいかもしれません。
14番のバスが、Loylyの前で止まります。大体20分に1本くらいです。ホテルがテンペリアウキオ教会の近くだったので、そこからバスに乗りました。バスはカンピを経由していくので、カンピからでも行けます。トラムで近くまで行って歩く事もできます。20分位かなぁ。
こちらの入口から入ると、右手がレストランで左手がサウナへの入口です。
あの階段から、海へ飛び込めます。別に飛び込まなくてもいいと思いますが。
朝、7時まだレストランはオープンしていませんでした。
外のデッキでも食事が取れるのですが、カモメが激しく襲ってきます。ぼーっとしたい場合には店内で食べることをお勧めします。
サウナはスチーム式で温まった石に水をかけるタイプ。鉄の蓋をあけて、柄杓でお水を石にかけます。伝統的なスモークサウナもあるのですが、この日は温まるのに時間がかかっているらしく、温まっていませんでした。
石に水をかける際には、かけていい?と誰かしらがサウナ内の皆に確認します。この一蓮托生感がとてもいい。
スターティングメンバーは、フィンランド人の親娘と夫婦、アイスランドから来たという二人組の女子、イギリスから来た二人組女性、上海から来たと言う夫婦、香港から来た男性、そして日本代表の私。
どこから来たのから始まって、サウナの話や日本の話、フィンランドの感想などを話したりとてもゆったりとした時間を過ごしました。
香港から来た男性は、香港スターみたいな格好よさでタジタジしてしまいました。日本にも来たことがあるらしく、草津温泉とスキーに行ったと言っていました。
サウナは暑過ぎず、蒸気で温めているため、日本のサウナの様に肌がぴりぴりしません。各自が熱くなったら、外に出て、海に入ったり、水のシャワーを浴びたり、地元の方々は、ワインを飲んでゆったりと語らっています。
日本の修行みたいなサウナと全然違う…。
上海から来た夫婦の奥さんとシャワー室で会ったのですが、凄い可愛い人で日本にも何度か行ったことがあると話してくれました。サウナでは旦那さんと英語で話していたので、中国人とは思っていませんでした。街で見かける中国人の団体とは全然違うタイプだったので、もしかしたらセレブだったのかも。
サウナで驚いたのは、フィンランド人親娘のお母さんが、タオル一枚でサウナに入っていた事です。男女一緒のサウナだし、タオル一枚ではなかなか心細いのに。海へ体を冷やしに入る時には生まれたままの姿で入っていて、目のやり場に困りました。ちなみに娘さんは、水着でした。
サウナからは海が見えます。春の日差しにキラキラと光る海面を見ていると、力が抜けてぼーっとなります。スタッフの方のお勧め通り朝に来て良かったなぁと思いました。空いてたし。
地元の方によりますと、土曜日の朝は、ヨガ教室もあるみたいで、こちらも人気で、この日は予約でいっぱいだったそうです。興味があったのですが、どこから予約できるのか分かりませんでした。
サウナ後に食べる食事はこれまた美味しい。ハンバーガー(税抜18ユーロ)は意外と大きく、食べ進めていくと、ビーツやらサーモンやらが現れ具だくさんです。フィンランドではサーモンをとにかく押してきます。ハンバーガーの他にスープなどもありました。忙しく観光地を動き回る事だけが、旅行じゃないなと思いました。
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あまりにもサウナが素敵だったので、「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」といった感じで、帰国後、日本でもフィンランド式サウナに入れるというラクーアに行ってみました。
一歩踏み入れれば、ここは八熱地獄のどこかなの!?と思うほどの暑さ。毎日決まった時間にロウリュサービスがあり、90度に熱せられた室内で、石に水をかけて蒸気を出し、地獄感を高めます。更に一人一人をタオルで扇ぐというサービスをしてくれるお姉さんは、獄卒に見えました。ここもやっぱり修行系でした。
結論、日本のサウナはやっぱり、フィンランドのサウナとはと全然違う。
フィンランド HEL YEAH! 海上要塞スオメンリンナ Day3
フィンランドの世界遺産の一つであるスオメンリンナ島へは、マーケット広場から船に乗って、15分くらいで到着します。屋外デッキで周りの景色を楽しみます。
小さい島々があり、かわいらしいお家も見えます。
あっという間にスオメンリンナ島に到着です。船から降りて、インフォメーションセンターで、日本語のパンフレットをもらい、散策開始です。船着き場の右側には、S-Market(スーパー、レンガの建物)があるので、飲料水、食料などを購入できます。
5月は、週末にのみ英語とロシア語のガイドツアーがあるため、英語のツアーの予約しようと、Iso Mustasaari島とSusisaari島の間にあるスオメンリンナセンターに向かいます。夏の時期にはガイドツアーの種類も増えるそうですが、日本語ツアーはありませんでした。
ツアー参加料は、11ユーロ(子供4ユーロ、ヘルシンキカードがあると無料)で、Susisaari島、Kustaanmiekka島を1時間から1時間30分で回ります。
スオメンリンナセンター内のミュージアムにも入場しました。スオメンリンナの歴史が学べる短編映画には日本語のイヤフォンガイドもありました。観ている人が私しかいないし、暗いし、で、寝落ちたよね。結局、2回観ました…。
お昼はカフェ・ヤーケッラリで、カレリアパイ(カリヤランピーラッカ)をいただきます。ロシアに近いカレリア地方の伝統料理で、牛乳で作ったお粥をライ麦粉の記事で包んで焼いたパイです。こちらのは、お粥ではなくて、ジャガイモでした。
建物は、1898年に士官の家庭の食料貯蔵庫として建設されたそうです。カフェでは美味しいペストリー、スープやコーヒーのほか、スオメンリンナのアートや文化を体験できます。
元食料貯蔵庫だけあって、床下にスペースがあり、ガラスの床から下に配置してあるアート作品を見ることができます。お店にいたおじさんは大きくて、強面だったのですが、帰り際、「食器はそのままでいいの?」と声をかけたら、「そのままで大丈夫だよ」とすごく優しく言ってくれました。
そろそろガイドツアーの集合場所に戻ろうかという所で、ガイドツアー参加者に配られるシール無くしたことに気が付き、半泣きです。ダメもとでレシートを握りしめて、受付に行ったら、あっさりシールをいただけました。優しい。
余談ですが、インフォメーションセンターでは、無料Wi-Fiが使用できます。パスワードは、”fortress”で何だか格好良くないですか。
ガイドツアー参加者は30人くらいで、ほぼ欧米人で、アジア人は私ともう一人の韓国人らしき女性2人でした。途中日本人の観光グループにも会いました。
スオメンリンナには、刑務所もあります(写真中央)。刑務所ではスオメンリンナの石垣を補修したり、花を育てたりしているそうです。とてもオープンな環境で、脱走することは簡単みたいなのですが、脱走する人はいないそうです。「受刑者たちが自分たちで自分たちを囲む石垣を補修している」とガイドの人は冗談交じりに言っていました。
世界遺産&観光地に刑務所ってどうよと思いますが、もともと政治犯などをこの島に捕らえていた歴史もあるみたいなので、その流れからなのかもしれません。
高台から防壁を見下ろして、使用されていた当時の様子を思い描いてみたり。
防空壕のような細く暗い通路は、とても息苦しく感じます。
のんびり家族でお散歩している人々もいました。観光地としてだけではなく、地元の人の憩いの場所でもあるそう。今なお、住んでいる方もいらっしゃるそうです。
こちらの教会では、 結婚式をあげることができるそうです。参列者たちが集まってきています。
石でぼこぼこの道は、歩きにくいし、坂道だとベビーカーもひけません。雪の日に足で道路を確認して、道を踏み外さないようにロシアがこの様に作ったそうですが、この道は、とても評判が悪いとガイドさんが言っていました。フィンランドの方と話していると、ちょいちょいロシアへの文句を聞きます。
長い戦いの歴史からそうさせるのかもしれません。フィンランド建国100年と言いますが、いつからをフィンランドにするかはとても難しいとガイドさんが言っていました。国として独立したのは1917年ですが、実際にはスウェーデンやロシアに統治されていた時も地域としてのフィンランドは存在していた為です。スペインのカタルーニャ地方の様な感じでしょうか。(スペインの中にカタルーニャ地方はありますが、国としては独立していません。現在も独立運動続行中)
スオメンリンナもロシアと(スウェーデン時代の)フィンランドが築いた要塞です。スウェーデンは対ロシア、ロシアはヨーロッパ進出のための入口として、この地を巡り争いがありました。都度フィンランドは、争いに巻き込まれたり、内戦によりヘルシンキが破壊されたり、人口が著しく減少したりしたそうです。
室町、戦国時代の井伊や真田の様に舵取りが難しい時代がとても長く続いたのだと想像に難くありません。
日本もそうですが、ご近所さんとは付き合いが難しいのが世の常としても、簡単に攻め込まれてしまう所が陸続きの国の難しい所です。
そんな暗さも難しさも微塵も感じさせない晴天の中、ヘルシンキへ戻ります。帰りの船では、カモメが「おかえり」してくれました。
スオメンリンナでは、茶室があるそうです。ヒュヴェ要塞にある茶室「徳有庵」では、茶道の練習のほか、事前予約により日本式の茶会が開かれているそうで、観に行きたかったのですが、暑いし足が疲れて行けませんでした。この地でお茶なんて、経緯がすごく気になります。
フィンランドHEL YEAH! ダンジョンへ突入 Day2
今日は、別日程でヘルシンキに来ている友人に同行させてもらい、オラヴィ城へ向かいます。ヘルシンキ中央駅から7時23分発の特急に乗ります。
途中、眠くなってきていたのですが、橋からオラヴィ城が見えて、一気にテンションが上がりました。
湖水地方にあるサヴォンリンナ駅に11時27分に到着です。
サヴォンリンナ駅を降りると、ヘルシンキより寒い…。そういえば途中、車窓から凍った湖を見たことを思い出しました。よくよく見れば、サヴォンリンナでも凍ってました。
サヴォンリンナについては、ほとんど情報がないのと、思ったより寒かったため、腹ペコで歩き回る余裕はないと判断し、駅前のフィンランドのチェーン店コティピザにて早々にお昼ご飯。後で分かりましたが、お城への道すがらホテルの1階とかにレストランやカフェがありました。
腹ごしらえもできたので、お城へ向かって出発。寒いのですが日差しはきついです。湖は太陽で白く光り、とても美しいです。
しばらく歩きますと、見えてきました!
私のイメージではお城というよりも要塞に見えます。ごつごつとした質感はかつての戦いを感じさせます。
階段は狭く、内部は暗いのに、窓から見える外の景色があまりにのんびりとしていて、城内とは対照的です。
塔と塔を結ぶ廊下、ハリーポッターみたい
教会タワー、内部は、プロテスタント仕様に白く塗られています
お尻が冷や冷やするトイレで、下は湖
城内にもレストランがあったので、ここでランチもできます
全体の模型、ウォールマリアとでっぱりはシガンシナ区みたい
サヴォンリンナは、1323年にスウェーデンとノヴゴロド国が結んだ平和条約によりスウェーデンのものとなりました。1475年にこの地にオラヴィ城の築城が開始されましたが、それを見たロシアはこの地はロシアの物だと主張し、その結果戦争となりました。
その後、何度もスウェーデンとロシアでサヴォンリンナ、オラヴィ城の取り合いとなり、19世紀に軍事的需要がもう無いとロシアが城から撤退した事により、スウェーデンへと返却されたようです。日本で言うと室町時代から江戸時代かけて、争いが続いていたのですね。
ロシア国境に近接していたため、何度も町は戦火に包まれ、城は持ち主を変えました。同じ大陸に多くの国があると、旅しやすいし、様々価値観が普通にあっていいなと思っていましたが、他国が簡単に攻めてくる怖さもありました。今も町にはロシアナンバーの車が沢山走っており、ロシアとの国境の近さを感じます。
城を見た時の異様な圧迫感、怖さのようなものは、この城が経験して来た人の戦いの歴史から滲み出てきたものなのかもしれません。
ダンジョンから出て、町を散策していると、「ニイハオ」と一人のフィンランド人に話しかけられました。フィンランド人は話しかけると話してくれるけれど、向こうからはほとんど用事がない限りは話しかけてこないので、これはとても珍しいことでした。
「日本人だよ、中国人じゃないよ」と英語で返事した所、「私、日本に22年住んでいました。日本語の本があるので、見て行ってください」と流ちょうな日本語で返答がありました。
そこは、彼、イカライネンさんの画廊でした。牧師として、京都に22年住んでおり、日本でフィンランド航空の客室乗務員にフィンランド語を教えたりしていたそうです。現在はサヴォンリンナで写真を撮って、画廊で展示しているそうです。
話すこと1時間余り、フィンランドについて、またフィンランド人が日本人についてどう思っているのかを深く知ることができた気がしました。京都の人の本音と建前についてずいぶん悩まされたようです。職場に私も京都の人がいたので、日本人ですらよく分からないのに大変苦労されたんだろうと共感しました。また彼の「イカライネン、また来年」という日本語ギャグは大変趣き深かったです。
日本風ピースサインで記念撮影
夏にはオラヴィ城で、オペラやバレエ等のイベントが開催されるらしいですし、遊覧船で湖からの城を見ることができなかったので、次回は夏に来てみたいな。イカライネンさんにもまたアイタイネン。(へたくそ)
フィンランドHEL YEAH! 旅の始まり Day1
フィンランドと言えば、マリメッコとムーミン、サウナ、北欧のおしゃれで寒い街というイメージしかありませんでした。
今回、友人が行くということで、途中1日便乗させてもらい、ヘルシンキから電車で4時間の場所、サヴォンリンナにあるオラヴィンリンナ城を観に行く事にしました。オラヴィンリンナ城は、ドラクエの竜王の城のモデルとなったと言われています。
ただドラクエの知識は勇者ヨシヒコで得たものしかなく、大した思い入れは無かったのですが、写真で見た湖の上に浮かぶゴツゴツとした要塞があまりにも美しく、フィンランドのイメージとかけ離れている所に、フィンランドっておしゃれな面だけでなく、骨太な面もあるのかしらと興味がわきました。
旅行の下調べで思ったのは、情報量の少なさです(ハワイ比較)。日本人に大人気のハワイは、手を変え品を変え多くのガイドブックがあるのですが、フィンランドは、大体のガイドブックで「北欧」とひとまとめにされている始末。「ヘルシンキ」に絞ると多少ガイドブックが出てくるのですが、地方都市についてはムーミン関連の土地(ナーンタリ、タンペレ、ポルヴォー)やオーロラで有名な北のラップランド地方がちょろっと出てくるだけで、その他の都市については、英語のサイトやネットで情報を集めるしかありません。これが普通なんですかね?今まで甘えてたな自分。
飛行機も直行便はワンワールドのJALとフィンランド航空のみ、しかも一日1便(時期によって増減するみたいです)。スターアライアンスで行くとしたら、どこかで乗り継ぎをしなくてはなりません。
フィンランドの世界遺産の一つである、「サンマルラハデンマキの青銅器時代の古墳塚」を観たいと思ったのですが、夏以外に観光ツアーがないのと、一番近くの村Lippiからの交通手段が難しそうなので、今回は見送りました。世界遺産なのに、この行きづらさ。もっと観光の目玉にと考えないのでしょうかね。フィンランドの夏以外の生活の厳しさが観光資源としての利用を後回しにしているのかもしれません。
古墳にはとてもそそられるので、次回はこちらを目指してプランを立てようかとも思いました。ロンリープラネット案件です。
成田空港でも少し驚きました。同じ飛行機に乗る仲間たちが、ちゃらちゃら、ウェイウェイしていない。乗客は、落ち着いた女性二人組や、ソロの女子、おしゃれな感じの紳士で浮かれてる感がゼロです。ハワイ便との差は明白!
何だか落ち着いた大人の旅行先なのかしら、と思っていましたら、フィンランド中央駅のこれ。KISSのフィンランド公演の歓迎の意で期間限定で銅像がKISSの4人になっていたそう。
一応国鉄の駅ですし、「これって大丈夫なんですか」と、フィンランドの人に聴いてみたら、「多少苦情もあると思うけど、ちょっとやってすぐにとっちゃうからそんなに大騒ぎにならないんじゃない」と言っていました。そう言う問題なのかな。フィンランド人、おしゃれで真面目かと思いきやはじける時には、はじけるのかもしれません。思えば、エアギター選手権の国でしたね。
ちなみにいつもはこんな感じ。 真面目!
不動院寄席200回 これからも楽しみ
基本的に好きなものはシェアしません。鳥かごの鳥の様に閉じ込めて、一人で楽しんでいたい性分です。
好きでヘビロテしてしまうのものは、何故か販売中止(例: スポーツドリンクのO+、近所の焼肉屋のサラダビビンバ等)になってしまう事から、秘密裏に楽しんでいる節もあります。
今回の六本木不動院寄席もその一つですが、200回記念!という事で、大変おめでたいので感想を綴ってみました。毎月28日の月一回のこの会、単純計算すると約16年続く歴史ある会です。
長蛇の列ができてるかもと恐る恐る向かいましたが、いつも通りの平日夜の雰囲気で安心してしまいました。
談吉さんの「がまの油」でぬるっと始まり、志ら乃師匠の「子ほめ」、らく朝師匠の健康落語(志ら乃師匠のブログによりますと、"スリーピースリーピー")へと続きます。ゲストのらく朝師匠には初めてお会いしました。
その経歴にびっくり。お医者様で噺家さんなのですね。お医者様なのに前座修行を46歳から始めて、今に至るとのこと。今の自分よりも上の年齢で何ら保証もない世界に飛び込んで行くなんて、驚きです。人は自ら選んで人生を進む様に見えて、実際は何か大きな力に選ばされているのかもしれません。
この不動院での落語会は、らく朝師匠から始まったそうです。志ら乃師匠と入門が2週間違いの同期とのこと。仲睦まじく、服装もだだ被りです。癒される。
今回、らく次さんの「紙入れ」、サゲに衝撃でした。志ら乃師匠のほんわか「紙入れ」が記憶に新しく、途中まではその違いを楽しみながら聴いていました。
女将さんの肉食系な所も、こんな女怖いなと同性から見て冷や冷やしてたんですが、それを凌駕する怖さ。最後の一言で、旦那さんの狂気、または特殊な性癖を勝手に感じとりました。サゲの後のこの修羅場と言うか、凍った空気をあれこれ想像してしまい、脳みそが一気にフル回転しました。
落語は「えっもう一回言って」、と巻き戻したりできないので、口惜しいです。
今更ながら、ここ不動院は、高野山真言宗のお寺だったんですね。1階の講堂の椅子は108席あるそうです(たまたまらしいですが)。ただ椅子自体は、教会で使用されていた物で、背もたれに聖書を置く棚があるらしいです。何故そうなったのか、経緯に興味津々です。ミステリアスな密教ぽいなと感じてしまいました。
そんな神聖な場所の2階で、らく次さんのセクシー写真が流出。落ちていた⁉︎のを見せていただきましたが、見ても良かったのかドギマギしました。
不動院寄席は、毎月28日。5月は日曜日です。最後にトークもあり、皆さんの環境も聞けて、ほっこりします。人気が出すぎて、行けなくなったらどうしようかと考えたのですが、下の講堂で聴くのも中々良いかもと考え直しました。
http://s.ameblo.jp/st-blog/entry-12269418718.html
美保神社と美保関 神話の地へ 島根県出雲・松江あたりその3
エビスと言えば、何を思い浮かべるでしょうか。ビール?ガーデンプレイ?ハワイアンショップがなぜかいっぱいある場所?
今回は、七福神の一人でもある恵比寿様が祀ってある神社の話です。
島根半島の東端に位置する、美保神社は大漁の神様「恵比寿様」を祀っており、全国各地にあるゑびす社3385社の総本社です。御祭神は、「コトシロヌシ」と「ミホツヒメ」で二人ともオオクニヌシの子で、異母兄弟です。
七福神詣でが始まった江戸時代以降に、コトシロヌシは、「大漁の神 恵比寿」としてされ、オオクニヌシの「大黒」と対をなす祭神として、広く信仰され、美保神社は出雲大社とともにお参りされたそうです。
古事記や日本書紀に比較すると、上記は新しい話ではあります。コトシロヌシやオオクニヌシといった神話の神様が、時を経て七福神に流用されてしまうなんて、何だか変な話です。神様の成分の98%は人の思いでできているのかもしれません。後の2%は歴史や言い伝え、かなと恐れ多くも適当に思っています。
野趣あふれる釣竿な絵馬たち。乱れ具合がかわいい。
美保神社のある、美保関は古代より漁業や交易がおこなわれた重要な場所だったそうですが、今は、静かな漁港のたたずまいです。
未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選にも選ばれた漁村でもあります。
青石畳通りに敷き詰められている青い石(青に見える?)は、海の色を意識しているそうです。
遠く雲の後ろに、大山がうっすら見えます。
今年は、スルメイカが不漁で、美保神社の近くの店先で販売していた干しイカは、700円で販売されてました。
コトシロヌシは、”事を知る”神様であり、オオクニヌシから国譲りの相談を受けた時、国を譲ることを促し、その後海中に身を隠したとされます。国を譲った後の自身の境遇について、何かを感じたからなのでしょうか。美保神社で行われる神事は、国譲り神話に由来しているもので、参加する地元の方々は神事の一年前から準備をされるそうです。
この国譲りの神話は、出雲の豪族が大和朝廷に屈服した歴史を表しているとも言われており、古代ロマンが漂います。
静かな漁港の余韻に浸りつつ、だいこん島の由志園へ。閑静な庭園に突如現れる假屋崎氏の作品群。その破壊力。草月流ってすごいね。
ばくはつ!