谷中七福神をめぐるお正月さんぽ
お正月の七福神詣でという慣習が江戸時代からあったこと、お恥ずかしながら知りませんでした。
…ということで、2017年1月初めて七福神を巡ってみました。9日の成人の日、分厚い雲の後ろに太陽の気配はあるのですが、結構な雨降りの朝でした。
今回、巡ってみた七福神は、谷中七福神で江戸最古の七福神だそうです。谷中や上野など歴史的な建造物や寺・公園を通りながら、散策できます。地図がくっしゃくしゃなのは、雨の中持ち歩いたためです。ごめんなさい。
谷中七福神の一つ、護国院のパンフレットによりますと
七福神の芽出度いお姿は広く全国の人々に喜ばれていますが、これらの神様を福の神として尊崇した七福神の創設者が上の東叡山の開祖慈眼大師天海僧正であった事は余り世間に知られていないようです。天海僧正は経典(仁王経)の七難即滅・七福即生の分に基いて、七つの神々の夫々の御徳をお授け頂いて我々が益々幸福な生活が得られるようにと御思召されて七福神の信仰をお勧め下さったのです。
(中略)
公の御生涯は全くの長寿・富財・人望・正直・愛敬・威光・大量の七福を具え給うにより、困難な天下統一の大業を完成され、平和な国土を築かれたが、これは神様で申し上げると丁度寿老人の長寿・大黒天の富財・福禄寿の人望・恵比寿の正直・弁財天の愛敬・毘沙門天の威光・布袋の大量を表したものと云うべきである」と申し上げましたので、家康公は大層お悦びになり早速狩野法眼探幽を召されて七福神の絵を画かれて尊崇されました。これが七福神誕生の起源であるとされています。
この後、七福神は模写され、縁起物として全国に広がり、正月に七福神詣でとして定着したようです。天海僧正の教えが、家康に伝わり、そこから七福神めぐりが広まったのですね。よもやこんなところで家康と出会うとは思いませんでした。真田丸、内野 家康の晩年の顔が浮かびます。
http://taitonavi.jp/pdf/pamph_ja/044.pdf
台東区のパンフレットに他に2つの七福神巡りのコースがありました。
谷中七福神めぐりのコースは、下記の通り。1つ200円で御朱印がいただけます。
1.東覚寺 (福禄寿)
強烈なインパクトがあったのは、門前の赤紙仁王。うす曇りで雨降る中、張り付け られた赤い紙が、べっとり濡れていてちょっと怖かったです。自分の体に悪い所があれば、仁王像の同じところに赤紙を貼ると治ると信仰されているそうです。福禄寿はちんまりと境内に鎮座しておりました。
2.青雲寺 (恵比寿)
目印のない住宅街を歩き、たどり着いたすっきりとしたお寺でした。正直の恵比寿様になんだかお似合いの場所でした。
3.修性院 (布袋尊)
本堂に祀られている布袋さんを見て、「でかっ」と驚いたのは私だけでは無いと思う。ふくふくしているお姿は、さながらポルポ(ジョジョの奇妙な冒険、第5部のマフィア幹部)のようで、とても罰当たりな想像をしてしまいました。他の場所に祀られている布袋さんもこんなに大きいのだろうかと気になります。
4.長安寺 (寿老人)
途中、谷中銀座で甘酒を飲んで、長安寺へ。御朱印に鹿のハンコもあって、可愛かったです。本堂の中も、鶴が飛んでいる模様の天井が素敵でした。こじんまりとしたお寺でした。
ここにも大仏がありました。谷中大仏ともいわれているそうで、江戸時代の元禄3年(1690年)に作られたそうです。御朱印をいただく場所が、とても近代的な建物で、モダン和風という感じでした。こざっぱりとした、洗練された雰囲気のお寺でした。毘沙門天像は、立派でした。
何だかいちいちお洒落でかわいい
6.護国院 (大黒天)
この七福神めぐりでもっとも威厳を感じたお寺でした。寛永2年(1625年)に開創された歴史の重みが、境内からにじみ出ているようです。大黒天画像は、徳川三代将軍家光公が贈ったものと伝えられており、大黒天の木像とダブルで観ることができます。
戦争や地震でよく失われなかったものだと感動し、ここに来る道すがらいくつか大黒様を祀っている寺を通り過ぎましたが、護国院は圧倒的な存在感を見せつけました。
7.不忍池辯天堂 (弁財天)
説明する必要もないほど有名なお寺です。芸事の神様でもあり、正面の提灯には林家正蔵さんの名前がでかでかと書かれておりました。
不忍池から辯天堂を望む
インドの神様(大黒天、弁財天、毘沙門天)、中国の神様(寿老人、福禄寿、布袋和尚)、日本の神様(恵比寿)が、まとめて宝船に乗せられ、人々に七徳をもたらすという考えは、日本の文化や宗教のルーツを考えるのにとても興味深く、仏教や神道が複雑に混ざってしまっている状況を更に複雑にしてしまっているような気がします。
七福神めぐりにしても、神社仏閣への訪れるのは、悪い事ではないのですが、ただ行けばいいというものではなく、良い気をいただきに行く、お礼に行くという真摯な姿勢が大切だと思います。
最後に、七福神をめぐる前の参考資料の一冊として、下記を読んだのですが、すごく面白かったです。初めに谷中七福神が出てきて、日本橋、港、武蔵野吉祥、日本橋、亀戸等色々な七福神を巡りながら、主人公が自分の心に向き合っていく話です。
あと全然違いますが、久々に中島らもさんの「ガダラの豚」が読みたくなりました。
七福神めぐりは、お正月が有名だそうですが、浅草名所七福神は、一年中御朱印をいただけるそうですよ。思い立ったら是非、心を休める、おさんぽなんていかがでしょうか。
立川流が好きっ!!感想と覚書
落語ブームと言われた2016年、確かにあちこちで落語のニュースを目にしたような気がしますし、自分の興味が再燃したことによるカラーバス効果ではないのかとも思ったりもします。落語初心者の私が、このブログを書いてもいいものかとても悩んだのですが、昨日奇しくも情熱大陸で林家たい平師匠が出ていたのを見て、書こうと思った次第です。
40代になって、仕事で責任ある立場に立たされ、部下の指導をしたり、管理職としての立場から社内でついつい孤独になり、会社での自分の存在意義やイライラを抱えて日々を過ごしていたところ、縁あって落語会に行くところから私の落語ライフが再スタートを切りました。
少しづつ噺を聴いているうちに、どうも立川流の方々の落語は、何だか自分に合うようだと思うようになり、「立川流が好きっ!!」に行けば一挙に立川流が聴けるなあという軽い気持ちで行く事にしました。
12月21日(水)
開場18:30開演19:00
会場 清澄白河 深川江戸資料館 小劇場
チケットは、完売。
この「立川流が好きっ!!」は、志ら乃師匠(志らく一門)、こはるさん(談春一門)、談吉さん(左談次一門・元直門)、志の太郎さん(志の輔一門)、吉笑さん(談笑一門)、寸志さん(談四楼一門)、各一門からの孫弟子さんたちが落語立川流を再解釈/再構成するという趣旨の落語会でした。
各一門からと言われても、こちらは初心者、どのお師匠さんの得意な噺が、とか家元との絡みでその噺を選んだとか、難しい事は分かりません。そして分かったように語ることも好きではない。ただ会の趣旨から、皆様の演目について勝手に妄想を膨らませてみました。
- こはるさん
【真田小僧】小生意気なこざかしい子供の小気味よい噺。立川流またはこはるさんの立川流としての落語界での立ち位置のようなものかもしれないなと感じました。(思い込み)
- 志の太郎さん
【人間っていいな】タイトルのままな噺。
余談ですが、出囃子が日本昔話の「にんげんっていいな」で、まさか志の太郎さんの出囃子ってこれなのかと調べてしまいました。初見でしたので判断が付きませんでした。マクラで、志の輔一門は情報が断絶されており、8月に開催された「立川流が好きっ!!」で知ったことが多いとおっしゃっていたのが印象的で、「(立川流というよりは)人間っていいな」と、この演目を選んだ感覚が自分なりに腑に落ちたような気がしました。(思い込み)
- 談吉さん
【天災】時間の都合だと思われますが、ほぼマクラなしで、スタート。立川流を八五郎と見立てて妄想を膨らませると楽しいなと思いました。
- 吉笑さん
【一人相撲】同じものを見ているはずなのに、視点がばらばらで期待した報告が上がって来ない現状をあらわしているかのような噺。仕事でもよくある状況で定義とルールを統一しないと、決まった成果は示せないよなあなんて、真面目に考えてしまいました。
- 寸志さん
【庭蟹】シャレが理解できない人にシャレを説明しなければならないことの恥ずかしさよ、きまずさよ。余談ですが、がじらさんの二つ目昇進の会の時に、何だかこの人は面白そうだなあと思っていました。間違いない。
- 志ら乃師匠
【粗忽長屋】この年の瀬に志ら乃師匠の粗忽長屋を何度か聴きましたが、何度聞いても新鮮。人間社会は個人の主観からできている。
会は趣旨もはっきりしていて、自分なりにとても楽しめましたが、以前吉笑さんが言っていた「立川流がヤバい」ということについては、さっぱり分かりませんでした。笑うだけで、終わらせては勿体無いと、吉笑さんや談吉さんのブログを再読したり、志ら乃師匠のブログと「談志亡き後の真打ち」宝島社を読んで、少し考察してみました。
危機感は、私の中では鎌倉幕府みたいな感じ。平氏を滅亡させ、天皇から軍事的権限を与えられた源頼朝は、そのカリスマで御家人たちを支配していくのですが、1199年に頼朝が没すると、子供の頼家の親裁は停止され、のちに修善寺で暗殺、実朝も鶴岡八幡宮で暗殺、頼朝のカリスマは徐々に薄れていき、源氏は3代で消え、1333年には鎌倉幕府も滅亡してしまいます。
「談志亡き後の真打ち」で談笑師匠が、志ら乃師匠の質問「立川流ってものに対して、何か不安ってあります?」に対して「ない。」と答えていたのが印象的でした。立川流はブランドで「これまでは「ブランド」といっても「談志門下としてのブランド」だっんだよ。志の輔、談春、志らくというのは。談志がいなくなった今となっては、次の世代となるわけだ。「志らくブランド」であり「談笑ブランド」が大事になってくる。~中略~「談志の弟子」っていう枠は、これから急速に意味が薄れていく。」
また立川流新体制の箇所で、「立川流は流れ解散でいいんじゃないですか」と志らく師匠がおっしゃっているのも面白い。真意は分かりませんが、直弟子の方と、孫弟子の方の温度差、孫弟子の中での温度差の存在を知りました。
志ら乃師匠は、この本が出版された2012年から孫弟子は危ないと危機感を持たれていたことに驚きました。あの会場での気遣いは、ここを発端としているのではないかと深読みしてしまいました。
人生は団体戦だと、作家の本田健さんが言っていました。一人では戦えない、苦手を補って団体で試合に臨もうと。一方で、団体になるということは、個を持っていないものにとっては、そこに埋没されてしまうことではないかとも思います。会社名がなければなんの存在価値も面白味もない人なんて山ほどいます。
このタイミングで立川流に吉笑さんが現れ、危機感を持ち、声掛けをし、集まった様々な個性を持つ方々が、今回この会を開いたことの意味は、後々歴史を振り返った時に分かるのかなと想像するとわくわくします。真打のトライアルやこの会の様に観客を巻き込む立川流、昔の立川流は分かりませんが、これからも目が離せません。
ハワイ神話の女神様たちとダメンズたち
数多くあるハワイアンソング。聴いていると何とも心地よく、似ている曲調のものも多いし、基本ハワイ語で何と歌っているのか分からずについウトウトとなるのも、なんか良いところ。
フラを踊る時には、ハワイ語や英語の歌詞を訳すので、踊った曲については内容が頭の中に入っています。フラソングのジャンルとしては、①ハワイの美しい自然や土地を歌った曲、②恋愛や家族愛について歌った曲、③ハワイ神話について歌った曲に大まかに分けられるのではないかと思っています。
私にとってはハワイ神話について歌った曲を踊るのが、苦手です。古事記、ギリシャ神話もそうですが、ハワイ神話の神々の話も、ストーリーが奇想天外で、感情移入できる部分がほとんどないためです。モンスターエンジンの「暇を持て余した神々の遊び」ネタは大好きなのですが!(爆)
今日は、そんな中、私が出会った気になる女神様たちと神話を見ていきたいと思います。
1.カハラオプナ
オアフ島のマノアという場所にいる、虹の女神としてカハラオプナは有名です。マノアは現在は、ハワイの高級住宅地でハワイ大学があったり、うっそうと茂る森の中にマノア滝があったり、湿気の少ないハワイの中で雨がよく降る場所でもあります。
カハラオプナのフラソングはとても美しいのですが、神話を調べるとちょっと怖いです。カイルアに住んでいた許嫁のカウヒに浮気を疑われて、ヌウアヌの山中で撲殺されます。守護神のフクロウがカハラオプナについていたので、この神様がカハラオプナを生き返らせます。カウヒは山道を逃げていると、殺したはずのカハラオプナが追いかけてきて、「何故何もしていない自分を殺したのか」と問いかけてきます。追いつかれたカウヒは、またカハラオプナを殺害、その後フクロウが生き返らせるのループを5回くらい繰り返します。殺しても殺しても追ってくるカハラオプナに恐怖しか感じません。
その繰り返しの後、カハラオプナは首長マハナに助けられて、カウヒは裁判により死刑にされ、カハラオプナは、マハナと結婚し、ひと時幸せな時を過ごします。そのひと時のシーンが描かれているのが、フラソング「Kahalaopuna」のワンシーンです。
ただその後、サメに生まれ変わったカウヒが、海に入ったカハラオプナを食べてしまい、体が無くなったカハラオプナをフクロウも生き返らせることができず、マノアの風カハウカニの父と雨カウアフアの母や祖父母が、マノアに毎日降る雨の後にかかる虹を見てカハラオプナを思い出すのでしたというエンディングが続きます。
ダメンズ・カウヒの逆恨みの理不尽さと救いようのない話にライフを削られます。いい男のマハナと結婚しても、幸せになれなかったカハラオプナ、何を間違えてしまったのでしょうかね。「何で私の事を殺したのか」を問いながら追ってくる、ちょっと狂気のカハラオプナだったら、踊れそうな気がします。
2.ポリアフ
ハワイ島マウナケアに住む雪の女神です。マウナロアに住む火の女神ペレとライバルで何度も闘っているという強気な一面を持ちます。マウナケアは、冬には山頂が雪に覆われることもあるそうです。
「Poliahu」は、他の女性と結婚するために自分のもとから去っていったカウアイ島の王子アイヴォヒクプアに「帰ってきて」と、マウナケアから悲しんで嘆いている曲です。ポリアフは、この時自分から身をひいたとされています。
一方、浮気者のアイヴォヒクプアは、第二のお嫁さん候補だった、マウイ島ハナに住んでいたヒナイカマラマと結婚すること決めました。しかし、二人が抱き合っているといつもポリアフが冷たい風を吹かせて、二人を凍り付かせただとか、その冷たい風をヒナイカマラマが怖がり、マウイ島へにげてしまったとかのエピソードがあります。
お前は源氏物語の六条御息所か!と突っ込みを入れたくなる、執念深さと嫉妬です。自分から身を引いたくせに、やっぱり許せないというのは、理解の範疇ではありますが、シンプルに怖い。歌詞の中で「E ho'i mai(帰ってきて)」という部分が何度も繰り返されていますが、一体どんな心持ちで踊ればしっくりくるのか、今でも分かりません。
このカウアイ島のダメンズ王子、アイヴォヒクプアのエピソードは、第一のお嫁さん候補のラーイエイカヴァイの話にも出てきます。
3.ラーイエイカヴァイ
ハワイ島のプナに住んでいた住んでいた絶世の美女で特別な力を持っており、彼女のいる場所には常に彼女を祝福する虹がかかっていました。カウアイ島の王子アイヴォヒクプアは、彼女にプロポーズし、さくっと断られ、去っていきます。彼は、3人の女神たちに振られる残念なプレイボーイな役どころでした。
この後、ラーイエイカヴァイは、サーファーと呪術により恋をさせられ、のちにひどい目にあったり、アイヴォヒクプアのお兄さんである太陽の目の神カオーノヒオカアラーと結婚したりします。しかし太陽の目の神は、ラーイエイカヴァイの双子の妹のラーイエロヘロヘ(既婚)とダブル不倫をし、天から追放されてしまいます。
その後、何を思ったかラーイエイカヴァイは、不倫してしまうほど、自身の結婚生活が不幸だったのかとラーイエロヘロヘを不便に思い、最後は地上で一緒に暮らすようになります。急展開過ぎて、ちょっとついていけませんでしたが、原本は壮大なストーリーのようです。
その存在自体が高貴で尊いラーイエイカヴァイの光は強すぎて、その後ろに存在する闇が深く暗くなることで、彼女は存在を保っているように思いました。陽極まれば陰となる、陰陽道の対極図のようなイメージがこの女神さまの話にはあります。
ただ「Laie-i-ka-wai」の曲と歌詞はとても美しいので、これからもし機会があったら、この曲は踊ってみたいです。 女神様の様な神々しい雰囲気は、どうやっても出せなそうですが。
昔のハワイのしきたりでは、女性と男性は食事を一緒にしてはいけない、食べてはいけない食物が多くあったり、女性は漁の道具に触ってはいけない、女性はヘイアウに立ち入ってはいけないなどがあり、女性に課せられた禁止事項がとても多かったようです。不自由な生活で苦しめられたことや受動的に生きざるを得なかった事情を間接的に神話が示しているため、薄幸な女神たちが多いのかもしれません。
今年も色々と世間を騒がせた離婚や不倫などの事件がありましが、男女関係はうまくいかない事が多いのは、今も昔も神様の世界も人間の世界も変わりないことなのでしょうね。
ハレアカラでロープで太陽を捕まえようとする破天荒な半神半人マウイ。最後は頑張りましたが、彼の母ヒナもなかなかの不幸体質な女神様です。
渋谷らくご 11月感想と粗忽長屋の奥深さ
渋谷らくごの期間は、どの回に行ってもお祭り気分なのですが、11月は、渋谷らくご2周年記念ということで、いつにもましてお祭り気分でした。2015年渋谷らくご大賞を受賞した瀧川鯉八さんが、毎日出演されたり、お楽しみゲストとして、当日誰が出演するか分からない演出があったり、ジャンル様々なトークゲストが会場を盛り上げたり、仕掛けが満載でした。
私が行った会でのお楽しみゲストは、18時からの回では春風亭一之輔師匠、20時からの回では、柳家三三師匠でした。お得感が半端なかったです。ほかの回では、立川志らく師匠が出演されたのを知ってうらやましく思ったり、このメンバーならどんな人が入りそうか初心者ながら妄想したり、違った楽しみをしてしまいました。
お恥ずかしながら、一之輔師匠がされた「味噌蔵」の ”どがちゃが” がこの公式読み物のタイトルだと初めて知りました。また2年間の高座がまとめられている、ブルーの冊子で酒が飲めるとキュレーターのサンキュータツオさんがおっしゃっていて、またまた言い過ぎと思っていましたが、よくよく見ると楽しい。昔のものは、聴きに行きたかったと思うし、直近のものは、あ~そういえばそうだったと楽しさを思い出したり。一期一会の組み合わせというのが何とも潔くて良い。
瀧川鯉八さんを知ったのは、渋谷らくごのポットキャストでした。その時は、まくらと本編の一部を聴いたのですが、その後の内容が気になって仕方ありませんでした。それからは時間を見付けては、鯉八さんを細々と追いかけています。創作落語のみをかけていらっしゃる方で、噺にでてくるキャラが押しなべて濃いです。
今回、聴いたのは「イマジン」です。冒頭のシーンは、3人の侍が戦乱の世の中だったらと想像ごっこをするところから始まります。「え、何、古典落語みたいな創作落語なの!」と妙に感動し、武士みたいにふるまっている鯉八さんの男らしい事。初めて観ました。凝った噺の全体像が最後にはっきりとして、ああそうなのかと笑いつつも感動してしまいました。
いつもは、げろっぱしか言わないニートや自意識過剰な女子、酸っぱいブドウの兄さんというような、人間らしい嫌らしさをふんだんに振りまいていく登場人物が多いので、その世界観とのギャップがすごく、まだまだ修行が足りないと感じました。(何のだ)
11月のシブラクで、立川志ら乃師匠の噺が「粗忽長屋」だったとTwitterで見た時には何とも思わなかったのですが、11月28日の六本木 不動院寄席で、志ら乃師匠の「粗忽長屋」を聴いた時、衝撃を受けました。まくらの素晴らしさも相まって、こんな粗忽長屋は初めて聴きました。サゲの後、自分が「自分」と思っている「自分」は何で決まるんだろうかとよく分からなくなりました。熊の最後のセリフ「抱いてる俺は、一体何処の誰だろう」に底知れぬ不安感と怖さを感じました。
粗忽長屋に怖さや不安を感じたのは初めてでした。基本的には粗忽者たちが最後までぼけ続ける、観客に脳内で突っ込みをさせつつ、笑える話だと思っていました。この感覚には、昔のリリパットアーミー(劇団)が、笑える演目と思わせて、ホラー「こども一生」をぶっこんで来た時の衝撃に似ています。
中島らもさんの何かのエッセイで、観客が笑う準備ができている状態で、演劇に来て、どうでもないことにも笑う状況を良くないと思い、「こどもの一生」をかけたと読んだことがありました。落語、単純に面白くて笑えるものという思考停止の状態だった自分をはっとさせた噺でした。
立川志ら乃師匠と瀧川鯉八さんの噺がシブラクのポッドキャストで有難いことに現在配信されています。だるい月曜の朝や落ち込んでいる時、笑いたい時にいかがでしょうか。
オアフ島 ワイキキの開発と古代ハワイアンの聖地
記憶にはないけれど、幼い頃両親と住んでいた、ハワイ オアフ島、フラを習い始めたことにより、更に思い入れがある場所になってきています。訪れると体の緊張が抜けて、エネルギーが充電されるような、初期設定にリセットされるような気分になります。
両親が当時よく買い物をしていたという、Holiday Martは気が付いたら、ダイエーになっていて、今はドン・キホーテになっています。アメリカの田舎のオアフ島にも開発の手が入っていることはなんとなく感じておりましたが、今年訪れて開発が加速しているように思いました。「Comming Soon」と書いてある看板が何年もそのままなハワイ時間が好きなのになと、残念に思いました。
アラモアナショッピングセンターの隣に最低価格5億円の高級コンドミニアム Park Lane Ala Moanaが建設されていたり、インターナショナルマーケットプレイスがリニューアルされて、おしゃれなショッピングセンターになっていたり、ワイキキの再開発とカカアコ地区の開発による観光地としてのワイキキエリアの拡大を感じました。
アラモアナショッピングセンターにある、レストラン マリポサから撮影しました。右上の建設中の建物が、この高級コンドです。
個人的にはカカアコ地区はホームレスが沢山住んでいた記憶があります。その辺りを車で通るとビニールシート等で作られたお家がぎっしりと並んでいました。再開発や高級コンドミニアムの建設のために、ホームレスを一掃したというニュースを去年見ました。おしゃれな観光地エリアや居住地が広がる中、今なお増えるホームレスのためのシェルターの建設も進んでいるそうで、どんな場所にも光があれば影もありますね。
2015年にアラモアナショッピングセンターの新エヴァウィングのオープンも、2017年に完成予定のこの高級コンドミニアムの客を狙ってなのかもしれません。このオープンにともなって、白木屋も大幅に改装され、フードコートの値段も上がり、完全に観光客向けのお店になってしまいました。かつてのアラモアナショッピングセンターは、観光客と地元の人が混じった、ちょっとダサい感じのショッピングセンターだったので、ハワイ特有のゆるさが失われてしまったと感じました。
ちなみ今、地元の人は、ショッピングセンターだったら、ワイケレかパールシティに行くとタクシーの運転手さんが言っていました。
インターナショナルマーケットプレイスは、ワイキキの中心にあるにもかかわらず怪しさMAXの雰囲気でとても気にっていたのですが、こじゃれたショッピングモールになってしまい残念でした。バニヤンツリーは残っているのですが、その周りにいたオウムを肩に勝手に乗せてきて、お金をせびる胡散臭い人や、変なTシャツを売っているお店が無くなってしまい、何とも味気ない場所となってしまいました。彼らは一体どこへ行ってしまったのでしょうか。
一連の開発の加速は、2011年にオープンし、2013年に大規模に拡張した、ディズニーのアウラニ ホテルの影響もあると思いました。現在、長らくとん挫していたホノルル市営鉄道の建設が進められています。アラモアナからカポレイまでの路線を計画しているため、アウラニ ホテルからワイキキまでの交通の便が将来的にはぐっと良くなります。
オアフ島はバス路線が充実しており、この鉄道も地元の人は使わないのではないかと言われています。当初の予算よりも費用が掛かっており、この鉄道の建設も再びとん挫してしまうような気配があります。
アウラニホテルは、ワイキキからホノルル空港を挟んで逆方面に位置しています。パールハーバーを過ぎると観光地が何もない気がしていましたが、今後アウラニホテルが新しい人の流れを作って行くのでしょう。
そんな開発が日に日に進む一方で、ハワイには古代のハワイアンの神殿や聖なる場所(ヘイアウ)が数多く残っています。
ホノルル動物園があるカピオラニ公園には、今は何もありませんが、宗教的なものを嫌ったカメハメハ二世が、自分に権力を集中させるためにヘイアウを壊してしまう前は、多くのヘイアウがあったそうです。
マカプウ ヘイアフは、ダイアモンドヘッドを伝って来た神様が海へ帰っていくための場所で、悪いものを海へと流す場所であるそうです。その辺りの海はヒーリングプールと言われていて、体の悪い部分を入れるといいと言われています。ワイキキ、ハレクラニホテルの前のビーチにある、パワースポットのカヴェヘヴェヘのような場所ですね。
ケアイヴァ ヘイアウは、古代に病院のような役割を果たしていた場所だそうです。回りには薬草や魔除けとして使われるティーリーフが植えられていました。とても静かで心地よい場所です。ヘイアウはいまだにハワイの人たちには聖なる場所で、レイやフルーツのお供えが捧げられていました。
神聖な場所ということで、この場所で踊ったり、ろうそくに火をともして何らかの儀式をしている人々がよくいるそうです。行った日には、その様な人々に出会えず、残念でした。
ハワイ王朝の霊廟(マウナ・アラ)にも多くのレイが、捧げられています。王族やカラカウア家の誕生日には、門が開かれ、多くの人が集まるのだそうです。よく考えますと、ハワイが誇るサーファーのデューク・カハナモクやカメハメハ大王の銅像にはいつもレイが捧げられていますね。そこにハワイの人々の祖先や昔の人を尊敬する心を垣間見ることができます。
マウイ島にも少しずつ開発の手が入っており、先日開発されないよう、マウイが、Jaws Surfスポットの近くの土地を購入したというニュースを読みました。この手の話は聞きます。守る物の価値を考えて、行動することでハワイは開発と今も闘っているのだと思いました。
新しいもの、古き良きものとの共存への課題は、世界のどこでも見られます。残らないものにもそれなりに意味があるし、残るものにも意味があって、裏に携わる人たちの努力があったりします。気がついていたら、無くなっていたというのは、あまりにも残念なので、自分の分かる範囲で行動していこうと思っています。
落語に行ったり、それについて覚書を書いてみたり、着物を着たり、自国の歴史や文化を知ったり、それくらいしかできないですが、世界中の情報が入る現在において、世界の中での自分のアイデンティティを考えたら、”日本人”というものしかないのだから、良い部分も悪い部分も併せて知っていこうと思うのでした。
余談ですが、先日「通訳案内士」という通称”通訳ガイド”の資格を取るための学校説明会に行ってみたのですが、日本の歴史、文化を学びたいとおっしゃっているのが、60代以上の方々で驚きました。高齢化のせいなのか、若い人には文化とか歴史とかに興味がある人が少ないのか、それとも資格などなくても知識として一般的で習う必要がない人が多いのか、学校の顧客ターゲット層が60代以上の方なのか、これからこの現象についても、考えて行こうと思いました。
さて次のさんぽは、どこにいこうかな。またお付き合いしてくださると嬉しいです。
経理社員のつまらないこだわり
ノスタルジック谷根千さんぽ
実際にその時代に生きていたことはないのに、何故か昭和の懐かしさを感じるエリア、谷中、根津、千駄木エリア。遺跡などよりは、ずっと親近感を感じます。始めてその地に足を踏み入れたのは、数年前に根津神社のつつじ祭りに参加して、神楽殿でフラを踊る時でした。根津駅を降りて、根津神社までの道のりでさえ、何か懐かしいような、落ち着くような気持ちになったのを覚えています。
日本人にも日本人以外の観光客にも人気な谷根千エリア、散歩コースの詳細はお詳しい方にお任せすることとして、今回、ひつじが歩いた場所をご紹介したいと思います。次のお休みにどうですか。
1.根津 釜竹にてランチ
手打ちのコシがあるうどんで腹ごしらえです。石造りの赴きある建物で庭を見ながらうどんをすすります。厚焼き玉子は、2つ注文すると、4個出てくるので注意です。
2.谷中霊園
なぜここが観光地なんだろうといまだに思っているのですが、トリップアドバイザーによりますと、台東区の観光 241件のうち堂々の16位と侮れません。
お墓というと怖いというかおどろおどろしい雰囲気があるのですが、昼間の谷中霊園は、のどかです。通り抜けの道として、おじいちゃんが自転車で颯爽と走っていたり、観光客が地図を片手に観光しています。春には桜も美しいそうです。
徳川慶喜様のお墓があり、ご挨拶をしてきました。その回りにも徳川幕府関連の方のようなお墓が沢山あり、驚きました。またあちこちに、○○子爵、男爵夫人と書かれたお墓や、古いお墓で石塀に厳重に囲まれて、近くに行けないお墓などがあり、見ごたえ抜群。古い墓石を見付けてはいつ頃のものなのか、裏面を見てみたり、さびれているお墓を見ては、親族で何があったのかを想像し、形に残るものはいらないなと思ったり。生と死と人生のストーリーを考えさせられる空間でした。
余談ですが、東京都内では火葬場が足りないらしいと聞いたことがあります。亡くなる人が多いのに、火葬場を新しく建てられず、火葬待ちはよくある事なんだそうです。保育園もない火葬場もない、東京は人が一生を通じて住むのには実は不便なのかもしれません。
3.「上野桜木あたり」を冷やかし
住宅街にひっそりと古民家があります。お目当てのお店があれば、のんびりと立ち寄るのもいいかもしれません。少し歩けばカヤバコーヒーや下町風俗資料館(旧吉田屋酒店)もあるので、昭和にタイムスリップした気分になります。
4.HAGISOでお茶
1階にカフェがあり、カフェの中にギャラリースペースがあります。また2階の部屋に宿泊もできます。いいなあと思ったのは、この建物がいまここにあるストーリーです。解体が決められていたこの建物が、この建物を愛する人たちの努力により計画が見直され、現在もこの地に残ったそうです。
ギャラリースペースは広く、ちょっとしたパーティを開いて、フラも踊れそうなんて妄想したり。ゆっくりできる素敵な空間でした。
5.谷中銀座
言わずもがな谷根千を代表する観光地です。週末ともなれば人・人・人の大混雑です。観光地化してしまったこともあり、古いお店と新しいお店がごった返しています。散歩していると結構な確率でテレビ撮影しているのを見かけますし、店先に来店した芸能人の写真を張っているお店もあります。
谷中銀座を歩いていると、「写真を撮らないで」「No pthoto」の張り紙をちらちら見かけます。観光客にとっては、観光地の景色なんですが、そこで生活している人にとっては日常の景色。観光客の私は、張り紙を見るたび、地元の人の生活を邪魔しているような心苦しいような気がして、複雑な気分になるので、ちょっと苦手です。だいたい雰囲気を味わいながら、ささっと歩いてしまいます。
夏は大行列のひみつ堂。10月29日から冬の部の営業が始まります。真冬にしか行ったことないけれど、「ひみつのハロウィン」魅かれます。
このあたりの散歩は、自分の原点回帰のような気持ちになります。懐かしい思い出や昔の気持ちを今一度向き合って、自分の原点は一体何だったか、この道に進んだそもその理由はなど考えるのにちょうどいいなあと思います。普段忙しく考え過ぎてる人は、歩行瞑想しながら脳を休めてみてもいいかも。
今回、谷中霊園を散歩していると、お墓に刻まれた名前を一つ一つ確認しながら歩いている人を見かけました。謎の行動をするのは、著名人のお墓を探して歩く、お墓マニアの人だそうです。雑司ヶ谷や青山などの墓地にも現れるらしく、そんな趣味ってあるの!と驚きました。ファンで命日にお参りっていうのなら分かりますが、著名人はなくなった後も色々大変なんですね。
それでは、また次のおさんぽでお会いしましょう。有難うございました。
ひみつ堂のかき氷。また食べたいな。